1-1-03

 二月の寒空に、この薄着ではさすがに寒かったのだろう。

 マンションに着くと、彼女はほっと、ため息をついたあと、ぶるっと体を震わせた。

「ちょっと待ってて。なんか着るもの持ってくるから」

 とりあえず俺のダウンジャケットを羽織らせて、リビングの暖房を入れる。こたつの中に下半身を突っ込んでじっとしている彼女の後ろ姿を確認してから、俺はバスルームに入ってドアを閉めた。

 たぶん、つかまらないだろうと思いつつ、スマートフォンで親父を呼び出す。

 今、どこにいるんだっけ。

 確か、ブラジルに行ってから、そのまま北欧に飛ぶっていってたような――。

 と、記憶をたどっていると、珍しくつながった。

「おお。久しぶり」能天気な親父の声が聞こえた。

「おお、じゃねーよ! ちょっと確かめたいことが――」

 そのとき、大きな歓声が聞こえて、俺の言葉を遮った。

「おーい。もしもーし」

 呼びかけるが、返事がない。向こうは聞こえてないみたいだ。

 競技場か。やたらと音楽がうるさい。いや、違うな。どうやら室内みたいだ。このズンズンと腹に響くベース音……。さてはクラブだな。

 まったく、いい歳して――と思ったら、出た。

「ああ、すまん、すまん。もしかして、もう着いたのか?」

 やっぱり、こいつの仕業か。

「いったいどういうことだよ、あれ――」

「いやぁ。実はさ、知り合いが育ててたんだけど、面倒みきれなくなったってんで、俺が引き取ることになったの。なんかすっかり懐かれちまってさ。まあこれも、いわゆる運命ってやつ? そんなわけで、俺が帰るまで、面倒見てやってくれな」

「いやいや、ちょっと待てよ。そんなのできるわけ――」

 突然、耳元から「ヘーイ、シンイチロー」という女性の声が聞こえてくる。どうやら親父を呼んでいるみたいだ。そしてまた歓声。なんか、すげぇ盛り上がってるな。

「とにかく、わからないことがあったら、ほたるちゃんに聞いてくれ。彼女にも伝えてあるから。そんじゃまあ、よろしく!」

「おいこら、ちょっと待っ――」

 切れた……。

 こうなったら、今後しばらく連絡は取れないだろう。

 このいい加減さ。わが親ながら情けなくなる。

 それで……どうすりゃいいんだ?

 リビングに戻ると、さっきと同じ姿勢で彼女は座っていた。しきりに部屋の中をきょろきょろと見渡している。

 俺は向かい側に座った。

「ええと。キミ、名前は?」

「名前。私の名前を尋ねているのですか」

 なぜか、すごく嬉しそうだ。

「うん……そうだけど」

「私の名前は、メサ、です」

 メサ――ということは、やっぱり外国人なのか。

 ところで、なんでこの子はこんな、どや顔をしてるんだ? と思ったら、メサは突然ヘンなことをいいだした。

「悲しいですか?」

「は? いや、別に悲しくはないけど」

「じゃあ、苦しいですか? それとも悔しいですか?」

「……苦しくも、悔しくもないよ」 

「そうですか……」

 ……大丈夫かな、この子。

 やっぱりちょっと日本語がおぼつかないのだろうか。気を取り直して、今度はこちらから質問してみた。 

「それで、メサはどこから来たの?」

「いえません」メサはきっぱり答えた。

「え? 何かまずいことでもあるの」

「まずい?」

「ええとつまり、何か問題がある?」

「問題は、あります」

「そ、そうなんだ」

 これ、どこまで突っ込んで聞けばいいんだ。

「そうだ。キミ、荷物は?」

「荷物?」

「どこから来たのか知らないけど、まさか手ぶらで来たわけじゃないだろ」

「に……」

「に?」

「兄さんのところに」

「お兄さんがいるの? こっちに?」

「はい。兄さんも、こっちに来ています」

 俺は少しほっとした。あとで、お兄さんに連絡すべきだろうな。 

「それで、さっきの話なんですけど」と、メサは切り出した。

「さっきの話?」

「ライトノベルを書くの、やめてほしいんです」

 俺はため息をついた。

「親父から何をいわれたのか知らないけど、俺は小説を書くのをやめるつもりはない」

「そうですか……」

 がっくりと、メサはうなだれた。

「だいたい、キミには関係ないだろ。俺がラノベを書こうが書くまいが」

「関係は、あります」

「どういうふうに」

 メサが顔を上げた。緑色の瞳がじっと俺を見つめる。

「あなたが書くのをやめないと、世界が滅ぶからです」

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