第7章 春になったら

25 恐怖のグループワーク

 美しいクリーム色の水仙が一斉に咲く頃、ウィストウハウスはまもなく春を迎えようとしていた。まだ寒いとはいえ、時は確実に前へと進んでいた。


 どんなにつらく悲しい日々でも寝て起きれば朝を迎える。

 ラジオからは次々と新しいヒットソングが流れてきたし、BBCのミステリードラマでは毎週次々と誰かが殺された。先生たちは次々と新しい宿題を与え、ウィルは次々眞奈のメールを無視した。


 一方、ずっと変わらないものもあった。

 ウォーカーズのポテトチップスはいつもおいしかったし、学校の図書室はいつもどおり居心地がよかった。マーカスはあいかわらず窓のそばにいたし、隣のイザベルを見ると眞奈の胸がきゅっと痛むのもまたいつものことだった。


 ウィルが学校に来なくなってから、何よりつらかったのはグループワークである。それは眞奈にとって恐怖といっても言い過ぎではなかった。


 ウィストウハウス・スクールの授業では、五、六人のグループに分かれて、実習や実験、研究発表などが頻繁に行われていた。


 眞奈はウィル以外に友達がいないためいつもどこのグループにも入れず、人数の少なくなったところに先生の指示で入れられた。いわば余りの存在だ。

 毎回グループが違うこともあり、他の生徒とろくに話せないし、他の生徒も眞奈のことにかまわず早口でしゃべるので会話についていけない。同級生たちにいじめられているわけでも無視されているわけでもなかったが、眞奈には本当に苦痛であった。


 水曜日の五時限目は科学の実験だった。これはもうグループワークは逃れられない……。眞奈の気は重かった。


 普段なら先生がどのグループに行くか指示してくれるまで待っているのだが、その日はレイチェル・エヴァンスがたまたま近くに座っていた。


 レイチェルは以前、眞奈に日本に興味があると話しかけてくれた女の子で、ウィルを抜かしたら唯一眞奈の名前を覚えてくれている生徒だった。彼女は学年一番の優等生かつ学年委員長もやっている。


 学校のリーダー格の女の子なら、異国から来た困っている生徒がグループに入っても迷惑だとは思わないだろう。

 そう思った眞奈は、めずらしく自分の方からレイチェルに「このグループに加わってもいいかな?」と聞いた。


 眞奈のおっかなびっくりの態度に嫌な顔ひとつせず、「もちろんよ」とレイチェルは応じた。眞奈から声をかけられて心なしかうれしそうだった。

 レイチェルの隣にいたクレア・アーノルドも「どうぞ」と優しく微笑んだ。

 眞奈は二人の反応を見てほっとした。


 先生が実験の手順を説明して、生徒たちはグループごと、水の入った試験管に塩やホウ酸、石灰などを入れたり、かくはんしたりしはじめた。

 先生の話についていけなかった眞奈は手順が飲み込めず、レイチェルたちの作業をじっと見ていた。


 試験管を混ぜていたレイチェルは、「亜鉛版を取ってくれない?」と眞奈に声をかけた。

 眞奈は亜鉛版がどれだかわからず躊躇(ちゅうちょ)した。

「これ?」とピンセットで適当な物質をつかむと、レイチェルに渡そうとした。

「いいえ、違うわ。これよ」、レイチェルはそう言いながら、自分のもう一方の手でピンセントを持ち、該当の物質をつかんだ。

 眞奈は「ごめんなさい、わからなくて……」と下を向いた。

 その後は、自分が手出したらかえって面倒なことになって申しわけないと思い、作業をレイチェルやクレア、他の子たちに任せきりにした。


 授業の最後はグループごとに実験結果をレポートにまとめて提出だった。

 自然とグループのリーダーになっていたレイチェルは代表者としてレポートに書き込んだ。実験の様子を書きながら、眞奈の顔を見て「結果について何か意見ある?」と聞いた。


 眞奈は的外れや勘違いなことを言うとレイチェルや他の子たちに迷惑がかかるだろうし、ここは優秀なレイチェルがやった方がいいと考えて、「レイチェル、あなたにまかせるわ」と返事をした。


 ところがレイチェルはむっとした態度を隠さなかった。

「実験も私たちにやらせて、意見も言わないで、だめよ、あなたも参加しないと。『あなた』はどういう意見を持っているの?」


 眞奈はレイチェルが怒っているのを見て動揺した。と同時によかれと思ってや

 った方法が受け入れられないことに少し驚いてもいた。


 ウィルだったら「まかせろよ」と言って全部やってくれただろう。ウィルは人から頼られるのをうれしいと感じる仕切りたがり屋なので、自分から率先してやる方を好んだ。

 同じように、いやむしろ、いつもリーダー扱いのレイチェルならなおさら、自分の思い通り仕切る方が好きなはずだと、眞奈は思い込んでいたのだった。


 眞奈は言葉につまったまま何も言えなかった。


 機転を利かせたクレアが間に入った。

「私の意見でもいい? レイチェル。一緒に書きましょう」


 眞奈は誰にも聞こえないような小声でつぶやいた。

「ごめんなさい……」


 気まずい雰囲気の中で、レイチェルはレポートをさっと書くと先生に提出しに行ってしまった。そのままグループワークは解散になった。


 家に帰り着くまで我慢しようと思ったのだがこらえきれず、帰りのスクールバスの中でもう眞奈の涙があふれてきた。


 せっかくレイチェルとクレアが仲間に加えてくれたのに、こんな結果になるとは……。私なんてもう誰とも話さず、ずっと一人きりでいた方がいいんだ、眞奈の涙は止まらなかった。


 眞奈はまんじりともせず一夜を過ごした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る