宮殿潜入(3)

「その根拠は?」

「いまリシュリュー枢機卿が、ルーヴル宮殿の近くに新しい屋敷を建造する計画を立てていることは知っているか? かなり大規模な工事をするらしいが、その屋敷造営のために、枢機卿は優れた建築家、技術者、画家たちを雇っているのさ。そういった人々の中には、かつて太后のリュクサンブール宮殿改築に関わった人間が少なからずいる。あの抜け目無い枢機卿のことだ。彼らから、リュクサンブール宮殿の見取り図くらいは入手しているだろう。いや、もしかすると……」

「もしかすると?」

「秘密の隠し通路を知っているかも知れんぞ、シャルル君」


 まさかここでリシュリュー枢機卿が出てくるとは思いもしなかったシャルルだが、ニコラの言う通りなら、いますぐプチ・リュクサンブールに行って枢機卿に会おうと考えた。


「シャルル。もしかして、枢機卿の力を借りる気か? あの御仁は、いまは我々銃士隊と手を組んでいるが、本来はトレヴィル殿と犬猿の仲なんだぜ? 嘘の情報を教えられたらどうする気だ」

「あの方だって、いまは俺たち銃士隊が頼りなんだ。協力は惜しまないはずだ。……それに、俺たちはこの作戦を絶対成功させなければならない。たとえ宿敵の手を借りてもな」


 父ベルドランの家訓状第百二十四条いわく、『利用できるものはネズミのしっぽでも使え』。無策のまま宮殿に忍び込んでも、おそらく失敗するだろう。銃士隊への入隊がかかっているこの大一番、シャルルはどうしても負けられないのだ。コンスタンスにも、銃士としての資質を証明してみせると約束したのだから……。


「ありがとう、ニコラ。おかげで助かったよ」

「なあに、これぐらいは常識の範囲内さ」


 ニコラはロシナンテに再び跨り、ランタンをゆらゆらさせながら、「じゃあな」と去って行った。


「君たち、死ぬなよ」


 闇の中、すでに姿が見えなくなったニコラのぼそりとした呟き声が、夜風に運ばれて、シャルルの耳に伝わった。







 リシュリュー枢機卿の屋敷、プチ・リュクサンブールは、気味が悪いほど静かだった。

 屋敷内の護衛士の数も少なく、明日、大事件を起こそうとしている人物の屋敷にはとても思えない。


 シャルルとアトスが面会を求めると、リシュリューは彼らを五分ほど待たせただけで、すぐに執務室に招き入れた。


 午前中、ベッドで寝込んでいたリシュリューだが、午後になって次第に気力を回復させ、椅子に座って政務をとれるまでに復活していた。


「リュクサンブール宮殿に忍び込むための隠し通路?」

「はい。猊下ならば、ご存知のはずです」


 シャルルは、あえて決め付けるように言ってみた。自信が無さそうに言うと、甘く見られて、くれる情報もくれないのではと考えたのである。


「はっはっはっ。さすがにガスコンは厚かましい」


 リシュリューはシャルルのふてぶてしさを気に入ったらしい。この陰気な男にしては珍しく爽やかに笑った。


「ほら、持って行きなさい」


 リシュリューは、机に広げていた一枚の巻紙をシャルルにポイと投げて渡した。驚いたことに、それはリュクサンブール宮殿周辺と宮殿内の見取り図だった。


「くれてやる。私はすでに暗記しているからな」

「ありがとうございます……」


 あまりにもあっけなく見取り図が手に入ったため、シャルルは拍子抜けした。そういえば、リシュリューは何のためにリュクサンブール宮殿に忍び込むのかと聞きもせずに、見取り図を渡している。午前中、トレヴィルとリシュリューが立てた計画には宮殿への潜入作戦など無かったはずだ。トレヴィルの供としてそばにいたシャルルは、そのことを知っている。


「どうした、シャルル・ダルタニャン。妙な顔をして」


 シャルルの困惑は顔に出ていたらしく、リシュリューにそう問われた。根が真っ正直なガスコンの少年は、慌てて取り繕おうとする。


「い、いえ。猊下は意外と太っ腹だなぁと思っただけで」

「これは君への好意だよ。私は、まだ君のことを諦めてはいない」

「…………」


 護衛士にならないか、というリシュリューの誘い。シャルルは一度断ったのだ。たかが一介の少年剣士を相手に、なぜ執拗な勧誘をするのだろうか。


「私は、才ある者を愛する。覚えておいてくれ」


 これ以上、口をきいたら、リシュリューの老獪な口車に乗ってしまいそうだ。そんな危機感を抱いたシャルルは、「失礼しました」と、あいさつもそこそこに執務室を辞去した。アトスが慌ててシャルルを追いかける。


「ふむ。やはり、ガスコンは一筋縄ではいかんようだ」


 執務室に一人となったリシュリューが呟く。


「それにしても、トレヴィルめ。思った通り、アンヌ王妃に振り回されておるな」


 当初の計画には無いリュクサンブール宮殿への潜入作戦。なぜトレヴィルがこのような作戦を実行したのか。リシュリューには察しがついていた。


 マリー太后のリュクサンブールとリシュリューのプチ・リュクサンブールは、隣近所と言っていいほどに近い場所にある。だから、無闇に護衛隊を屋敷内に集結させると太后に警戒されるため、今回、リシュリューは護衛士たちの多くを密偵として使った。パリの街中に潜ませ、太后の動向を探るのである。


 そして、午後に入った情報によると、マリー太后の馬車が国王ルイ十三世の仮宮殿に入って、すぐに出てきたかと思うと、太后の馬車を追いかけてアンヌ王妃の馬車が仮宮殿から飛び出した。そして、リュクサンブール宮殿で太后と王妃が一時間ほど会見をしていたというのだ。その話の内容までは分からない。


(しかし、アンヌ王妃がマリー太后の陰謀に巻き込まれていることは確かだ。もしかすると、例のバッキンガム公爵の私生児を太后に奪われたのかも知れない)


 トレヴィルは、アンヌ王妃がマリー太后の言いなりになって、陰謀に加担しないようにするため、人質となっているバッキンガム公爵の私生児をシャルルたちに救出させようとしているのだろう。反逆者たちを捕縛する作戦が実行される予定の時間までに。


「そして、シャルル・ダルタニャンは試されているのだ」


 トレヴィルは見定めるつもりなのだろう。自分の宿敵であるリシュリューが興味を持ち、我が物にしようとしているシャルルという少年の実力を。

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