綺麗な人

噂 前篇(加筆修正版)

 耐えきれないほどの暑さではないが、身体から出て行く水分は汗となって滴り落ちている。この暑苦しい空間の中で授業に集中しろとは無理があるのではないかと彼女は思っている。


 家にいる時の、いや、部屋でもスーパーでもカフェでも、今や何処にでもあり、まして職員室にはある物。そう、快適な空間を作り出しているクーラーが何故ここに設置されないのか不思議である。そんなことを考えていた。


 彼女にとって高校生活初めての夏休みが終わり、新学期が始まって二週間が経った。八月が残暑のこう晩夏ばんかのみぎりなどと時候の挨拶では定例文となっているはずなのに、照り付ける暑さはまだ炎暑えんしょと言っても良いだろう。


 これも温暖化の影響というものだろうか。これを異常気象だと思うのは他の人も感じていることだろう。


 二週間前までずっと家にいて涼しい部屋でテレビを見てボケッと時間を潰すか、友人達とショッピングや遊びにきょうじることが日課だった。


 そんな夏休みに戻ってずっと暇を持て余していたい。何なら一生遊び尽くせる人生なら良いと、そう思っていた。


 このような思考回路ではあるのだが、これでも高校の入学当初は大人しくしていた。地元の高校の中で偏差値がとても高い訳ではないが、悪い高校ではない。まぁ普通だと言うのが妥当な気がする。


 今の自分を中学時代の友人は垢抜けたと思うだろう。劇的に変化したわけではないが、それなりに違いがある。髪を染めているが校則に引っかかるほど派手に色を入れてはいない。


 特進クラスにいるのだから人を見た目で判断されては困る。これでも成績は特進クラスの中で真ん中に位置しているのだから。成績や内申書に影響が出ない範囲で遊んでいる。


 中学の頃には数学で満点を取ったこともあるのだ。学習塾や習い事も人並み程度に通った。高校に通う為に努力をした。でも、将来は平平凡凡へいへいぼんぼんで構わない。高望みはしない。


 彼女の頭の中でぐるぐると考えが巡っていた。あぁ、数学の授業に何の意味があるのだろうと疑問が出てきた。パソコンで簡単に計算してくれる時代に自分の思考で解いていくという過程が無駄に思えているのだった。


 あぁ、歴史の勉強をしなければいけないのか。今では簡単にインターネットで解らないことは調べられるのに。興味を持った知りたいものだけ自分の頭に記憶しておけば良いのではないかと思ってしまう。


 あぁ、英語を話せるようになんてこんな授業でできるはずがない。文章を組み立てる以前に単語を覚えることが難儀である。アルファベットとにらめっこしても頭の片隅にも残ることはないだろう。


 ここで得るべき知識が将来自分に必要不可欠な事柄であるか謎である。ましてや将来の展望も決まっていないのに努力することが馬鹿らしく思えている。


 黒木くろき紗理奈さりなは一旦思考を停止して周りに聞こえない程度で溜息をついた。口から吐き出された空気は大半が窒素で次に多いのが酸素、微量の二酸化炭素。こないだ授業でそんな小話を先生が話していたのを思い出した。


 授業以外のことを考えている自分がちょっと面白いなと思った。そして、こうして物事を考えている自分の思考傾向はロジカルなのではないかという答えに辿り着いた。


 そんな時にスカートのポケットに入っているスマホが振動していることに気付いてすかさずチェックするために、先生がこちらを向いていないのを確認してから画面を見た。


 《今日カラオケ行かない?》


 グループラインで送られたメッセージを見れば勝手に文章を指が入力してくれた。


 《オッケー》


 打ち込んで返信するまでに自分以外の既読が二つ付いた。これで全員がこのメッセージを読んだことになった。基本的に女はグループの輪を乱すようなことはしないはずだから今日も四人で遊ぶことになるだろうと思った。


 中学校から遊んでいる仲良しであるが、心の底から親友と呼べる仲ではない。それでも一緒にいて気を使うこともないので心地良いことは間違いない。


 早く時間が過ぎてくれないかと思っていると何故だか進みが遅い気がしてくる。眠くはないが仮病を使って保健室のベッドで横になって時間を潰そうかと一瞬だけ脳裏を過ったが自制しようと思った。


 ノートに黒板の文字列を書き留めている作業をしているだけでも時間は過ぎて行く。これで一分。先生が教科書を読んでいるのを聞く。これだけでも一分。ポケットに入れたスマホを見ようと先生の目を盗んでチェックして返信をする作業。これで二分。


 クラスメイトを観察して自分の他にも授業内容を右から左に流しているだけの人物を見つけて心の中で、早く終わって欲しいよねと同意を求めてみた。返事は来ないが多分怠いと思っていることだろう。


 そんなことをしている内に授業の終了を知らせるチャイムが学校中に鳴り響いた。日直の女生徒が起立の号令をして先生に挨拶して全ての授業が終わった。


 この後軽く掃除をしてホームルームをすれば、学校という隔離された箱の中で過ごす時間から解放される。


 今教室にいる全ての生徒が椅子を机に上げて隅の方に片し始めていることだろう。紗理奈もその内の一人である。


 紗理奈は机を隅に片すと掃除用具入れから箒を取り出して掃除を始めた。一緒に教室の掃除当番の他三名もそれぞれの担当をし始めた。


 内窓を拭く女子、ベランダに出て外窓を拭く男子、紗理奈と一緒に箒を持って教室内を掃除する女子。日直は黒板を消して自分の掃除当番の場所へと向かって行った。


「ねぇ、黒木さん」


「ん? どうしたの?」


「聞いても良いかな?」


 一緒に箒で掃いている小林こばやし瑠美るみが意気揚々としている。ここから話が面白くなるのだろうかと思ってしまったが、そもそもクラスメイトであってそれほど仲が良いと言う訳でもなく、ただ単に席が自分の前で同じ班にグループ分けされているだけの関係で、自分とは住む世界が違うとさえ思っている。


 彼女は成績優秀であり、学年トップ3にはいるほどなのだから自分とはえらい違いだ。そのため、低能な思考回路で物事を考えている自分とは次元が違うと思うのだ。


 瑠美とは二学期に入って席替えをして初めて話した。前の席だからと言って何か話している訳ではない。対して話す内容もないので紗理奈は他のクラスメイトと談笑することが多い。


 ギャルのようなスカートの短い自分とは見た目が違う。もちろん彼女のスカートは長い。馬鹿げているかもしれないが、瑠美は赤い眼鏡で絶滅危惧種ではないかと思うくらいの黒髪であり結構長い。茶髪にしている他の生徒と比べても黒髪に染めているのでは思うほど黒いのだ。


 しかも、まるでお決まりのように瑠美はクラス委員長でありスポーツも万能である。絵に描いたようなというより小説やそれこそアニメに出てくる完璧超人だとさえ思ってしまう。


 また、彼女には何処かのお嬢様疑惑さえあるのだ。家には執事がいるだいないだのとクラスメイトの間で一時期盛り上がっていたのだ。


 そんなドラマやアニメ、小説や漫画じゃないのだから、そんな人間がこんな田舎の高校にいるはずがないっと紗理奈はクラスメイトを鼻で笑っていた。


 とにかく、別段クラスメイトから嫌われている訳でもないし、そこそこ綺麗な顔立ちであると思う。瞳は大きくて綺麗で、声も自分とは正反対の細い声で素敵だ。特にきっと歌は上手だと思う。


 しかし、瑠美のことを褒めてはいるが紗理奈自身も自分はブスではないと思っている。瑠美が自分より可愛いかと言われると、そこはノーコメントを貫きたい。


 確かクラスの自己紹介の時だった。彼女は自己紹介の時に、曰く「知識は人生を豊かにし、力になるよ。知識の箪笥たんすに仕舞い込んでばかりいないで、取り出すことが大事です」と言っていた。


 それを聞いて何処かの参考文書とかの売り文句かと思った。彼女は自分の知らない知識を得ることが楽しいのだと言う。


 そして、自分に培っていく知識を頭の中の引き出しから取り出す時のひらめきの瞬間が好きなのだとか言っていた。凡人である自分には理解できないと紗理奈は思った。


 何よりも、彼女はやけに好奇心旺盛であり、興味あることには片っ端から首を突っ込んでいるのには困ったものだ。


 確かこの高校にある学園七不思議的なやつの捜査だか何かにのめり込んでいた春先のことが思い出される。いや、それにしても、こんなに目を輝かせている瑠美を見ると可愛いと言って抱きしめてしまいたくなる。


 別に女子が好きなわけではない。百合の波動など感じたことはないのだから。だが、何故か可愛いと思ってしまった自分がそこにいたのだ。そして、瑠美は自分の返答を期待しているように見えた。


「ねぇ? 聞いてる黒木さん? どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」


「え!? あ! ごめんごめん。ちょっと考え事してたの。へへへ」


 じっと瑠美の顔を見つめていて少し緊張した自分がいたが、どうしてなのだろうと思った。それと瑠美と会話した時の記憶はかなり鮮明に思い出した自分に感心したが、どうしてこんな話を思い出したのだろうと思った。


 しかし、今は現状の会話を成立させなくてはいけない。そこに集中しなければ。


「何を聞きたいの?」


「あのさ、夏休みに見た? 噂のパレード」


「パレード? それって夏休み始まってすぐくらいの夜にやってたやつ?」


「そうそうそれ!」


 一歩前に踏み出してさらに距離を縮めてきた瑠美に、紗理奈は一歩後退しようと思ったが、瑠美から漂う彼女の香りを嗅覚が反応し、少し頬を紅潮こうちょうさせてしまった。良い匂いだ。


「良い匂い……」


「ん? 何が?」


 首を傾げた瑠美を見て可愛いなぁっと思うと動揺して心臓が口から飛び出しそうになったが、辛うじて堪えることができた。


「ううん、何でもないよ……えっと、ごめん。見てないよ。話だけならちょっと聞いたけど」


 嘘だ。今話している傍から自分には脳裏に刻まれたあの夜の美しい光景がはっきりと思い出せているのだから。それでも、瑠美に話すことは出来ない。


 あれを言葉で表現できる代物ではないと言えれば良いのだが別にそうではないのだ。どうしてか言葉に詰まってしまうほど、それは美しく、夢のようで、奇跡だった。


「そうなんだね……」


 瑠美の表情が若干曇ったのが一目で解った。意地悪をしたくなったわけでは決してない。それほど仲が良くなくても、自分にとって得にも損にもならないのだから。


 では、なぜ自分は口を閉じてあの時の光景を言葉にしてあげないのだろう?


 誰かから聞いたなどと嘘まで言って。それに、何か引っかかる。モヤモヤとした黒い霧に覆われた先に二人いるのが見える。同い年くらいの男子と赤と白の着物を着た少女が――。


「黒木さん?」


「え!?」


「どうしたの? 気分でも悪いの? 遠い目をしてそのまま動かなかったから」


「ううん、何でもない。えっと、あの、小林さんはパレード見たの?」


「ううん……私は見てないよ……今情報を集めてるの。ねぇ黒木さん、誰から聞いたか覚えてる?」


「えっ? えっと、誰だったかな? 違うクラスの友達だったと思うけど……」


 嘘を重ねて地獄で閻魔大王えんまだいおうに舌を取られないように注意しなければいけないと思った。それに何故口が勝手に動いているように話しているのだろうか?


「その人から直接話を聞けないかな?」


「うーん。どうだろ? でもどうして?」


「どうしようかな? 黒木さんに話しても大丈夫かな?」


 瑠美が視線を下に向けて考えている姿に知性を感じる。しかし、先程から聞いていて少しばかりどんな話なのか気になってきた。


「もったいぶらないで教えてよ。良いでしょ小林さん?」


 合掌し小林大明神におねだりを可愛くしてみたのだが、反応は如何いかに返ってくるのだろうか楽しみである。


「小馬鹿にしないでね」


 瑠美がほくそ笑みながら紗理奈を見つめた。


 ちくしょう。可愛いじゃねぇか!


 っと叫びたかったが、それを抑えることができて自分の理性はまだ正常に働けるのだと確認できた。他の掃除当番の二人が机を教壇側に移動させ始めた。


 紗理奈と瑠美も彼らと一緒になって移動させ始めた。瑠美は紗理奈にだけ聞こえるような声で話し出した。


「そのパレードの夜から、この町に何かが起きてるの」


「え?」


「あの夜からね、町の様子が少しおかしいの。それにあれは何のパレードだったの?」


「何のパレード?」


 そういえば何のイベントだったのだろうか?


「あのパレードを見た人達は何も言わないか、まるで竜宮城にでも行ったような絵にも描けない美しさだったって言う人の二通りなの。そして、答えてくれた人達皆に共通しているのは、美しかったというだけで、


 紗理奈は自分が今どんな顔を瑠美に見せているのか想像出来るほど思考が働いていないと思った。しかし、きっと見せたことのないアホ面になっているだろう。


 瑠美に言われるまで気付いていなかった。確かにあのパレードは美しかったとはっきりと覚えている。


 だが、脳裏に浮かぶその光景は眩い光に包まれた無数の影達がただひたすらに歩いているだけで他に何も見えない。影の形は定まっていないが、様々な形がある。


 それでも美しいという言葉以外に思い浮かばない。でも、確かにはっきりと、この目で見たはずだった。あの言葉にできないような感動の光景を。


「おかしいよね? 何を見たのか覚えていないのに、美しかったって言うんだよ。それでね、あのパレードの夜から、この町が、変なの」


「変って、何が?」


「変なことはね、それは一つじゃないの。まずは、何処に現れるか解らない絶対に当たる赤い着物を着た占い師。髑髏どくろを使って占う姿は不気味だけど、ものすごく綺麗な人だって聞いた」


「あぁー! それ知ってるー。会ってみたいよね」


「実は占いで使ってる髑髏は本物って話だよ」


「良くある作り話だと思うけどなぁ。他には?」


「あとは群れを率いてる猫の中に、人ぐらい大きな猫がいるって話とか」


「そんな大きな猫がいるわけないでしょ」


 塵取りにゴミを集め始めた瞬間にそう言われた紗理奈は、徐々に熱を帯びていく瑠美の話しぶりに一歩引いて聞いていた。


 瑠美も話しながら塵取りにゴミを入れていて、それを見ていた他の掃除当番の三人は机を元の位置に戻し始めた。


「じゃあこれは? 町の屋根から屋根を駆け抜ける白装束しろしょうぞくの人の集団とか。中学生くらいの背格好のその集団は毎夜土木会社を転々として機材を壊して、いつも山の方に消えて行くの」


「そんなの聞いたこと無いよ。占い師はともかく、人ぐらいの大きさの猫とか白装束の集団なんて実際いないよ。屋根を駆け抜けるって忍者か何かじゃん」


「実際にこれは噂になってるんだよ。目撃証言は嘘じゃないと思う。それにね、見たのは一人や二人じゃないの。そして、おかしなことは事件まで引き起こしたの」


「事件?」


「そう、黒木さんも知ってると思う」


 机を元の位置に戻し、掃除が終わったので席に座った。瑠美も紗理奈の前の席に座った。まだ話が終わっていないのですぐに紗理奈の顔を見てきた。


 彼女は早く話の続きを話したくてうずうずしてたのだろう。紗理奈も話の続きが気になってしょうがなかった。


 それにしても誰からこんなヘンテコな話を聞いたのか不思議だ。もしかして、自分で作った話なのだろうかとも思ってしまった。


「事件ってもしかして切り裂き魔のこと?」


「そうだよ。この事件も実は……」


「ホームルーム始めるぞー」


 担任が教室に入るなりいつものセリフで生徒達を席に座らせた。瑠美は会話を遮られたのを訝しく思っているようで不満そうな顔していた。


 それでもまだ話している途中なので「また後で」っと言って前に向き直った。これ以上何を話すと言うのだろうか?


 実際、切り裂き魔の事件の概要は連日ニュースになっているので知っている。こんな田舎の町で起きた大事件なのだから当たり前の常識である。それは夏休み最後の週から起こった。


 帰宅途中のサラリーマンの男性が女性に声を掛けられ腕を切り突けられた。犯人の女性は逃走。切り裂き魔は昼夜、男女問わず襲われているそうだが、警察は未だに決定的な犯人の手がかりを掴めていない。


 人相書きでは長い黒髪でマスクをした女性とだけしか解らないが、それだけでも十分に怪しいと思える。これだけニュースで報道されればその顔にピンときて危険を察知するのは早くできるだろう。


 それでも、事件に遭遇して被害に遭う人はまだいるのが現実である。直面した危険に瞬時に対応できないのだろう。


 それは恐怖だ。恐怖は目に見えないが、自分の心にある物だ。だから、とても怖いのだ。考えれば考えるだけ恐怖は増大し、拡大し爆発する。


 まぁ、ゆっくりと聞いてあげようと思う。それにしてもどんな情報を持っているのだろうか。ホームルームの途中で母に連絡を入れた。


 《今日友達とカラオケに行ってくるから帰るの七時くらいになるから》


 母親は専業主婦をしているわけではないのだが、この時ばかりはかなり早く返信が来た。


 《あまり遅くならないようにね》


 そうこうしている間に瑠美はホームルームが終わってすぐに紗理奈の方を向いて意気揚々と声を弾ませた。


「じゃあ話の続き! これから話すことは私が独自に調査した最高機密だよ。それに警察関係者しか知らないはずの情報も私にはあるの」


「え? 何で?」


「情報のソースについては話せないの。こちらにも守秘義務があるから。それより時間大丈夫? 何か用事とかない?」


「用事はあるけどまだ時間あるから良いよ。四時に駅集合だから」


「なら良かった」


 瑠美の瞳はまるでキラキラと光る一番星の如く輝いているように見えるのは気のせいではないだろう。


 教室に残っているのは紗理奈と瑠美だけになった。二人だけになってこんな話をする日が来るとは夢にも思っていなかった。


「じゃあ、続きを聞かせて」


「まずは犯人が大きなマスクをした黒髪の女性だったってのは知ってるよね? その女性は被害者達に必ず『私、綺麗?』って最初に聞いてくるの。いきなりそんな質問されても答えられる人はいないよね? 最初の被害者のサラリーマンの男性はね、女性を無視して再び歩くと今度は右肩を掴まれて、振り向いた瞬間に切りつけられた」


「ちょっと待って。何それ? てかさ、『私、綺麗?』って何? マスクしてるから顔を見れないんでしょ? それに振り向いた瞬間に切りつけられるなんて最悪だし。普通道端で声掛けられて答える人なんていないよ。ただの頭のおかしい人じゃん」


「おかしい人ね。でも、それが私達と同じであるなら、ね」


「ん?」


 紗理奈は背筋をヒヤッとした感覚が襲って鳥肌が立ったのが自分で解った。


「実はね、その質問に答えた人がいるの。質問に答えたのは小学生の男の子だったの」


「ちょっと待って。被害者に子供はいないでしょ?」


「被害者じゃないの。男の子は切りつけられなかった。いわば、女性の正体を見た唯一の目撃者なの」


「それで? 男の子が見た切り裂き魔はどんな人だったの?」


「女性は男の子に『私、綺麗?』って聞いた。男の子はマスクをしていても解ったんだと思う。『お姉さんは綺麗だよ』って答えたら、女性はマスクを外したの」


 何故かここで瑠美は話を止めた。肝心な部分で話を中断されるとその続きが気になってしょうがない。とても意地悪な話し方をするものだと思ったが、自分からの一言を待っているのだと察した。


「ねぇ! どんな顔だったの!?」


「まずその女性はマスクを外して『これでもかー!』って叫んだ」


「これでもって何!? だからどんな顔だったの!?」


 瑠美はまた間を作っている。雰囲気作りをしているのだろうが早くして欲しい。気になってしょうがないのだから。


「マスクを外した女性の顔はね、


 一瞬思考が停止しそうになったのは言うまでもないだろう。想像していたよりもあまりにも低かった過ぎた。


「ぷっ。何それ。あはははは」


 ついつい本音がポロリと出てしまった。少しばかり期待していた自分が馬鹿らしくなってしまったのだ。張りつめていたような緊張から解き放たれて、それが声を大にした笑いとなってしまった。


「黒木さん、ちゃんと話を聞いてよ。耳元まで口が裂けている女っていうのはね。1979年に広まった都市伝説なんだよ。調べて見れば解ると思う。これは口裂け女っていう妖怪、または怪異、化物だよ」


「あはは……ふぅー、口裂け女? あぁー聞いたことあるかも」


 ホラー映画か何かでそんなタイトルがあったような気がする。それでも全く興味をそそられることはない。

 話の流れ的にこんな突拍子もない話になるのだと思っていたが、拍子抜けしてしまった。


 あれだけ溜めていた間も効果は薄かったようだ。瑠美は演出家にはなれないなと思った。それでも時間を潰しにはなったので良しとしよう。


「男の子はね。その顔を見て必死に家まで走って逃げて母親に話した。そして警察にこのことを――」


 瑠美の話は十分面白かった。最後の肩すかしがなければもっと良かったが。まさか瑠美がこんなにもオカルトに精通しているとは思ってもなかった。


 意外な一面だなと思いながら、瑠美の力んだ話が一段落したところで教室の時計を見て切り出した。


「小林さん、私そろそろ行くね。結構面白かったよ。また話そ」


「うん、そうだね。解った。私も帰る。ねぇ、途中まで一緒に帰らない?」


「良いよ」

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