いつもと同じ、君の隣で

花梨

第1話 ダメ大人からの目覚め

 年を越したあたりから、ファストフード店の客である男の子が気になるようになった。何度か席が隣になっていたから。

 彼を目で追っている、と気が付いた時は、思わず席を立ちトイレでメイク直しをした。ショートボブの黒髪と手抜きともいうナチュラルメイクのせいか、若く見えるが二十五歳。相手はたぶん、高校生だ。

 その日はすぐに相手は帰っていった。それから何度かファストフード店へ通ったが、会うことはなかった。

 ファストフード店は、勉強には格好の場所だ。二階建てだから、席がたくさんある。

 四人掛けのテーブルだけど、空いているからだいたい一人や二人の客が占領できる。そこでノートやパソコンを広げて勉強や仕事をしている人も多い。

 勉強のためにここを訪れていた私は、いつも同じ席に座っていた。ベッドタウンのファストフード店内はとても広々しているから、人気の窓際以外ならば席は選び放題だった。

 いつものメニューである、カフェラテのLサイズとポテトのSサイズをトレイにのせ、席につく。当然、席にあの男の子がいるか歩きながらチェックしていた。

 あれから一週間、今日はいた。

 ガサツな女と思われないように、そっとトレイを置く、上着をすっと脱いで、椅子にかける。一挙手一投足に、今まで存在していたのかという繊細な神経を張り巡らせていた。

 椅子に座り、ちょっと息を整える。彼が見ているかどうかわからない。眼中にない、と思う。だけど、それが自意識過剰の乙女心ってものでしょ。

 いつもと同じ席が空席だと、勉強に身が入らない。でも、隣にいても身が入らない。漫画や小説で「受験に専念したいから付き合えない」というセリフを見聞きしてきたけれど、こういうことなんだな、と実感している。

 真剣な顔でノートに向き合うその横顔は、私を魅了した。

 青年になりたての顔は、特別美しいわけでもない。鼻も高くない。俳優やアイドルのように容姿端麗でもない。髪の毛は整髪料でさっとセットしてあるが、黒髪短髪なので遊ばせているわけではない。けれど、何度も何度も横目で見て、この人と話がしたいと強く願うようになった。

 どうやって話かけようか。勉強そっちのけで考える。

 わざと飲み物をこぼしてみようか。

 どれも頭の中では実践するものの、迷惑そうな顔をされたら嫌だなとか、無視されたら傷つくとか、あれこれ考えては実行せずにいた。

 なぜなら私はニートだ。二十五歳にもなって、実家暮らしで家事もやっていないダメ人間。大丈夫、今勉強中の資格がとれたら就活しようと思っている。

 もっとも、医療事務の資格を取ったところで、未経験の人間が就職するのは大変らしい。それを聞いて、やる気が失せているのだけれど。資格試験が在宅でテキスト見ながらでいいのなら、この勉強も意味あるのかな?


   *


 自宅に帰り夕飯を食べた後、自室のベッドに寝転んで、スマホからメッセージを打った。

 ファストフード店へ行って勉強するのは、自宅だといくらでもだらけられてしまうから。快適なベッドや、漫画の誘惑に負けてしまう。

『っていうことなのー!』

 唯一の友達の斎藤さいとうメルに事のいきさつを送る。いつもより早めに返信が来た。最近、既読がついても数時間スルーされることもよくあった。

『楽しそうで何よりだよ、香菜子かなこ

 どういう返事だ。楽しそうで何よりって、興味はないし特に突っ込む気もない時に使う言葉じゃないか。

『久々の恋だから楽しいよ』

 そういえば、最新の恋の履歴はいつだったか。中学二年の時、バスケ部の先輩かっこいいとかそういうレベルの話だったな。

 恋するというのは、私からは縁遠いものだと思っていた。結婚もせず、ひとりで生きていくのだと。だから、恋愛感情が残っていたことに驚く。

『頑張って。進展あったら教えてよ』

 同じく恋愛興味ない者同士、メルとは気が合っていた。ま、いっか。

『ありがと! 頑張るよ』

 私はスマホの電源を切ると、タブレットを取り出して勉強を開始した。といっても、ベッドに入り、ぬくぬくしながら参考書を読むだけ。寝る前の復習だ。彼の事を考えると、参考書の中身が入ってこなかった。

 気が付くと、レシピサイトのチョコレートのページを開いていた。うるさいくらいに「手作りバレンタイン」の広告がウェブ上に出ているから、嫌でも認識するし、つい押してしまう。策略だ、策略。

 チョコレートか。渡したら、彼はどんな顔をするだろうか。今はまだ名も知らぬ人だ。いきなり渡したら怖がられてしまうだろう。そうならないように話しかけて、仲良くならなくちゃ。あ、でも、話してみたら嫌なやつで、久々のこの恋が残念な結果に終わるかもしれないんだ。

 でも。私はメモ用紙を取り出し、レシピサイトを見ながら必要な材料を書きだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る