第3話

 レオン兄様やエル兄様から齎されたお話に、お二人に詰め寄りました。


「レオン兄様、エル兄様、一体何があったのですか?!」

「ジュリアス様が賊に襲われたらしい。わざわざ僕の非番の日を狙ってね」

「お怪我はひどいのですか?」

「かなりの手練れだったそうだが、返り討ちにしたらしい。さすがはジュリアス。命に別状はないが、腕をやられたらしい」


 憮然とそう仰るエル兄様やレオン兄様の言葉に、ほっと胸を撫で下ろします。

 わたくしが心配するその様子を見て、エル兄様が「お見舞いにお菓子でも作ったら?」と提案してくださいました。


「ですが……ご迷惑ではありませんか?」

「大丈夫だよ、ルナ。僕も手伝うし、僕もジュリアス様のところに行きたいし。一緒に行こう?」


 それならばと承諾し、いろんな味の、一口サイズのクッキーやタルトを作りました。わたくしにできることはこれくらいしかありませんでしたから。

 作ったものの一部は家族や使用人に振る舞いましたが、みなさまは市販のよりも美味しいと仰ってくださいます。お世辞でもそう仰ってくださると嬉しいと思うわたくしは、単純なのでしょう。

 籠に布を敷き、作った物を入れたものを二つ作ります。それに別の布を被せれば、いつでも出かけられます。

 一つは傍にいた執事に頼んで、エル兄様に内緒で馬車に乗せておいてもらうことにしました。これはあとで持って行くところがあるのです。


「エル兄さま、ありがとうございます。助かりました」

「どういたしまして。じゃあ行こうか?」

「はい。あ、エル兄さま、行く前に贔屓にしている商会に寄っていただきたいのです」


 まだ先ではありますが、あと数ヶ月もすれば冬が参ります。この大陸の冬は長く厳しいので、できれば冬が来る前に、いろいろと作りたいものがあるのです。その材料を購入したいと考えておりました。まだ夏ですが、この国ではそういったものが早く出回りますので、無くなる前に購入するのが基本なのです。

 なければ注文をし、取り寄せていただかなければなりませんしね。


「構わないよ。何を買うの?」

「毛糸と刺繍用の布と糸ですわ。今年は寒くなりそうですし、膝掛けと、首に巻く物を作ってみようかと思っておりますの」

「ああ、北のほうでは当たり前だという、『マフラー』というものだね」

「はい。皆様のぶんも作りたいのです」


 わたくしが考えていることを笑顔で伝えますと、エル兄様や執事が笑顔を浮かべてくださいました。


「なら、大量に買って、屋敷に届けてもらうようにしよう」

「ありがとうございます、エル兄さま!」

「気にしないで。さあ、出かけようか」


 にっこり笑って篭を持ち上げたエル兄様のあとに続きます。残りは使用人たちと山分けしてと料理長に言い置き、出かけました。もちろん、家族のぶんは除けてあり、執事にお茶の時間に出すようにと伝えてあります。

 そして今回はわたくしの要望通り、先に商会に参りました。


「この色ならエル兄さまに似合いそう」


 色とりどりの毛糸やそれを編むための棒針や刺繍用の布と糸を購入し、全て屋敷に届けるよう頼みました。その後ジュリアス様のお屋敷に出かけるべく、商会を出て馬車へと兄と歩きだしたその時でした。


『ライオール公爵家のジュリアス様が、ラインバッハ侯爵家のステラ様と』

『あ、知ってる! ご婚姻間近なんでしょう? しかも』

『怪我をされたジュリアス様に付きっきりで看病されたりしてるとか』

『陛下に続いて美男美女のカップル誕生?! わ~、素敵!』


 そんな街の人たちの声が耳に入りました。


 ――え……? ご婚姻……間近……?


 その言葉に、ふいに最近のジュリアス様のお顔を思い出します。

 わたくしの顔を見るたびに視線を逸らされたり、眉間に皺が寄っていたりしておりました。

 やはり……と思うと、視界がグラリと揺れます。


 バカみたい……レオン兄様の妹だから接してくださっていただけなのに……。


 そう思うと、胸が痛くて仕方がありません。


「ルナ……」


 エル兄様が心配そうに、わたくしの顔を覗きこみました。


「大丈夫かい?」

「兄さまは……」

「うん?」


 心配してくださるエル兄様の言葉を遮り、勇気を出して質問することにいたします。


「エル兄さまは、この噂をご存知でしたのですか……?」

「知ってたよ……屋敷の皆もルナの気持ちも知ってる。だから、皆には黙っているよう、兄上にお願いした」

「……くれ、たら」

「うん?」


 そのお話に、胸がギュッと痛みます。エル兄様にしがみつきながら、呟きました。


「仰ってくださったら、お見舞いに行こうなんて思いませんでたし、言われても頷きませんでしたのに……」


 嗚咽をもらすわたくしをギュッと抱きしめ、「ごめんね、ルナ……ごめん」と、エル兄様はそう呟き、背中を撫でてくださいました。

 ここだと目立つからと、一旦馬車に戻ります。そして馬車はライオール家へ向けて走り出しました。


「落ち着いた?」


 馬車が走っている間、ずっと背中を撫でていてくださったエル兄様。まだ小さく嗚咽をもらしてはおりますが、先ほどよりはましになりましたので、ハンカチで涙を拭いて頷きます。


「……はい」

「もうじきジュリアス様のお屋敷だけど……ルナはどうする?」


 本当はジュリアス様にお会いしたいですし、ご無事かどうか、この目で確かめとうございました。ですが、婚姻間近の女性がいらっしゃるのならば、わたくしに見向きもしないだろうと思うのです。

 ですから首を横に振って、行かないと告げます。


「馬車で待っております」


 そんなわたくしの様子をちらりと見たエル兄様は、「わかった」と告げると籠を持ち上げました。そのことに驚きます。


「……エル兄さま、それを持っていくのですか?」

「僕も手伝ったからね。何か問題でも?」


 首を傾げて問いかけるエル兄様。それに、ジュリアス様に料理を振る舞うのは最後になるかも知れないのです。でしたら、せっかく作ったものなのですから、食べていただきたい……。


「……いいえ」


 そう答えて素直に従うと、エル兄様は籠を持って馬車の外へ出ました。

 そして馬車の窓から、エル兄様の様子をそっと窺います。


 扉をコツコツと叩く音が聞こえます。

 しばらくすると執事らしき人が出てきて、何やら説明しております。

 「お見舞いです」と篭を差し出し、申し訳なさそうに頭を下げるエル兄様に対し、執事らしき人は困った顔で「少々お待ちください」と仰る声がして、しばらくたったその時でした。


 庭のほうから執事らしき人を先頭に綺麗な人を伴って、ジュリアス様が歩いて来たのです。その女性は、噂になっていらっしゃるステラ様なのでしょう。

 女性を見るジュリアス様のお顔には笑顔が浮かんでおりました。

 そして、エル兄様にも浮かべております。


 ――あのように笑うのですね……。わたくしには笑顔一つ、見せたことはありませんのに……。わたくしにも、あのような素敵な笑顔を向けてほしかった……。


 そう思ったら、悲しくなりました。病弱なわたくしに来る縁談は、極端に少ないと聞いております。誰かに嫁がなくていいのであれば、皇都ここにいる必要はないとさえ思ってしまいます。


 最初にわたくしに向けられた笑顔と、料理を誉めてくださった言葉だけで十分です。ここにはいられない……いたくない。レオン兄さまにお願いして、皇都を離れようと思いました。


 そして馬車の窓から顔を背けてエル兄様やステラ様と思しき方と笑顔で話すジュリアス様から目を放し、静かに泣きました。



 ***



 ガタンという音で目が覚めました。そこにエル兄様が馬車に乗り込んで来ました。どうやらわたくしは、いつの間にか眠っていたようです。


「お待たせ。帰ろう?」

「……はい。あ、エル兄様、レオン兄様が今日はどこにいるかご存知ですか?」

「今日は騎士団で訓練する、って言ってたよ」

「では、ちょうどいいですわね」


 隠し持っていた荷物から大きめのバスケットを取り出し、蓋をあけます。執事にお願いしていた籠は、これでした。


「いつの間に……抜かりはないね」


 わたくしの行動に、エル兄様は苦笑します。


「帰りに寄ってもらおうと思っておりましたから」


 微笑んでそう告げます。そして騎士団の詰め所に寄ってもらい、降ろしてもらいました。


「一人で大丈夫?」

「大丈夫です。エル兄様はこれからお忙しいでしょう? それに、帰りはレオン兄様か誰かに送っていただきますから」


 そう言って馬車を降り、門番に名前と目的を告げ、取りついでいただきます。


「じゃあ、気をつけてね」


 待っている間にそう仰り、馬車は遠ざかりました。馬車が遠ざかったあと、バタバタと走る音が聞こえて来ます。


「うわっ、本当にルナマリア様……!」

「ルナマリア様、こんにちは~。あ、俺、団長に知らせて来ます!」


 走って来たのは、白を基調に青や赤があしらわれた、騎士団の制服を着た方です。どちらも知っているお顔でした。


「ルナマリア様、お久しぶりです。お元気そう……でもないか」

「バルザック様、ごきげんよう。お久しぶりでございます。一応元気ですわ。レオンハルト兄様はいらっしゃいますか?」

「ええ、おりますよ。こちらです」


 促され、ついていきます。

 彼はバルザック・リーヴス様と仰います。主に皇宮警備が主体の、言わば近衛騎士扱いとなる第一から第三小隊を束ねる隊長で、侯爵家の方なのです。レオン兄様にその地位を譲るまで、騎士団団長を務めていた方でもあります。

 そして知らせに行ったのは、第三小隊の小隊長、ネイサン・ドーン様です。彼はホルクロフト一族の方でもあります。

 二人は、レオン兄様が信頼を寄せるほど、腕の立つ騎士でもあります。


「今日はどうされましたか?」

「これを届けに来たのと、レオン兄様に急ぎの相談をすることができまして……」


 バスケットを持ち上げ、にっこりと笑います。


「おや、今日はご相伴に預かれますね」

「ふふ、是非召し上がってくださいませ」

「はい。団長はまだ訓練中なんですが……団長の執務室で待ちますか?」

「そうさせてもらってもよろしいですか?」

「構いませんよ」


 許可をくださったバルザック様に、胸を撫で下ろします。

 バルザック様に続いてしばらく歩くと、途中で海軍での兄の右腕と言われております、クラウス・ウェイン様にもお会いいたしました。クラウス様もまた一族の者で、久しぶりだからと挨拶を交わしたあとで、やっとレオン兄様の執務室に着きました。


「では、俺はこれで」

「ありがとうございました。あ、これはレオン兄様に渡していただけますか?」

「畏まりました」


 大きなバスケットをバルザック様に手渡し、勝手知ったるレオン兄様の執務室の奥で紅茶を入れ、待ちます。


 そして、どうやってきりだそうかと悩みます。


 それに、悲しみでカップを持つ手が微かに震えています。

 素直に、ここにいたくないと言ってしまおうかとさえ、思ってしまいます。

 どのみち、レオン兄様を頼っても病弱なわたくしは、婚姻など夢のまた夢です。ましてや、次期宰相と言われていらっしゃる公爵家の嫡男のジュリアス様の伴侶になど、到底なれるはずもありません。


 本当はとてもつらいことではありますが、彼らの噂の聞こえない地で、彼らの幸せを祈ろう。

 今は無理でも、いつかは祈れるはず。


 何とかそう思い至ることができました。……思い至っただけで、つらいことには変わりありませんが。


「ルナ、お待たせ。美味しかったよ。ここに来るなんて珍しいね? 何かあったのかい?」


 優しく響いた兄の言葉に瞳を潤ませ、ギュッとしがみつきながら「皇都から出たいのです」と、わたくしの気持ちをお伝えしました。


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