第5話 祀られた神

 今後の事について、担任の館脇から一通り説明を受けて本日は下校と相成った。

 初日なので授業も無く、大抵の人間は学校に留まらずそれぞれの家路を辿ることとなる。

宗二郎もその例にもれず、妹に早く帰ると約束した事もあって、佑弥と棗に別れを告げ荷物を纏めて教室を後にした。


 人の流れに乗って校舎を出て、宗二郎は地面を蹴って靴の調子を整えていた。

 そんな事をしていたら、急に春風が勢いを増して吹きすさび、桜の木を揺らした。

 宗二郎は鞄を肩にかけなおして、歩き出す。

 と、不意に彼は誰かの視線を感じた。


 視線は背後の上方から感じる。

 おそらく、校舎の屋上あたり。

 害はなさそうだが、好奇の視線でジロジロと見られているようだ。


 その上、この視線は、おそらくだが、

 ──人間ではないような?


 彼は人ごみの流れの中立ち止まり、瞬きを1回。

 世界がモノクロのようになり、隠された風景が浮き出る。

 それは見えないものが見える眼。


 誰にも姿が見えないように、意識から外れるように、宗二朗は動いた。


 人には、死角がある。

 それは物理的な死角と言う意味でなく、意識の死角。

 ピントが合わなければ、人はその姿を見ていたとしても、認識しない。

 例えば路傍の石と同じことだ。

 視界に入っていても、意識しなければ無いのと同じこと。


 宗二朗は人ごみをすり抜け、校舎の壁に到達した。

 彼は、壁から僅かに突きだした、窓の桟や地面に伝うパイプ管を足場にして屋上に駆け上がった。

 フェンスを乗り越えて、屋上に立つと視線の主と対面する。

 彼女は壁を駆け上った宗二郎に驚いたようで、目を丸くしている。


「うわっ」

「何者ですか?」


 宗二郎の誰何の声に、彼女は不満そうな顔を見せた。


「ちょっと何よぉ、カミサマ斬ろうっての? なんって無礼な人間なのよ。あんまり無礼だと、祟っちゃうぞ」

「神様?」

「にょほほほほ。そうよ、カミサマよ。偉いのよ。崇め奉りなさいな」


 なるほど、確かに彼女からは邪気は感じなかった。

 少女の姿をした、自称神さまは偉そうに胸を張る。

 ぬばたまの髪に、深緑の瞳。時代を感じる女袴のような衣服を着用していた。右手には唐傘、頭には牡丹の髪飾りとリボンの髪留めを、見た目は九、十頃の子供だった。


「神様ですか。貴方が神なら僕は鬼切り。神に会うては神を斬り、仏に会うては仏を斬り、鬼に会うては鬼を斬る」

「そして、森羅万象、あらゆるモノを斬り払えばこそ剣の徒、と言うわけね」

「だから、神とかそうでないとか、そんな言葉は意味がない。僕は、人に仇なすのなら斬るだけです」


 神と言っても、そんなに珍しい話ではない。

 神道の考えでいけば、八百万もの神がいる。

 どんな類の神かは知らないが、一々敬っていたらキリがない。


「これだから、最近の若い人間って杓子定規で嫌ねえ」

「どうでもいいです。それに、僕は神様ってあまりいい思い出が無いんです」

実に人間臭くため息を吐く少女の言葉を、切って捨てる。

「私が誰かって? 私は時雨ちゃんよ。大正生まれの自由気ままな風来坊なのよさ。今時珍しい子がいるから、見てただけじゃない。なによ見物料でも取るつもり? 宗ちゃんのケチん坊さん」


 大正生まれ。

 つまり少なく見積もっても八十歳以上と言う事になるわけだが。

 それはともかく。


「何故、僕の名前を?」

「ふふん、時雨ちゃんは何でも知っている物知りさんなのだ。みゃははは」


 ふざけた言葉と共にウインクをする時雨に、宗二郎は無性にイラっとした。

深呼吸する。

 平常心だ、平常心。


「御供え物くれたら、なにか神託を授けましょう」 

 にへらーっと子供のような笑みを彼女は浮かべた。

 それから頂戴をするように彼女は、その小さな両手を差し出して来た。


「僕は興味ないので、結構です。それでは」

「あ、ちょっと待ってよー」


 立ち去ろうとする宗二郎の裾を掴んで、時雨はズルズルと引きずられる。


「宗ちゃんのいけずぅ。女の子からのお願いはちゃんと応えないとダメだゾ? お腹すいたのー」


 彼女は甘ったるい声と上目づかいで彼に訴えた。


「勘弁してください」

「ちょっと! 勘弁してくださいってなにっ? 時雨ちゃんじゃ魅力がないって言うの? なによぉ、時雨ちゃんだって成長したかったわよ。祀られちゃったんだから、しょうがないじゃないの」

「………」


 そう言えば、と宗二朗が制服を探ると、指に触れる物があった。

 取り出すとそれはイチゴ牛乳味の飴玉だった。

 今朝、通学路を歩いている途中に塾の広告と一緒に配られていたものだ。


「では、これを差し上げます」

「やた、飴ちゃんだ」


 宗二郎が飴を渡すと時雨はぱっと笑顔を見せた。

 彼は何だか手のかかる妹を相手にしている様な錯覚を受けることとなった。

 実の妹は妹で、しっかり者で手がかからなさ過ぎるのだが。


「良くそんな物で、喜べますね」

 神様なのに。


「いいじゃない。貰わないと食べられないのよ、カミサマって」

「そうなんですか?」

「そぉよ。時雨ちゃんの事を見えている人にしか、時雨ちゃんは干渉しちゃいけないんだから。だからカミサマには、誰にでも見える憑代が必要なの」


 何事にもルールがあると言う事だ。


「例えばそれは、道端のお地蔵様でも仏壇に飾られた位牌でも何でもいいケド、大事なのは誰に対して祈りを捧げるかなのよん。その偶像の後ろには時雨ちゃんがいるって、ちゃあんと理解してないとダメダメさんなのだ」

 舌でコロコロと飴を転がしながら、彼女はモゴモゴと言う。


「神様も色々ありますからね」

「にゅふふふ。この葦原の中つ国くらいカミサマが発生しやすい土壌もなかなか無いけどね。だってお米一粒に七人も詰まっているんだから。私たちは見えてないだけで一杯いるのよ?」

 時雨は得意そうに講釈し、「崇め奉りなさい」と両手を横一杯に広げる。


 こほんと、時雨は咳払いをする。

 彼女はふざけた態度を改めて、厳かに告げる。


「では、アナタに告げましょう。見えないものは、見ようとしても見えないものなの。でも、同じものが見えるからと言って、本当に同じものが見えるているとは限らないわ」

「参考になるような、ならないような」

 曖昧な神のお告げだ。


「まー、宗ちゃんはあんまり考えるタイプじゃなさそうしね」

 そんなことはない、はずだ。


「神託ってそんなもんなのだ」

「そんなものですか」

 飴玉一個の対価にも丁度良いしね、とは彼女の言。

 確かに、飴玉一個分の報酬と考えれば十分つり合いが取れている気もするが。だったら他の物を供えたらもっと詳しく聞けるかと言えば、そう言う訳でも無いだろう。


「それだけよー、ゴメンよ宗ちゃん。カミサマでも知らないことは喋れないからね」

「何でも知っているんじゃなかったんですか? 時雨」

「む、ヤな言い方ね。時雨ちゃんはなんでも知ってますー。でも、カミサマでも分からない事はあるの。それに、全てを知ってしまったら人間ダメになるものよ」


 時雨は手鞠を何処からか取り出して、持っていた傘に載せてクルクルと器用に回し始めた。


「この世はのべつ幕なし、まわり続けるの。まあ、だから時雨ちゃんだって、本当のところは総てを知っている訳じゃないのよ? ……ま、若い時の苦労は買うてでもするものなのだ」

 ほっと言う掛け声ととも、時雨は傘から毬を弾き飛ばした。

 てん、てんと其れが宗二郎の足元まで転がって来る。


 と、突如それが爆発して彼は煙に包まれた。

 不意の事にも、口を押えて瞳を細めて素早く身構える。


「にゃはははは。それじゃまたねー、宗ちゃん。今度会うときは、時雨ちゃんカステラが食べたいにゃあ」


 だが、そんな言葉が辺りに響いて煙が晴れると目の前には誰の姿も見えなくなっていた。


「逃げられた……」

 呆然と宗二郎は呟く。


 別に、捕えていたわけでも無いが、この姿の消しようはまさにそんな言葉が相応しい。

 例えて表すなら餌をやっていた猫が急に走っていってしまった感じである。

 お騒がせな神様だった。

 宗二郎は瞬きをする。

 彼の視界が元に戻り、ふうと息を吐く。

 また、と時雨は去り際に口にしていたから、きっと近いうちにまた会えるだろう。

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