顔なし
顔なしとは長い付き合いだ。幼い頃から、わたしはよく夢を見た。そのうち毎夜見る夢の中に、ある人物が繰り返し登場していることに気づいた。
「あなた、この前もいなかった?」
わたしが声をかけると、友達の顔をした何者かはぎょっとしたように目を丸めた。
「よく、気づいたね」
それが顔なしとの出会いだった。それ以降、夢を見る度、顔なしを探すようになった。彼はあえて自ら名乗り出るようなことはせず、わたしが見つけるのを待った。言うなれば、かくれんぼだ。わたしは無数の顔の中から顔なしを探す。幼いわたしは無邪気にそのゲームを楽しんだ。
「顔なしにも家があるの?」そんなことを訊いてみたことがある。
「もちろん」顔なしは言いながら、わたしの頭を撫でた。「そのかわいいおつむの中にね」
「どういうこと?」
「目を閉じて想像してみるんだ」顔なしは囁くように言った。「この世でいちばん素敵なところ。君が住んでみたいと思う場所を」
わたしは顔なしの言葉に従った。
「お城」わたしは目を閉じたまま続ける。「大きなお城が見える。ディズニー映画に出てくるような白いお城」
「じゃあ、そこが僕の家だ」
「嘘」
「嘘も本当もあるもんか」顔なしは笑った。「これは夢なんだ。僕がそう言えば、その通りになるんだよ」
「わたし、顔なしの家に行ってみたい」
「いまはまだ早い」彼は優しい声音で言った。「その時が来たら君を迎えに行くよ」
「本当に?」
「ああ、約束する」
顔なしは恭しいしぐさでわたしの手を取り、小指同士を結ばせた。いまでも昨日のことのように思い出せる。その日の顔なしは、英会話教室の先生の顔をしていたこと。その手の大きさ。わたしの胸に灯った、仄かな感情。
顔なしは優しかった。そのことは認める。
「君は変わってしまった」顔なしはあの日と同じ顔で言った。「幼い頃の君はあんなに素直だったのに」
「子供のままじゃいられないの」わたしは付け足す。「あなたにはわからないだろうけど」
夢の話なんて、もう誰も見向きもしない。むかしとは違うのだ。いつまでもそんな話をしていたら、きっといまに見捨てられてしまう。わたしは爪弾きにされ、教室の隅でずっと眼鏡を掃除しながら過ごすことになる。
「そうかもしれない」意に反して、顔なしはあっさり認めた。「ああ、そうさ。僕はこの世界から出られない。年を取ることもない。君たちの事情なんてわかりっこない」
英会話教師の顔が悲哀に歪む。わたしがどうしてもRの発音ができなかったときと同じ顔だ。その顔を見ると、いつも自分がとても悪いことをしている気分になった。自分が世界で一番愚かな子供であるかのように思えた。
そんな顔をするのは卑怯だ。
「知らない」わたしは顔を背けながら言う。「とにかく、もうわたしに付きまとわないで」
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