18 ミセス・ハドソンの一瞥

 ウィルのタバコが終わりかけたとき、スクールバスが通りの向こうからやってくるのが見えた。

 バスに乗り込んで、いつもの左の一番前に座ると、一気に現実的な気分になった。

 バス停でのウィルとの会話がやけにセンチメンタルで、なんだか気恥ずかしかった眞奈は、彼女にとってはおよそ『非』感傷的な話題を出した。


「それで、最近、ジェニーとどうなの?」


 もちろんウィルにとっては、これほど『感傷的』な話題はない!

 ウィルの身振り手振りを交えたセンチメンタルなジェニー話は止まるところを知らず、学校に着くまでずっとウィルの独壇場だった。

 しかし眞奈は、今日ほどウィルの話……ウィルの考えや思いについて、黙って聞き続けるのを幸せだと感じたことはなかった。


 眞奈たちが住んでいるダートンからウィストウハウス・スクールへはスクールバスで約三十分。途中、ダートン駅を経由していくつかの停留所で生徒たちを乗せながら学校へ向かう。


 ダートンの閑静な住宅街から国道へ入ると、国道沿いの大きなショッピングモールや巨大な工場、貯油タンク群などを横目にしばらく走る。国道を外れてからはすっかり田舎の風景で、イギリス特有の段々丘の牧草地と石造りの家並みが続く。


 ウィルがジェニー話にひと息つく頃、バスはウィストウ村のメインストリート……大通りといっても、そこにあるのは小さな教会と、集会所の建物、数軒のお店やブリティッシュパブがあるだけなのだが……に入っていった。

 メインストリートを過ぎ、戦勝記念モニュメントがそびえる小さなロータリーを半周まわって細い土道に出ると、もうすぐウィストウハウス・スクールだ。

 すぐに家の数が減ってきて両脇は広大な牧草地の丘になり、無数の羊たちが思い思いに草を食べている光景が広がる。


 どんなに寒くても羊の群れが必ず牧草地に出ていることは、イギリスに来て眞奈がびっくりしたことの一つだった。地毛の羊毛をまとっているとそんなに寒さを感じないのだろうか。


 ウィルが急に思い出したように聞いた。

「一限目は確か二〇八号室だよな?」


「うん」、眞奈は短く答えた。


 そういえばいまだに二〇八号室への行き方がわからないんだっけ。この間はマーカスと一緒に屋根から行ったんだもん、普通の行き方はわからない。今度はウィルについて行ってちゃんとした正式な行き方を覚えなきゃ、眞奈は思った。


 そして、スクールバスはウィストウハウス・スクールの正門の角横、ミセス・ハドソンの門番屋敷の前を通ろうとしていた。


 ミセス・ハドソンの家を見ると、眞奈はマーカスとの守られなかった約束が思い出されてつらい気持ちだった。


 それにしても、彼女は本当に予言者で、亡霊のジュリア・ボウモントと会ったことがあるのだろうか。どうして、ジュリアが亡霊になったのか、ミセス・ハドソンは、あの時代のあのときいったい何が起こったのか知っているんだろうか……。


 おどろおどろしい予言者には似つかわしからぬ、冬ジャスミンの花木や丸いトピアリーに囲まれたかわいい家を凝視していると、ちょうどヘレン・ハドソンと、彼女の夫でやはり学校の用務員をしているジェム・ハドソンが家から出てきた。

 ミセス・ハドソンは校長室に届ける大量の切り花を抱えていて、ミスター・ハドソンの方は修理に使う工具セットを持っている。


 不意にミセス・ハドソンと眞奈の目が合った。


 ミセス・ハドソンがすごい形相で眞奈のことをにらみつけた。ほとんど憎しみといえるぐらい攻撃的な表情である。


 眞奈は心から驚いた。


 ミセス・ハドソンに好かれていないのは十分わかっているが、自分が外国人だからだろうぐらいにしか思っていなかった。そこまで攻撃的ににらみつけられるほど憎まれる理由は思いあたらない。


 ミセス・ハドソンのにらみの視線が私へのもののはずがない、誰か違う生徒に対してでしょう。だって私、彼女のこと全然知らないもん。話をしたことだって全然ないんだから。きっとウィルをにらんでいるのよ。いたずらでもして彼女を困らせたんだ。


 眞奈はウィルの方を振り返った。

 隣にいるウィルは通路をはさんだ向こうがわに座っている男の子としゃべっている途中だったので、窓とは逆を向いていた。

 ウィルに対してのにらみではないようだ。きっとバスの他の列に座っている子に対してにちがいない。


 眞奈がミセス・ハドソンと目が合ったのはバスが通り過ぎるほんの一瞬だったため、自分の勘違いで気のせいだと思うことにした。

 しかし、どんなにそう思おうとしても、自分が想像していたよりもはるかに激しく嫌われていることを心の奥底で感じ取った。


 スクールバスは正門をくぐると、本館に続く一本道のアプローチを走った。通りの両端には立派な木々が植えられ、訪れる者を厳かに出迎えていた。やがてバスはステイブルブロックと呼ばれる建物の正面に到着した。


 ステイブルブロックは、かつては馬をつないでおく厩舎(きゅうしゃ)だった建物群だ。現代ではクラブ棟に様変わりし、入口はスクールバスの終発着点になっている。

 かなり恰幅がよい堂々とした建物で、正面中央はどっしりとした巨大な二本の柱に支えられアーチ状にくり抜かれていた。アーチ天井の通路は奥へと続き、建てられた当時は、本館で主人を降ろした後、馬を休ませるため四頭立てや二頭立ての馬車がこの通路から厩舎の中に入って行ったと思われる。

 そして時を隔てた現在においては、ステイブルブロックには馬車の代わりに、眞奈たちが乗ったスクールバスが到着するというわけだ。


 眞奈とウィルはスクールバスを降りて、ステイブルブロックから本館へ歩いた。


 今日は小雨が降っているので、ウィストウハウス・スクールの本館の建物はいつもよりいっそう深い霧にけむっていた。剛健な造りのステイブルブロックを見た後では、美しい白い窓が贅沢に取り入れられている本館のエレガントさが際立って見える。


 しかしいくらウィストウハウスの建物が好きとはいえ、今の眞奈には建物の素晴らしさは何のなぐさめにもならなかった。学校に着いてしまったという暗い憂鬱な気持ちでいっぱいになった。

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