43 プライベートチャーチ

 眞奈は思わず立ち止まった。

「ヘ、ヘレンの家って、まさか……」

「門番屋敷のヘレン・ハドソンの家だよ」、マーカスは無邪気に言った。「昨日、ヘレンに丘歩きの話をしたら、夕食を用意してくれるっていうから、門番屋敷に遊びに行くことになっているんだ」

「ヘレンのつくるシチューは最高においしいのよ。きっとマナも気に入るわ」、イザベルが言った。


 用務員・ヘレン・ハドソンの家に行く!

 これは眞奈にとって青天の霹靂(へきれき)ともいうべきことだった。

「でも、私、ミセス・ハドソンにすっごい嫌われているし、私は行かない方がいいわよ」、

 マーカスは取り合わなかった。

「マナもヘレンもお互い誤解していると思うよ。偏見はよくないんじゃないかな。ヘレンは愛想はよくないかもだけど、本当はいい人だから絶対、大丈夫だ。一度話してしまえばお互い打ち解けるしね。それにちょうどいいじゃないか、ジュリアと『過去への抜け道』のことを聞いてみれば」

 そこまでマーカスに言われてしまうと、眞奈としてはそれ以上嫌がることができなかった。

 あーあ、困っちゃった。土壇場でお腹痛くなろうかな。でも一発で仮病だってバレちゃうし……。これはなんとかやり過ごすしかない。眞奈は一気に気が重くなった。


 やがて木々に囲まれた一画が見えてきた。

 林の隙間から何か怪奇的な建物が切れ切れに見える。

「あれがプライベートチャーチ?」、眞奈は聞いた。

「そうよ。いかにもって感じでしょ」、レイチェルは答えた。

「もう少し行ったとこの正門からはちゃんと建物全体が見えるよ」、マーカスは言った。


 眞奈たちが建物に近づき小道を回り込むと、プライベートチャーチの正門があり、建物は全貌を現した。

 プライベートというくらいなので、眞奈は小さな教会を想像していたのだが、ウィストウハウスのプライベートチャーチは比較的大きかった。在りし日の姿はなかなか立派な教会だったにちがいない。しかし、今や寒々として廃墟そのものといった面持ちだった。

「不気味ね、本気で何か出そう」、眞奈はうなった。


 正門のアイアン飾りのえんじ色ははげ落ちてすっかり錆びついていた。何か書かれていたらしい立て札も酸化して文字が読めなかった。

 教会は本館と同じライムストーンが使われているがこちらはかなり黒ずんでいた。円柱の塔の部分は、古いからなのかそれとも火事でもあったのか、壁が真っ黒だった。


 教会のドアと窓は石で完全にふさがれている。空家の窓やドアを石でふさぐことはイギリスではよく見かける光景だが、あまりにぴったりと戸詰めされているので目貼り口貼りのように感じ、眞奈はそれを見るとまるで自分の目や口をふさがれているみたいに息苦しかった。


 眞奈はマーカスに聞いた。

「ここの墓地ってウィストウハウスの先祖たちのお墓?」

「そうだよ。墓地は教会の裏手にあるんだ。屋敷がヨークシャー州に売られるまでウィストウハウスに住んでいた一族は、みんなここに埋められている。エマ・ウェントワースとかリチャード・ウェントワースとか。それにほら、ジュリア・ボウモントもね」

「ジュリアのお墓もあるの?」

「あるよ」、マーカスは答えた。

「ちゃんと見た? それって確実なの?」

 マーカスは眞奈の真剣さにちょっと驚きながら、「確かだよ。墓石にジュリア・ボウモントって名前が書いてあるのを見たし、場所も墓地に入ってすぐ横だったのを覚えてる。ジュリアは若い頃病死したって言ったろ。だからお墓はここにあって当然だよ」と、きっぱり言った。

「そうね……。でも若いとき病死したのは何かの間違いで、結婚してどこかで幸せになってくれていないかなって思ってたの。でもそしたらウィストウハウスのプライベートチャーチで眠っているわけないよね。もし結婚していたらお墓は嫁ぎ先になるでしょうから」、眞奈は暗い顔で言った。


 マーカスは眞奈をなぐさめたかったが、どう言っていいのかわからなかったので、「でもどっちにしても大昔の子だから死んでて当たり前だし、お墓なんてどこでも一緒だし」と言うぐらいしかできなかった。

「そりゃあそうだけど、死に方にもいろいろあるでしょ。幸せな人生を送って死んでほしかった」


 眞奈はほとんど泣きそうだった。

 自分が今まさにジュリアのお墓のそばにいると知ると、今まで抑えていた眞奈の気持ちがはじけたように、いても立ってもいられなくなった。

 ジュリアのことはもう忘れていたと思ったのに、そんな自分を薄情で嫌なやつだと感じていたのに、ちゃんと自分の心の中にジュリアへの思いが残っているのだ。


 眞奈はマーカスに言った。

「私、今、ジュリアのお墓を見に行きたいの。教会の墓地にどこかから入れないかな? あなたは前はどうやって入ったの?」

「え、でも……」

 マーカスは最初止めようしたが、眞奈が彼の返事を待たず教会の横手に走り出そうとするのを見てすぐ折れた。

「わかったよ。右手の奥から入れる場所があるんだ、一緒に行こう」、そしてみんなに声をかけた。「ちょっとだけ待っててくれる? ジュリアの墓を見てすぐ戻ってくるからさ」


 眞奈があまりに思いつめている様子なので、レイチェルやクレアは心配げに声をかけた。

「ちょっと大丈夫?」

「どうしたの?」

 ウィルは呆れ返ったように言った。

「それって民俗博物館の見取り図の関連だろ、亡霊退治でもするのかよ、おまえらいったい何やってんだよ」

「ジュリアってこの間言っていた亡霊のこと?」、イザベルも不安そうだ。

 眞奈は黙ってうなずいた。

 レイチェルは言った。

「わかった、待ってる! せっかくここまで来たんだから、あんたたちの気の済むようにして」


 眞奈とマーカスはプライベートチャーチの横手に回り込んだ。

 マーカスの言うとおりであった。プライベートチャーチを囲んでいる鉄の柵は一部分が壊れていて、その隙間からなんとかもぐり込めそうだった。

「マナ、気をつけて」、マーカスは言った。

「OK」、眞奈は後に続いた。


 教会の敷地に入り建物の裏手に行くと墓地があった。

 ウィストウハウスの墓地はこぢんまりとしていた。教会の荒れ方からいって、墓地の方も荒れ放題なのだろうと眞奈は想像していたのだが、意外なことに墓地は整然としていて誰かが管理しているように見える。

「よかったわ、誰かが手入れしているみたい。さびれた墓地だったらジュリアがかわいそうだと思って……」

「それは心配いらないよ。ヘレンやジェムが管理しているんだ。あっちがジュリアの墓だよ」


 マーカスが指さした方に行くと小さな墓石が立っていた。

 眞奈はかがんで墓石の名前を見た。墓石にはジュリア・ボウモント、一八四〇年~五六年と彫られてある。


 墓石のジュリアの名前と年号を手でそっと触れてみた。

 ジュリアの愛らしい笑顔や愛嬌たっぷりのおしゃべり。イギリスでウィルの次に友達になった女の子。たちまち眞奈を好きになってくれたこと、眞奈を中国のプリンセスだと言い張ったこと、どうしても眞奈にダンスさせようとしたこと、そして、アンドリューとの結婚を心待ちにして幸福そうだったこと……。誰がジュリアの愛らしさと幸福を奪えようか。


 突然、眞奈はひらめいた。

「マーカス、前にウィストウハウスには五つの謎があるって言ってたでしょ、その五つをもう一度教えてもらえない? 確かお墓に関することがあったような……」

「一つ目が『少女の亡霊』、二つ目が『ひとりでに動く甲冑の騎士』。それで三つ目が『誰もいない音楽室から聞こえるピアノ』、四つ目は『棺の中から消えた死体』、五つ目は『過去への抜け道』だよ」、マーカスは指折り数えた。

「それよ、四つ目の『棺の中から消えた死体』! ジュリアのお墓があっても中は空っぽで、そのことが伝説の謎になっているのかもしれないわ! 少女の亡霊も過去への抜け道もあるんだもん、他の謎だってある可能性が高いでしょ。きっと棺は空っぽよ」

「棺の中が空っぽって……」、マーカスは返事に困った。

「そうよ、たとえジュリアのお墓があったとしても棺に遺体が入っていなかったら、ジュリアが助かって結婚している可能性があるじゃない」

「でも……」

 マーカスは、いくら亡霊話に興味があったとしても、眞奈の暴走していく空想についていくのは難しかった。


 眞奈はマーカスが自分に困惑しているのをひしひしと感じた。

 そりゃあそうだろう、彼は現実の世界に生きている単なる普通の男の子であって、私がかつて誤解していたような不思議な魔法使いの男の子ではない。

 眞奈は今や自分の使命を完全に理解した。


 マーカスではできないことを自分がするべきだ。そう、もう一回過去に行く。そしてジュリアが助かったかどうか確認する。もし助かっていないのなら私が助けるのだ!


 眞奈はもう一度ジュリアの墓石に手を触れた。

 このままジュリアを忘れることなんてできやしない!

 自分の使命を確信した眞奈はもうミセス・ハドソンが怖くなかった。

 今日これからミセス・ハドソンの家に行けるのはなんとラッキーなことだろう。

 ミセス・ハドソンはメイドのグラディスと関係があって、明らかにキーパーソンの一人だ。眞奈だけだったら絶対会ってもらえないが、みんなと一緒に行けばどさくさにまぎれて家に入れるだろうし、何かジュリアのことで有益な情報を聞けるかもしれない。ミセス・ハドソンにあまり期待し過ぎるのはよくないが、今はどんな可能性にもかけてみよう。


 もちろん、それをするにはみんなの前で、ジュリアはウェントワース一族に殺されたという真実を話す必要がある。

 真実を話せばマーカスやイザベルが傷つくかもしれない。でも、ジュリアを助けるためには不可欠なことだ。きっと二人はわかってくれる。

 

 眞奈は言った。

「ねぇ、マーカス。私がこれからミセス・ハドソンのところで何か言っても、あなたはずっと変わらずそのままでいてくれる?」

「え、どういうこと?」、マーカスは聞き返した。

「私が話す内容についてあんまり深く考えず軽く受け流してほしいの」

 眞奈はそう言ってジュリアの墓石から立ち上がった。

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