第5話 Wander Resist Xanadu (WRX)

一通りの話を聞いたスズランは、怒りのあまり体をブルブル震わせていた。


「なるほど、それで……。あー、そう……。それじゃ、これは……」


 車庫に入れられた黒い物体を呆然と見て、スズランは立ちすくんでいた。


「そう、これは魔術を売っぱらって購入した車」


 魔法省の帰り道、ホクトはあることに気がついた。

 そう、自分だけの車を持っていないということ。

 オレの全財産は手元にある400万テテュス、ギルド討伐で貯めていた200万テテュスを合わせた600万テテュスであった。

 国道沿いにある車のお店を何店舗か訪問し、予算内でオレが選択した車。


 それはスバルWRX S4。


 速さと機敏さを兼ね備え、スポーツセダンということもあって1人では十分な空間スペース。

 安全性も高く、どんな道でも安定して走れる安定性。

 そして何よりも、オレが運転してみたいなと思える車だったからだ。

 偶然にも、キャンセルの在庫が1台残っていて翌日には届けられるとお店の人が教えてくれたので、オレはその場で現金を支払って契約をしたのだ。


 たった今、自宅の車庫に納車されたばかりの黒のWRXは黒ダイヤのように美しい。

 車の姿をオレがじっくり眺めていると、玄関からゴソゴソと物音が聞こえてくる。


「こんなもの……、こんなもの、こうして……」


 オレが玄関に目を向けると、両手に植木鉢を抱えてこっちに向かってくるスズランの姿。


「お、おい、家の植木鉢で持ってなにするつもりだ! ちょっと、落ち着いて!」


 オレは手を大きく上げてなだめる動作をおこなってアピールするが、スズランの目には意味を成してないようである。

 どうしよう、スズランが完全にお怒りモードになってしまった。

 殴られる程度だろうとタカをくくっていたが、これは想定外だ。


「プヴォワール・ジュテ!」


 スズランが魔術を唱えると、手に持っていた植木鉢がWRXめがけて飛んできた。

 このままでは、乗る前にWRXがスクラップ行きだ。


 くそ、どうする……もう、仕方ない!


 オレは、もの凄い速さでこっちに飛んでくる植木鉢を全身で受け止める為に、タイミングを合わせてジャンプをした。

 だが、しかし。


 痛てぇぇ! 


 一歩間に合わず、お腹ではなく顔面に植木鉢はヒット。

 ゴツンと鈍い音を立てた植木鉢は、顔面に直撃したあと、そのまま足元に落下し、バリンという音を鳴らして砕け散った。

 あまりの痛さに、オレは顔を手で必死に覆った状態で跪いてしまった。

 痛いと声も出ないというのは、どうやら本当のようだ。


「そこをどきなさい! 今すぐに鉄くずしてやるわ!」


 数メートル先にいるスズランが、恐ろしいことを言いながら近づいてくる。

 ダメだ、ここから逃げないと。

 鼻から溢れ出る血を手で押さえながらも、すぐに体勢を立て直し、WRXに急いで乗り込んだ。

 血だらけの手で、ブレーキを踏みながらプッシュボタンを押して、エンジンをかける。

 その瞬間、ブボォォォーン、と低いエンジン音が車内に鳴り響く。


 おぉ、この感覚は!


 シフトレバーをDに入れ、ハンドルを握った瞬間、オレは奇妙な感覚に陥った。

 初めて乗る車なのに、何年も乗っている自転車に乗るのと同じ感覚。


 なるほど、これが魔術の力か!


 WRXのアクセルを勢いよく踏み、オレは車庫から出て行く。

 ミラーで後ろを確認すると、スズランが家から箒を持ち出す姿が目に入る。

 まさか、追いかけるつもりなのか。

 魔術師が飛行するときに使用する箒の最高時速は、魔術師の実力によって異なるがスズランのような実力者であれば200キロを出すことが可能だ。

 カーブもほとんどスピードを落とさずに曲がることが出来るので、スポーツカーでも逃げ切るのは厳しい。

 追跡を逃れるためにオレは、無我夢中でWRXを走らせる。

 細い道を駆け抜け、道をありとあらゆる道をドリフトで曲がっていく。


 これ、楽しい!


 初めて箒で空を駆け抜けたとき、乗り物ってこんな楽しいんだと感動していたがその時の感情と全く同じだ。

 幸せな気持ちに浸っているのも束の間、オレは気が付くと大通りを走行していた。


 ここまで来れば、大丈夫だろう。


 ここは帝国内で最も栄えている通りである。

 高級ブティックやデパートが入ったビルが立ち並び、周囲には劇場やショッピングセンターが集まっている。

 帝国内で最も眠らない通りとして知られている。


 はぁ、それにしても散々な目にあった。

 植木鉢はぶつけられるし、鼻血は出るし最悪だ。

 車を買うだけでそんなに怒ることかよ。

 もう少し理解ある姉妹が欲しかったなぁ……って。


「おい、マジかよ。なにやってんだよ」


 そんなことを思って交差点の前で信号待ちをしていると、上空にスズランが箒に乗って待機しているのが目に入ってきた。

 車内からだと見えにくいが、スズランは交差点に向けて手を掲げているようである。


 待ち伏せか、しかも交差点に魔術の罠を貼ったな。


 このまま、トロトロと交通規則に従って運転をしていたら魔術で何されるかたまったもんじゃない。

 こうなったら、仕方ない。

 オレはハンドルを右に切って、信号待ちの車列から抜け出して反対車線を走り始める。

 対向車を何台かすり抜けて、オレは速度を上げながらで交差点に近づく。

 交差点の上空で待機しているスズランは、オレのWRXの姿を確認すると罠を発動する準備を始める。


 もっと加速をしないとダメだ!


 オレは、アクセルを思い切り踏み込み速度を上げていく。


 間に合え、間に合え、頼む間に合ってくれよ!


 公道で出さないような速度で、WRXは交差点に進入する。

 デジタル速度計は130キロ。


 WRXの進入と同時に、スズランの魔術の罠が発動する。

 その瞬間、交差点に一筋の光線が放たれた。

 光線が当たった道路のコンクリートは、カチカチと音を立て一瞬で凍結を始める。

 凍結は部分的ではなく、水に何かが落下したときのように輪になって広がっていく。

 その光景を見た周囲の人間は、きっとオレのWRXが罠にかかると思っただろう。

 だがそんな予想を裏切り、WRXはスズランの魔術にかかる前に交差点を突破し、目にも止まらぬ速さで大通りを駆け抜けていく。


 危ねぇ、少し遅れてたら本当にヤバかった、鉄のアイスクリームが出来るところだった。


 ウー! ウー! ウー!


 そう思ったのも束の間、今度は背後から馴染みある音が聞こえてくる。


 あー、やっちまった!


 バックミラーには、サイレンを鳴らした二台のパトカーが映っていた。


「そこの車、止まりなさい! 早く、停車しなさい! これは警告だ! 逃げ切れると思うな、素直に止まれ!」


 ハンドルを強く握り締めたオレは、ブレーキペダルではなく、アクセルペダルを踏み込みWRXを急加速させた。


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