其の肆(加筆修正版)

 紗理奈は美鬼の淡い水色の着物を借りた。ただ、一つ難点だと思ったのは、帯が虎柄であることだった。


「これさぁ……私に似合わなくない?」


「そんなことないよ。可愛らしいよ」


 そう言ってくれた瑠美を恍惚な眼差しで見つめてる自分には気が付かなかった紗理奈であった。


 美鬼は着物姿からノースリーブにショートパンツ姿に変化した。もちろん、角は跡形もなく消えていた。個人的な意見だが、美鬼の身体はきちんと出る物が出ているし、太ももは細くなく、とても健康的でプルルンしていて、その間に埋もれたいと思ってしまった。


 彼女はエコバックを持っており、その中には食材が入っていた。凜が美鬼を泊めてもらうので、みんなで食べられるようにと焼肉の食材をくれたのだ。

 宮部家が総出でアパートの下までお見送りしてくれた。改めて三人が並んでいると本当に良く似ている家族だと思った。凛が


「じゃあ美鬼ちゃん、粗相のないようにね」


 っと声を掛けた。それに対し


「何も心配ありんせん。わっちは大和撫子でありんすから」


 っと胸を張って答えていた。紗理奈はそれを聞いて思ったことをそのまま口に出した。


「大和撫子って七変化でしょ?」


 その疑問に隣にいた瑠美がすぐに答えてくれた。


「黒木さんが言ってるのは歌のことかな? それともアニメかな? 大和撫子はね、河原撫子っていうお花の異名なんだよ。ちなみに、河原撫子の花言葉は可憐、そして純愛。それで大和って言うのは日本を指す言葉であって、そこに撫子。二つを合わせて日本の女性を指す言葉になっているの」


「へぇー、そうなんだ」


「そう、つまり大和撫子は、清楚で可憐、凛とした美しさを持つ女性を指す言葉なの」


 紗理奈は瑠美の知識の多さに本当に尊敬の意味を込めてキラキラ光線を放ってみたが、瑠美は首を傾げて微笑んでくれただけだった。鼻血が出るのではと思い、鼻を確かめたが血は出ていなかった。そんな二人の会話が終わったのを見た麗は


「楽しんできてね美鬼ちゃん。二人共、今日は宜しくね」


 っと言って紗理奈と瑠美に笑みを向けた。


「「はい」」


 瑠美は不安など何も考えていないような純朴な笑顔でそれに応えていたが、紗理奈は違った。少しばかり顔が引きつって苦笑い状態だった。

 最後にはじめは美鬼に近づいて


「行ってらっしゃい」


 っと今まで見せたことのない穏やかで柔らかいタンポポの種が宙を舞っている表情で美鬼の頭を撫でた。


「旦那様――」


 今にもキスするのではないかという雰囲気になり、見ているこっちが恥ずかしくなってきた。しかし、ふと視線をずらせば凜は聖母マリアのような慈悲深い笑顔であったが、麗は二人から視線を逸らして唇を噛み締めていた。


「では行ってくるでありんす!」


「「「行ってらっしゃい」」」


 まるで実家に帰省した娘を新幹線のホームで見送るが如く手を振り見送られながら美鬼を紗理奈と瑠美で挟んで黒木家へと足を向けた。道中何の会話をすれば良いのかと思っていたが、そこは瑠美が口を開いてくれた。


「美鬼ちゃん大丈夫? 私達も少し持とうか?」


「大丈夫でありんす。これくらいなら重さなどさほど感じん」


 見ているこちらとしては美鬼の白くか細い両手にパンパンに膨らんだ大きなエコバックを持っている光景は、まるでベンチプレスの大きなものを持っているのと似ていた。紗理奈は


「ふーん、美鬼ちゃんは力持ちなの?」


 っと思ったことをそのまま口に出した。


「鬼と人とは違うでありんす。見た目は人間と同じかもしれんが、まったく別の存在でありんす」


 紗理奈が美鬼の話を半分も理解していないであろう表情をしていると瑠美が答えた。


「合っているか解らないけど、つまり、イヌ科に部類している狐とか狼、ネコ科の虎とライオンみたいな違いってところ、かな?」


「まぁ、そんなところでありんす」


 瑠美の例え話に「なるほど! さっすが瑠美ちゃん頭良い!」っと声に出して、眼差しは愛情と尊敬を混同させているキラキラ光線的な視線を送ったが気付いてもらえなかったのは言うまでもない。そんな紗理奈のことよりも瑠美は美鬼に積極的に話しかけた。


「ねぇ美鬼ちゃん、聞いても良い?」


「ん? 何でありんす? もう恋バナを始めるのけ?」


「ううん、違うよ。美鬼ちゃんのことをもっと知っておこうと思ってね。恋バナって、やっぱりアドバイスとか出すには美鬼ちゃんがどんな娘なのかなってことを知らないといけないから、少し聞いても良い?」


 確かに恋バナと言っても美鬼のことをそこまでよく知らないっというかほとんど何も知らないのだ。

 美鬼との関係は、顔見知り以上友達未満と言えるだろう。解っているのは鬼娘で五十年生きていて、はじめのことが好き、くらいの情報量しか持ち合わせていないのだ。

 美鬼は眉間に皺を寄せ、口を結んだように閉じていたが


「何を知りたいでありんす?」


 っと少しばかり警戒しているような雰囲気で答えた。目を細め、犬が威嚇しているように八重歯を見せていた。恐らく疑心とか不信感を抱いている。そんな顔だった。


「もう、そんな顔しないでよ。変なことは聞かないから、安心して」


 瑠美は紗理奈と話す時よりも妙に明るく接しているように思った。しかし、それは違うとすぐに思った。誰か、自分以外の人と瑠美が楽しく会話しているのがモヤモヤするのだ。そんな紗理奈のことなど瑠美は知る由もなくさらに続けた。


「美鬼ちゃんは子供の頃ってどんな娘だったの?」


 その言葉を聞いて美鬼の表情は影を帯び、足は水が淀んだように進みが遅くなった。聞いてはいけないことだったのだろうか?

 ついには立ち止まってしまった美鬼を見て、紗理奈と瑠美は顔を見合わせた。はじめの前では常にデレていて、元気で、愛くるしく、時折垣間見せる殺気に恐怖を感じさせる美鬼が黙り込んでしまったのは意外だったのだ。瑠美はそんな美鬼を見て


「ごめんね。聞いちゃいけないことだったかな? 他の話に――」


「いや、大丈夫でありんす。ちょっと……幼き頃の話は母上の話をしなければと思うと……動揺しんした……」


 そんなに動揺してしまうほど美鬼は幼少の頃の思い出を話したくないのかと思った。それと母親のことを好いているわけではないのかと思った。俯いてしょんぼりしてしている美鬼を見ているのは少しばかり心苦しくなってきていたが


「わっちは、ずっと母上と二人でありんした――」


 っと口に出しながら歩き始めた。それを聞いた紗理奈は聞いて良いのか少し迷ったが声に出してしまった。


「あの、聞いて良いのか解らないけど、美鬼ちゃんのお父さんは?」


 言った直後に咄嗟に口を押さえた。逆鱗に触れてしまったのかと思ったが、美鬼は紗理奈の質問に対して特に反応を示さずに淡々と答えた。


「父上のことは未だに知らん。物心ついた時に母上に聞いてみたが、わっちが嫁に行った時に話すと言われたっきり、何も知っていることはありんせん」


 何か複雑な事情があるのだろうが、これ以上聞くといつか地雷を踏んでしまいそうなので自粛した。美鬼は二人の顔を見て


「本当にわっちのことを知りたいのけ?」


 っと愁いを帯びた目をして尋ねてきた。その答えはとうに決まっていたのだろう。瑠美は少しだけ間をおいてからその言葉を口に出した。


「うん、少しでも、美鬼ちゃんと解り合いたいから」


 その言葉にやはり戸惑っていた美鬼だったが、すぐ近くに小さな公園を見つけると


「少しだけ……話しんす」


 っとだけ言って重い足取りで公園に向かったので、二人も彼女に付いて行った。公園はブランコと砂場があるだけの小さな公園で、美鬼はパンパンのエコバックをベンチに置いてブランコに座り、二人は美鬼の目の前のブランコの周りを囲んでいる鉄の柵に腰掛けて耳を傾けた。


「赤子の頃から、わっちはとても手のかかる娘でな。良く泣き喚いては母上を困らせていんした。それでも、ただ一人、同じ血の流れる娘を、母上は愛してくれしんした。物心ついた頃には鬼の娘ということで色んな妖怪変化に狙われんした」


「鬼って他の妖怪から恐れられてるわけじゃないの?」


 紗理奈の素朴な疑問に美鬼は顔を上げずに淡々と答えた。


「まだ幼く、力を使いこなせない鬼の子供は他の者達にとっては美食でありんす。自らの力を高める、餌――」


 美鬼は何かを思い出して今にも泣きそうな顔になり、さらに俯いてしまった。


「母上は、そんな奴らからずっと守ってくれんした。母上の名を口にすれば逃げ出す者もいた」


「美鬼ちゃんのお母さんって有名人なの?」


 紗理奈が口にした言葉に美鬼は少し悩んでいたが


「母上の話は、また今度じゃ……」


 そう口にした美鬼が何かを思い、強く噛みしめた唇から血が流れた。しかしそれは一瞬で、すぐに消えてしまった。


「続きを話しんす。それから日本全国を旅しながらわっちに数多くの知識や鬼族に伝わる薬方、人の歴史を教えて下さった。そして、鬼がどうあるべき存在なのかも……」


「鬼のあるべき姿って?」


 瑠美の質問に対して美鬼は酷く悩んでいる、もしくは嫌なことを思い出しているような、そんな苦悶に満ちた表情となった。それでも、彼女は口を開いた。


「鬼は……おぬであり、畏怖いふの化身にして傲慢ごうまんな神で……あり続けろと……言われた……」


 紗理奈はすぐに瑠美の方を見て


「おぬってどう意味? いふって言葉も初めて聞いたんだけど……」


 っと聞けば、彼女は嫌な顔一つせず、しゃがみ込んで指先で字を書きながら答えた。


「まずは畏怖の意味から、畏怖は恐れおののくって意味だよ。そして、おぬって言うのはこの字のことだよ」


 紗理奈は瑠美の書いた字を見た。そこには「陰」と書かれていた。


「この字って『かげ』って読むんじゃないの?」


「それも正しいよ。表外読みで『おん』とも読むの。陰陽師と隠密活動とはこの字でしょ?」


「あぁーそうだね! それでこの『おん』からどうして『おぬ』になるの?」


「鬼って言葉の語源は諸説あるけど、姿の見えないものを意味していたのがおぬ。このおぬが転じて『おに』って言われるようになった説があるの。私はこの説が一番好きな語源の由来」


「なるほど。あ、ごめん美鬼ちゃん、話を遮って……」


「……別に……構わんでありんす……」


 瑠美と紗理奈は再び鉄の柵に腰掛けて美鬼の話に耳を傾けた。


「母上はわっちが物心ついた時には何処かに行ってしまうことが多く、わっちはずっと一人で帰りを待っておりんした。長い時は三月みつきも帰らぬ時もあった」


「え!? 三月って三か月だよね!? 大丈夫だったの!? さっき子供の鬼って――」


 紗理奈の心配を他所に美鬼は鼻で笑ってくれた。何か面白いことを言ったのだろうか?


「心配せんでも良い。こうして生きておりんす。もうその時にはある程度の力がついておりんした。そこら辺の付喪神つくもがみ程度、相手にならんかった」


「へぇー。その時で何歳くらい?」


「六つくらいでありんす」


 幼い着物を着た美鬼を想像してみたが、どうあがいても日本が世界に誇る可愛いの頂点、そう、それは生態系の、いや! 命ある全ての者達の頂点に君臨する言わば神なのだと思い


「幼女の美鬼ちゃん! 尊死!」


 っと口に出してしまった。瑠美を見れば何を言っているのか理解できていなかった。浮気ではないことを弁解しようと思い


「いや! 瑠美ちゃん、違うの! 可愛いは世界が日本に! じゃなかった! 日本が世界に誇る可愛いの頂点、それは生態系の、いや! 命ある全ての者達の頂点に君臨する言わば神!」


「ぷっあはははは、黒木さん何を言ってるの? あはははは――」


 瑠美が紗理奈の話で吹き出してしまい場が少しばかり和んだ雰囲気になった。


「ぬしは本当に七夕でござりんす……それを傍から見ていて……羨ましかったのでありんす……」


「羨ましかったって? 何が?」


 紗理奈の問いに彼女の瞳の煌めきが消えてしまった気がした。


「ある山で暮らしていた時でござりんした。母上が何処かへ出掛けてしまう度、そう、その時からわっちは、一人でいるのが、孤独なのが哀しく辛く……その時、近場で遊びに興じておる妖怪変化達を見んした。ほんにぬしたちのように良く笑っておった。


 それが……羨ましかったのでありんす……


 わっちはそやつらの輪に入りたかった。何より、友を作ろうと話しかけんした。


 最初は鬼のわっちを怖がっていんした。当然でありんす。喰わるやもしれん相手から話しかけ、一緒に遊ぼうなどと言うのでありんすから。


 あやつらが嫌々だったのは解っておったが、一緒に遊ぶ内にだんだんとあやつらにあったはずの恐怖は薄れていきんした。


 誰かと話すことが嬉しくて、わっちは楽しかったのでありんす。何よりも、一人ではないことが嬉しかった。しかし、長は続きはせんかった――」


 また沈み込んでしまった美鬼は本当に人間ではないと思うと不思議な気持ちになってしまう。そんな事を瑠美も思っているのだろうかとふと考えた。


「何か、あったの?」


 そう言った瑠美は先ほどまで綻んだ表情は親身になっている真剣な顔だった。いや、むしろ、その表情は、少しばかり怖いとさえ思った。


「十六の時でありんした。母上が出かけた後、わっちはいつものように皆の元へと遊びに出掛けた。もうその頃には、わっちを疎ましく思っている者はおらんかった……しかし、何処ぞへ出かけるわっちを怪しんで、後を付けてきた母上に……他の者達と仲良く遊んでいる姿を見た母上は……母上の逆鱗に触れてしまい……」


 瞳に溜まった涙は決壊寸前になっていた。そんな美鬼を見ているのが辛く紗理奈は彼女に近づき肩に手を置いた。


「良いんだよ美鬼ちゃん。無理して話さなくても――」


「……それから……ずっと一人になりんした……」


「え?」


 ポロポロと降り始めの雨に似た涙が乾いた砂上に潤いを与えた。


「お前は何を考えているんだ! 下等な者達と戯れて、一族の名を! わしの名を汚すつもりか! 一族の恥さらし! 教えを守れ! お前は! わしの娘なんだぞ!」


 美鬼は胸を抑えながら喚いている言葉は、きっと彼女が言われたものだろう。その一つ一つの言葉の重みを感じ取ることができた。


「……それから……誰もわっちに近づかなくなりんした……また独りぼっちになり……孤独で死ぬかと思った……」


「大丈夫だよ」


 紗理奈の言葉に美鬼は顔を上げて彼女の顔を見た。穏やかで透き通った太陽の光にも似たその顔は優しさに包まれていた。


「もう美鬼ちゃんは一人じゃない。宮部先輩も、凜さんも、麗さんもいて、そして、私達もいるんだもん」


 瑠美も美鬼の元に歩み寄って紗理奈と同じような表情で


「もう、一人になることなんてないよ。美鬼ちゃん」


 っと想いを言葉に変えた。美鬼はまた瞳一杯に涙を溜め込んでいたが、そっぽを向いて腕で擦ると徐に立ち上がった。


「さぁ! もう行くぞ! これ以上遅くなると、ぬしの母上様からお叱りを受けてしますでありんす」


 今さっきまでと打って変わって、いつもの元気な、生意気な彼女に戻った。しかし、今自分達に見せている彼女は本当の彼女ではないのかもしれない。

 本当は寂しがり屋で強がっているだけなのかもしれない。そう思った。美鬼に言われてそういえば今何時なのか気になり紗理奈は美鬼の言葉を聞いてスマホで時間を確認した。


「ぎゃあああああぁぁぁぁぁ! もう九時半になるじゃん! 急いで帰ろう! 早く帰ろう!」


 慌てふためく紗理奈を見て二人は笑顔になった。紗理奈は内心焦ってもいたが、嬉しい気持ちも胸の内にあった。こんな時間がずっと続けば良いのに、そう思った。

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