菊迷と嵐

「何なのあの態度、許せない!」


 倭花菜は女宮へ戻り、地団太を踏んでいた。自分の部屋できらびやかな衣を脱ぎ捨てると、怒りのままにそれを床へたたき捨てる。

 倭花菜に与えられた宮は豪奢で広々としている。三十人は住める建物にいるのは倭花菜をふくめて三人だけだ。

 選抜の順が古謝より後で運よく生き延びたふたりの少女――菊迷きくめいあらしは、倭花菜が帰ってくるなり様子を見にきた。

 おどおどした少女、菊迷きくめいが床に投げられた高価な衣装を拾いあげ畳む。

 背が高く気の強そうな少女・嵐のほうは、臆することなくにやつき聞いてきた。


「それで。王子さまたちの様子はどうだったんだい?」

「誰が王子ですって!? あの鼻もちならない呂家のぼんぼんと、筝すら弾けない役立たずの虫けらのこと? 最悪よ!」

「合奏の練習に行ったんだろ? おひいさん、ずいぶん早いお戻りじゃないか」

「あなた、いい加減になれ馴れしいわ。止めてくださらない?」

「いいじゃないか。同宮どうし仲良くしようぜ。おひいさん?」


 『おひいさん』とは倭花菜を揶揄しているのだ。物怖じしない嵐は蓮っ葉で、黒髪のうつくしい少女だった。嵐は豪商の出で胡弓と月琴の名手でもある。商売のために各地を移動し育ったという彼女は何事にも臨機応変で動じない。倭花菜にも遠慮なく身分をこえて気さくに話しかけてくる。

 倭花菜は嵐の馴れ馴れしさより、もうひとりの菊迷の態度のほうが嫌いだった。


「あなた、さっきからあたくしの服に何をしてるの?」

「っ、た、畳まないと、皺になっちゃいますから」

「置いておいて、触らないで! それはそこに皺になるようにわざと置いてあるのよ」

「で、でも……」

「いいからあっちへ行って! あなたの顔を見てると苛々するわ」


 しょんぼり肩を落とし去りかけた菊迷の肩を「まあまあ」と嵐がなぜか抱き、連れ戻してくる。


「いがみ合うなよ。俺たちだけでも協力しないと死んじまうぜ」


 倭花菜は「ふん」とそっぽを向いたが、菊迷はその言葉にいっそう震え上がった。選抜で何があったのか二人ともすでに聞き及んでいるのだ。怯えた顔の菊迷がおそるおそる言う。


「私たち、生きて帰れるんでしょうか?」


 嵐は苦笑し、倭花菜は嘲笑した。


「馬鹿ね。もう帰る場所なんてどこにもない。あたくしたちはこれから、この後宮で生きていくの。だから邪魔する奴は殺してやればいいわ」

「そんな、……」


 怯えきった菊迷のことが倭花菜はいっとう嫌いだった。見るたびここへ何しに来たのかと思ってしまう。

 菊迷は夕家ゆうけの淑女で、家格は倭花菜に近い。愛らしい顔をしているのにいつも怯えた様子なので台無しになっている。そういえば、菊迷の得意分野は筝と三味線だとは聞いていた。


「菊迷、筝って簡単に習得できるものかしら」

「えっ。簡単に、ですか?」

「たとえば一週間や二週間で」

「それは、ちょっと」


 菊迷は困惑した顔だ。やはり古謝が短期間で筝を身につけようとするのは無謀なのだ。

(一体どういうつもり?)

 倭花菜は自らの喉以外の楽器をけして使わない。だから感覚としてわからなかったが、今の菊迷の様子を見れば古謝が馬鹿げたことをしているのはわかる。


「なんだ、おひいさんは筝も練習しようってのか?」

「なんであたくしが。あのおかっぱ頭の虫けらの話よ」

「ああ、あの古謝ってやつか。あいつには借りがある、力になってやりたいが」


 嵐の言葉に菊迷も頷いている。二人は楽人選抜の順が古謝より遅く、運よく殺されずに生き延びたのだ。選抜の場を滅茶苦茶にした古謝に並々ならぬ恩義を感じているらしい。

 血なまぐさい楽人選抜を思い出し、倭花菜は柳眉をひそめる。


(お姉さま、やりすぎだったわ。あれでは敵をつくるばかり)


 美蛾娘はひたすらに人を殺し敵をつくる。その性質はまだ後宮に入る前、倭花菜の実家である麗空家れいくうけにいた頃から変わっていないようだ。


(できれば関わりたくはないけれど)


 美蛾娘はその実の姉妹と弟、叔母をもすでに殺している。親族の話だけでこうなのだから、麗空家の召使いや近隣の庶民がどれだけ犠牲を被ったかわからない。

 残虐な彼女を麗空家は数年前に見放し、実家から追い出すと後宮へ入れた。美蛾娘はするとめげずに今度は後宮で根を張り、ついには国政へも影響をもつようになった。麗空家の当主は弱りはて、倭花菜を後宮へ送りこんだというわけだ。

 倭花菜の役目は一族から出た悪鬼の暴走を止めること。天帝の寵を得て麗空家の立場を守り抜く使命もおびている。


(まずはあたくしが生き延びないと。お姉さまはあたくしにだって容赦なさらない)


 同族としてしばらくは優遇してくれるかもしれないが、その関係も長くは続かないだろう。美蛾娘を敵に回すと考えるとさすがの倭花菜も震えてしまう。今後のことを憂えていると嵐が菊迷に言うのが聞こえた。


「そもそも、なんで古謝は楽人選抜に通ったんだ? あいつが選抜で弾けもしない筝を弾いたってのは……筝ってのは素人がひいても響くもんか?」

「いえ、そんなことは。筝は難しい楽器です、訓練しないとまともな音にすらなりません。ただ、鎮官のひとりが口添えしたそうです」

「鎮官?」

「ほら、橋のところに立ってた。黒ずくめの」

「おお」


 なにげなく話を聞いた倭花菜はハッとした。


「待ちなさい、今の話は本当なの?」


 菊迷は眉を八の字にして頷く。


「はい。先輩方が噂しているのを聞きました」


 古謝が美蛾娘に殺されそうになった時、その場にいた鎮官のひとりが強硬に反対し止めたのだという。それを聞き倭花菜は確信した。


(お姉さまを制す鍵はその鎮官とやらにある)


 美蛾娘は人の言うことを聞く女ではない。自らに反対する者を拷問し、賛成させてから極限までいたぶるのが彼女の流儀だ。その美蛾娘に「古謝を殺すな」と言い、そして意見を通させた者がいる。


(その者の力を借りればあるいは)


 鎮官はどこにいたかと考えて、そういえば天河の楽奏船に何人か見張りがいたのを思い出した。彼らに話を聞けないだろうか。

 倭花菜の内心に構わず嵐と菊迷はふたりで話し合っていた。


「差し入れはどうだ? 今ならあいつ天河の船にいるんだろ」


 倭花菜はその言葉に顔をあげた。


「あら。あたくしが運んでさしあげますわ」

「げ、なんだよ気持ち悪いな」


 嵐の嫌そうな声に構わず倭花菜は不敵に笑んでみせる。


「失礼ね。ちょうどあたくしも、そうしたいと思っていたところです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る