予感

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 選抜が始まってから、蓮は嫌な予感をおぼえていた。


「おい、おかしくないか?」


 隣で寝こけていた古謝をゆり起こすと、目をこすっている。


「んー、なにが?」

「人が戻ってこない。もうだいぶとたつのにだ」


 部屋うちの人数は三分の一になっていた。時々、疲れた顔の楽人が「次」と呼びにきてひとりを連れ去る。その楽人の顔もしだいに青ざめ、白くなっていた。


「まだかなぁ。俺、待つの疲れたよ」

「馬鹿。気づかないのか?」

「なに?」


 蓮は養父の呂文官から前もって選抜の詳細な手順を聞いていた。楽人たちはひとりずつ場に呼ばれ、天帝の前で演奏をする。それから一度この部屋に戻されて最後に、選ばれた者だけが連れていかれるのだ。

 それがひとりも部屋へ帰ってこない。別部屋へ移されたかもしれないが、それならそれで手荷物や置いていった楽器の整備用具を取りにくる者がいてもおかしくない。

次を呼びにきた中年男性の楽人に、蓮が問いただそうとしたその時、


「いつまであたくしを待たせるつもり!? もう待てない!」


 廊下から倭花菜の大声が響いてきた。部屋の入り口にいた中年男性の楽人は、声量ある甲高い声に竦みあがっている。


「倭花菜さま、今しばらく隣室でお待ちください」

「いいえ、次はあたくしの番よ。そこのあなた、順を譲るでしょう!?」


 今まさに楽人に案内されるところだった少年は倭花菜の剣幕に押し負けている。

 中年男性の楽人は渋い顔をした。


「しかしですね、倭花菜さまは最後にするようにと美蛾娘さまが」

「関係ないわよ。あなた、あたくしに口答えするつもり?」


 声の変化を悟り、中年男性の楽人は声をつまらせた。倭花菜の優しげな面立ちは憤怒に染まり眉は吊り上がっている。視線だけで人を睨み殺せる迫力があった。


「今すぐ、あたくしを連れていきなさい!」


 響きわたる声には人を従わせる力がある。甲高く響き「従わなければ殺すぞ」と聞こえるのだ。中年男性の楽人は本能的な恐怖で了承した。倭花菜は麗空れいくう家の一員で美蛾娘びがじょうの姪だ、下手に逆らえばどうなるかわからない。

 そうして嵐のように去った倭花菜と楽人のやりとりを見て、蓮はしかたなく椅子に座りなおした。古謝から返してもらった白鳩の根付を龍笛の房飾りにていねいにつける。

(機会があればこれで天帝を)

 蓮はそっと目を閉じる。真横でのんきに寝こけている古謝とあわせて、ずいぶんと余裕があるように見えただろう。けれどその実、蓮は死ぬ覚悟を秘め決意をたぎらせていた。楽人選抜の場が死に場所になるかもしれないと仮定し、精神を研ぎすませていたのだ。

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