再会

「お前、いったい何をした?」


 楽人選抜が終わってから、青白い顔で古謝を迎えにきたのは風虎だ。

 楽舎は混乱をきわめ、何が起こったのか楽人の誰に聞いても判然としない。とにかく選抜は古謝の後は中止されている。とても続行できるものではないと、楽舎の最高官・球磨良くまら楽人がくじんがそう判断をくだしたのだ。それとて風虎にはわからなかった。楽舎の最高官は最年長の明風めいふう楽人であったはずだ。それがこの数時間で位を十も下げた若輩の球磨良が最高位となっている。


(その間の兄弟子たちはどうしたのか。明風楽人に仮になにかあったとしても、最高官の位は上から順に与えられていくもの)


 明風楽人から球磨良楽人の間には少なく数えても二十人の兄弟子たちがいる。まさかそのすべてが消えてしまったわけでもあるまいに。嫌な予感にぞっとする風虎に、古謝はあっけらかんと答えた。


「なにもしてないよ。筝をひいた」

「なに、筝だと!?」


 馬鹿なと風虎はうめく。古謝が得意なのは三味線だったはずだ。


「お前、筝もひけたのか?」

「ちがうよー、しかたなくひいた。偉そうなおじさんから褒められたよ」

「偉そうなおじさん……?」


 風虎は古謝に順をおって説明させた。

 美蛾娘から「三味線をひくな」と言われたこと、しかたなく楽器の中から聞き覚えのある筝を選び、演奏が終わると不思議なことに人々が焼け焦げて死んでいたこと。説明を聞くうちに風虎は呻き、天を仰いでいた。


「それは本当に真実か?」


 なぜ球磨良楽人が楽舎の最高位となったか、おぼろげながらわかってきた。明風楽人以下、名のある達人・兄弟子たちはすでに他界したのだ。ことの詳細な経緯はわからないが、美蛾娘がいたのならそのせいかもしれないと風虎は考えた。


「それでお前は、誰から褒められたって?」

「だから、偉そうなおじさんだよ。黒御簾の奥から出てきた太っちょの」

「ならぬ!」


 とっさに風虎は古謝の口を手のひらで抑えていた。古謝の言っているのが天帝のことだとわかったのだ。恐れ多い言葉に冷や汗をかき、風虎は声を震わせる。


「それで。その御方はなにか、他にお言葉をくだされたか?」


 天帝が楽人見習いへお言葉をくだされるなどあり得ないことだ。けれど古謝はいま「偉そうなおじさんから褒められた」と言った。そっと手を離すと古謝は不服そうに口を尖らせている。


「なんだよー、苦しいじゃん」

「その御方はお前に、なんと仰られたのだ!?」


 がくがく両肩をゆさぶれば古謝は目を回していた。


「え、えっ、えっと」


 ――すばらしい音色であった。筝を覚えよ。


 風虎はがっくりと肩を落とした。


「『筝を覚えよ』、本当にそうおっしゃられたのか?」


 それなら古謝はこれから先、後宮でその通りにするしかない。天帝の言葉はひとつひとつが天命なのだ、逆らうことは許されない。


「なぜ筝なのだ。なぜ」


 風虎にはなにもかもが理解できない。古謝は三味線が得意なのだ。それを美蛾娘が「三味線は止めろ」と言った意味もわからないし、そもそも選抜の場に美蛾娘が来ていることからして予定と違う。


「風虎のおじさん、俺の三味線なんだけど」

「ならぬ! おぬしはこれから筝しかひいてはならぬ」

「な、なんで? 俺、筝なんてひけないのに」

「ひけるまで練習するしかない。安心しろ、楽人たちのなかには筝の名手が多い」


 そこまで言って風虎は不安になった。楽舎でもっとも筝に長けたのはすでに他界した明風めいふう楽人だ。その次に筝が上手かったのは明風楽人の次に偉かった凛籐りんどう楽人で、その次にうまいのは球磨良楽人よりもさらに上の鏡泗きょうし楽人になる。嫌な予感に悪寒が走る。筝の達人たちはみな楽舎の上位に固まっていた。球磨良楽人より下となると、唯一筝をそこそこに扱えるのは風虎となる。ぞっとしたところに後ろから声をかけられ、とっさに風虎は飛び上がった。疲弊した顔の中年男性の楽人と蓮が一緒に立っていた。蓮が生真面目に一礼し古謝の手を引く。


「行くぞ。通過者は後宮の住まいに案内されるそうだ」

「あ、うん……」


 古謝が窺うように見てきたので、風虎は頷いてやった。


「先に行け。儂もお前に会いにゆくから」


 風虎の前には同僚の楽人が今にも倒れそうな顔色で立っている。古謝と蓮を見送り、風虎は同僚からことの経緯を聞き出した。一連の話に大笑いをしかけた風虎は、すぐに笑いを引っこめることになった。


「馬鹿な。本当にそんなことが?」

「お前が連れてきたあの少年、古謝といったか。あれは神触れ人だ。鎮官がたしかにそう言った。それだけではないぞ」


 美蛾娘の姪である倭花菜わかな、それに呂家ろけの蓮も特異な奇跡を起こしたという。他に選抜を通ったのは古謝より順が後で美蛾娘に運よく殺されなかった者たちだけだ。

 風虎は唖然と空を仰ぎ見た。失ったものはあまりに大きい。多くの楽人、それに選抜に来ていた若い可能性の芽がつまれてしまった。これでは選抜の意味もない。楽人の穴を埋めるために試験を行ったのに、逆にその数は減ってしまった。そして新たに後宮に入るのは扱いに困る神触れ人ばかり。


「球磨良楽人が今後についての話をする。風虎、お前もこい」


 いまや風虎の位も十は引き上げられたことになる。今後を憂える風虎は己の命も風前の灯になったことを悟った。

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