天下無双のお菓子に挑む男

 世界一まずい菓子、サルミアッキ。今日、我が家にこいつが届いた。

 妻や娘からは「そんなもんに金使うな」と呆れられたが、自分がラジオパーソナリティとして出演している番組のトークの肥やしだ。ただし、メインの目的は別にある。

 明日はFMエソニアに行く必要はない。ちなみに「Esonia」とは北海道のラテン語名だが、Estonia(エストニア)と紛らわしいスペルだな。


「松永さん、トライしましょ」

 新聞社の編集者が俺をそそのかす。俺はこの新聞で週一連載のコラムを書いているが、俺の本業は曲がりなりにも日本画家だ。コラムの挿絵も自ら描いている。ただし、日本画の画材ではなく、アルコール系マーカーペンで色を塗る。

 まずは、サルミアッキの箱を描く。そして、三粒ほど取り出し、描く。

 黒々とした、禍々しい粒。塩化アンモニウム…塩化アンモニウム!?

「マッちゃん…どうする?」

 俺は客人に訊く。マッちゃん、本名はマティアス・博之・ホフマンという日系ドイツ人で、俺の知人の真一さんの遠い親戚だ。厳密に言えば、真一さんは作家の花川加奈子の父方の伯父で、マッちゃんは加奈子さんの母方の従兄だ。

「マッちゃん」という愛称は、松永という苗字の俺自身も呼ばれていたが、ムサビを卒業してプロの日本画家になってからは、雅号というかペンネームの「少伯」と呼ばれる事が多くなった。ただし、俺の番組のリスナーたちからは「松弾さん」と呼ばれる事が多いのだが、それは俺の先祖が…。

「僕、徹夜で仕事する時に使いますよ」

 若いマッちゃんは言う。彼は翻訳家で、本国では日本人作家の小説を訳している。そして俺は、今マッちゃんが手がけている本のドイツ語訳版の表紙絵を手がけている。

「眠気覚まし。台湾とかにあるビンロウみたいなもんですよ」

 ビンロウ…。以前読んだ誰かのエッセイに載っていた話だ。長距離トラックの運転手が眠気覚ましのために噛むという何かだが、どうやらまず過ぎて眠気が覚める代物らしい。


 俺は覚悟を決めて黒い粒を口に入れて噛んだ。


 何だか漢方薬みたいな味だ。それに微妙な塩味がある。単なる食べ物としては確かにまずいが、薬だと思えば何とか耐えられる。

「リコリスって漢方薬の甘草ですね。確かに漢方薬らしい味だと思いますよ」

 だったら、塩化アンモニウムって何? 何だか物騒な原材料じゃないか?

「眠気覚ましか…。確かに眠気覚ましに使えそうだな」

 俺の家族はすでに寝たし、マッちゃんも客室に行って寝ている。俺はこれから、アトリエとして使っているこの部屋で睡魔と戦うのだ。

 例の仕事のためのデッサン。ダメだ。頭の中がギラギラしているせいでワヤだ。仕事にならん。俺は麦茶でサルミアッキを喉に流し込む。


 何だか幻覚でも見そうなくらい、俺はフラフラだ。東向きの窓を見ると、カーテン越しに淡い空が感じられる。俺は時間を無駄にした。


 気がつくと、俺は布団の中にいた。どうやら、ギンギラギンの限界を超えてぶっ倒れているところに布団を敷かれ、寝かされたらしい。

「だから言ったじゃないの。新聞のコラムのネタにするなら、もっとおいしいものにしなさいと」

 俺は妻に叱られた。確かにこいつの言い分が正しい。そうだな、次はこいつのために桃ジャムかバラジャムでも注文しようか?

 俺は天下無双のお菓子に敗れた。敗れた勝負は交換出来ますか? 検索すれば分かりますよ。分かるかよ!

 一ダースも買ってしまったサルミアッキ、残り11箱。ええい、自分の番組のリスナーへのプレゼントにしてやる。文字通り「これでも喰らえ!」だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る