1-9

 古谷さんって子が降りる駅で、彼女は彼に手を振った。

「じゃあね。また今度みんなで遊びにいこうね」

「・・・・・・そのうちな」

 彼はそう答えた。あまり気乗りしないみたいで、それは少し嬉しかった。

 ドアがしまって、またここは私と彼だけの空間になった。

 でももう、終点まであんまり駅は残っていない。

 もしかしたら次の駅で彼は降りちゃうかもしれない。

 だけど私の気持ちは折れかかっていた。

 彼の声が聞けて嬉しかった。

 彼の事を知れて嬉しかった。

 でも、できれば彼との会話でそれを知りたかった。

 まるで子供みたいに私はそう思っていた。

 大切にしていたお菓子を誰かに開けられて食べられたみたい。

 それでもまだ彼の事が好きだった。

 思ったよりもずっと格好いい声に、優しそうな性格が覗える会話。

 友達もいないわけじゃないみたい。

 もしかしたら彼女がいるかもしれない。

 さっきの子は多分違うけど、話に出てきたサトコが彼女の可能性だってある。

 いやきっとそうだ。

 だから古谷さんは彼に泣いてたか聞いたんだ。

 あれ、でも興味ないって言ってたし、じゃあ違うのかな。

 分からない。

 ああ、もやもやする。

 全部彼の口から聞きたかった。

 そんな権利、私にはないのに。

 時間はどんどん過ぎていく。

 彼はまた文庫本を読み出した。

 もう、気付いてよ。

 毎朝同じ電車に乗ってるOLがこんな昼間にいるんだよ?

 もっとリアクションあってもいいでしょ?

 私は少し苛立ってきた。

 なにより自分に苛立っていた。

 せっかく有休とって、喫茶店で五時間も待って、お化粧も頑張って、服を着る時に変にならないようにダイエットまでしたのに。

 なにやってんだ私。

 ここでいかない方が絶対後悔する。

 だからいけ!

 いけったら!

「あの、大丈夫ですか?」

「え?」

 声のした方に顔を上げると、彼の心配そうな顔があった。

「顔色が悪いし、なにか苦しそうだったんで。病院行きますか?」

 こんなに優しい言葉をかけてくれたのは母親以外じゃ記憶になかった。

 私が顔を真っ赤にしてもごもご言ってると、彼は照れた様に笑った。

「えっと、あなたは知らないかもしれないですけど、僕、いつも朝一緒の電車に乗ってるんです。だからこんな時間に帰るなんて何かあったのかなって。すいません。迷惑でしたね」

 私が病気どころか元気なことを感じ取った彼は申し訳なさそうに頭を下げた。

 迷惑なんてあるわけないじゃん。

 私は君と話す為にここにいるんだよ。

 今日一日、君の為に使ったんだよ。

 言えばいいのに、私の口はなにも意味のある音を出さなかった。

 こんなの初めてだ。

 緊張しすぎると私ってこうなるんだ。

 そんな発見をする余裕はあるのに、言葉が出ない。

 すると彼が外を見た。

 電車が減速して、目の前の景色が駅になる。

「あの、僕ここで降りるんで。じゃあ」

 ドアが開き、彼はそちらへと歩いた。

 それを見てようやく私の声は出た。

「あ、あのっ」

 私の言葉に彼がドアの前で足を止めた。

「はい?」

 私の方を不思議そうな顔で彼は見ていた。

 ひきとめたのはいいものの、私の頭は真っ白だった。

 なにを言ったらいいのか分からない。

 でも時間がないから、思った通りの言葉を言った。

「また、会えますか?」

 彼は驚いて、一瞬目を見開いた。

 ああ、ひかれた。

 最悪だ。

 そう私が落ち込もうとした時、彼は小さく笑った。

「えっと、四月からなら。僕の大学、高校に近いんで」

「……あ、そうなんですか」

 安心した私が言った言葉はどんどん小さくなっていた。

 よかった。もう会えないと思ってた。

 ほっとして、肩の力が抜けた。

 そんな私を見て、彼はほんの少しだけ微笑んだ。

「はい。じゃあ、また」

 彼がそう言って外に出ると、ほとんど同じタイミングでドアは閉まった。

 それから終点までの十分間、私は放心状態だった。

 だけど彼の降りた駅だけははっきり覚えている。

 話せた。それだけで嬉しかった。

 まるで中学生みたい。

 でも三年間もずっと待ってたんだし、今くらい喜んでもいいよね。

 じゃあ、また。だって。

 またってことは、またお話しようってことでしょ?

 え? なら成功ってこと?

 やったあ……?

 喜んでいいよね?

 私は目をぎゅっとつむって、手と手を握り合わせた。

 終点に着いた私は顔を上げて驚いた。

 前のガラスにはそれまで見たことないくらい、にやけた私がいた。

 なによりも、また彼と同じ電車に乗れることが嬉しかった。

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