第003話 暗黒の終焉

 宝石は光を放つと粉々に砕け散る。


 黒紫の光が細雪ダイヤモンドダストのように降り注いだ。

 周囲に在るすべての物質が薄く硬質な輝きと共に黒い結晶になっていく。


 断崖が。

 溶岩が。

 竜神ナクラーダルの鱗が。

 そして、クルトの髪までもゆっくりと結晶化していく。


 竜神ナクラーダルが言った言葉を思い返す。


 暗黒結晶石ストーン・オブ・ダークマター

 名前だけは知っている。ずいぶん昔に読んでもらったおとぎ話で聞いた道具だ。


 おとぎ話では暗黒の力を封印して悪神を捕える内容になっていたが、まさか……、そんなものを誰がどこから用意した……?


「女神様、捕らえましたぞ!」


 断崖の上から勝利の勝鬨が聞こえてきた。

 見上げれば、十人の女神騎士と女神司祭がいた。


 さらに、クルトの探し求めていた者が立っていた。


 背中に生えた一対の白翼、白と金を基調とした甲冑、誰もが見返るような美貌の乙女、放たれるのは神の気配。

 神の気配を纏う者の姿を目に納めて、クルトの心臓はいまにも破裂しそうなくらいに脈打つ。


「よくやったわね。……あとは私がやるわ。貴方たちは竜人族ドラゴニュートたちを滅ぼしなさい」


「ハッ! 我らが女神様に勝利を!」


 女神騎士と女神司祭は口々に祈りの言葉を唱えると走り去っていった。

 女神は女神騎士と女神司祭の姿が見えなくなったのを見計らい、こちらに視線を戻した。


 そして、にぃっと唇を歪める。


「いいざまね、ナクラーダル」


『……アストリッド! 貴様――ッ』


 竜神ナクラーダルは飛翔し女神に飛び掛かろうとするが、暗黒結晶石ストーン・オブ・ダークマターの光に照らされた翼は黒い結晶に覆われようとしていた。

 すでに結晶化して固まりつつある翼で羽ばたくことはできない。


 竜神ナクラーダルはゴウッと息を吸い込むと、火炎の吐息ファイアブレスを女神に浴びせかけた。


「女神――ッ!」


 クルトはまだ動かせる左手を女神へと向ける。


射手の傲慢プライド・オブ・サジタリウス!」


 奇しくもクルトと竜神ナクラーダルの攻撃は同時に放たれた。

 魔力の塊が、灼熱の炎が、女神を滅ぼさんと殺到する。


 女神は嘲りの笑みを浮かべたまま魔法を唱える。


聖域の純潔ヴァージニティ・オブ・サンクチュアリ


 女神を包み込む極光の壁があっさりとクルトの魔法攻撃と竜神ナクラーダルの炎の吐息を霧散させた。

 それが限界だった。


 クルトの左手は指先まで暗黒結晶石と化す。

 すでに右手は黒金鉄オブシス・メタルの大剣ごと固まってしまっている。

 両足は暗黒結晶石に包まれて地面と一体化していた。

 もはや動くことはできない。


「ふふ、弱ったお前たちなど敵ではないわ。わたしは人族に愛される至高の女神なのだから」


「――ッ、くそ……」


 女神騎士たちが近くにいることは竜人族ドラゴニュートの死体でわかっていたが、女神が降臨しているとは思わなかった。


 神の降臨する瞬間は目立つ。

 竜神ナクラーダルも天地を貫く雷鳴と共に降臨して世界中が大騒ぎになった。


 いったいどうやってこの場に現れたのか。


 果たすべき復讐が目の前にあると言うのに、クルトはただただ、女神を睨みつけることしかできない。


 女神は目の前を漂う暗黒魔法の残滓を払いのける。

 そして、クルトを見ると満足そうに目を細めた。


「……貴方を待っていて良かったわ。竜神を討滅するのは面倒なのよね」


「……オレを、……利用したのか!」


「ええ、そうよ。あとでご褒美をあげる。感謝しなさい」


 女神は涼しい顔でクルトの脇を通り過ぎて、竜神ナクラーダルの足元まで歩み寄ってくる。


 視界一面が暗黒結晶化しつつある。


 竜神ナクラーダルは暗黒結晶石に変異していく体を引きずりながらもがいている。

 しかし、四肢はすでに地面に縫い付けられており、唯一動かすことができるのは長い首の部分だけとなっている。


『……どんな奇術を使った! 降神の儀式はなかったはず……!』


「教えるわけないでしょ、馬鹿ね。それに、魂ごと石になるのに知ってどうするのかしら」


 竜神ナクラーダルは低く呻き声を上げる。


『……ならば、何故、こんな戦争を始めさせた! 人族と竜人族ドラゴニュートは共存していたはずだ!』


 女神が顔を歪める。

 吐き捨てるように言い放った。


「共存ですって? ……蜥蜴風情が。貴方たちみたいな原始的で下等な生物は、人族の繁栄に邪魔なのよ。一匹残らず狩り殺してあげるわ」


 竜神ナクラーダルは目を剥いた。


『……侵略でも奴隷でもなく、種族を、竜を滅ぼすというのか……!』


『させぬ! 断じて許さんぞ、アストリッド――ッ!』


 大気を震わせる怒声が響き渡る。

 暗黒結晶と化した鱗の一部があまりの剛力に砕け散り、大地を跳ねた。


「無様ね、フフフ――、貴方は何もできないわ」


 女神は余裕の表情で竜神ナクラーダルを眺めている。


「これから竜人族ドラゴニュートの首を刎ねてあげる。子供から大人まで何千、何万、の首を貴方の前に並べてあげるわ。石の身体でせいぜい吼えていなさい。祈る者が死に絶え、その魂が消え去る瞬間までね、ウフ、フフフ――、アハハハハハハハ――」


『……おのれ! お、のれ……、……ア、スト、リッ――ド――!』


 竜神ナクラーダルは憤怒の表情のまま暗黒結晶の像となり動かなくなった。


「――さて、と」


 女神はゆっくりと振り返る。

 冷たい微笑みをクルトに向けた。


「お待たせ。最後に言い残すことはあるかしら?」


「……最後になんて、させるかよ! ……輪廻に呑まれても、神への、恨みは忘れない!」


 クルトはいまにも首筋に食らいつかんばかりに叫ぶ。


「フフ、怖い、怖い……」


 その様子を眺めて、女神アストリッドはわざとらしく肩を抱いて身をよじる。


「私、悲しいわ、涙がこぼれそうよ。昔はあんなに熱心にお祈りしてくれたのに。ねえ、女神騎士のクルト様? 貴方のお祈りが聞きたいわ」


「……オレは……、暗黒騎士だ。もう二度と、……神には祈らない」


 女神アストリッドはつまらなそうに首をすくめた。


「あら、残念ね。助けてくれ、と祈る可愛い姿が見れるかと思ったのに」


 女神は命乞いをする者も容赦なく殺す。すがりついて助けを求める様子を存分に愉しんでから、あっさりと首をはねるだろう。


「そうね、――これがいいわ」


 女神は何かを思い付いたのか笑みを深めた。


「ご褒美に殺さないであげる。暗黒結晶石ストーン・オブ・ダークマターに囚われた体は決して輪廻に戻らない。閉ざされた闇の中、唯在り続けるだけの魂に苦しみ悶えなさい。暗黒騎士なんだからお似合いよね?」


 指一本動かない世界で永遠に女神への恨みを吐き続ける姿でも想像したのか、女神は愉しそうに呟く。


「この……!」


 背中から骨が凍てつくような悪寒が奔った。この怒りと悲しみを抱えたまま、女神を呪いながら、永遠を生きろというのか。

 バキリと奥歯が鳴る。憤怒のあまり右眼から一筋の涙が流れ落ちていく。


「……いい顔ね。とってもとっても愛しいわ、食べてしまいたいくらい」


 女神はクルトの頬に両手を添えると、流れ落ちた悔し涙をペロリと舐めとっていった。


 何もできない。

 辛うじて動く口を開く。

 顎の先まで石化したクルトは刻み込むように言葉を女神にぶつける。


「……いつか、必ず、……お前を、殺しにいく……必ず、必ずだ……!」


「――期待しないで待っているわ、黒曜石の騎士様」


 女神アストリッドは美しく嘲笑う。


 そして。

 クルトの全身は暗黒結晶となり、すべては闇に閉ざされた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 ――どれくらいの時間が流れたのだろうか。


 何も聞こえず、何も見えず、広くて冷たい闇だけを感じる世界。


 ジリジリと胸を焦がすのは己の激情。

 クルトは焼け爛れた体を塩水に浸されているような痛みに苦しんでいた。


 声を出そうにも叫べず。

 身を捩ろうにも指一つ動かず。

 眠ることも、死ぬことも許されない、闇の牢獄。

 気が狂いそうなもどかしさだけが、クルトを責め続ける。


 ふと、胸元に人の手を感じた。

 胸の熱が手の冷たさのおかげか和らいだ。


「……、……。……、……」


 声なき声が心に語りかけてくる。

 何を言っているのかは聞き取れない。


 だが、どこか懐かしく、優しい響き。

 いったい誰の声だったろうか。


 気づけば全身の痛みは遠のいていた。

 いまなら少しだけは眠れそうな気がする。


 クルトは束の間の安らぎに身を委ねると、暗闇の底へと意識を手放した。

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