穢れなき子供たちへ

天崎 剣

Episode01:都市鉱山

 夏が終わり、暑さも落ち着いてきたが、九月半ばを過ぎても三十度以上の夏日が続く。汗は止め処なく出、拭っても拭ってもキリがない。レジ袋に用意してきたペットボトル数本、ぬるくなったが仕方なく何度も口に運ぶ。炭酸が抜けたコーラは美味くはないが、この際、飲み物ならばなんでもいい。補給しないと、水分が全部空気に吸い取られていくような気持ちさえしてしまう。

 目の前が蜃気楼のように揺らぐ。ウミネコが数羽、からかうように頭上を飛び交う。鉛のように重たくなった空気と、足元のゴミの山をかき分けかき分け必死に歩いた。仕事でなければこんな場所に、こんな暑い日に来ることなんてない。思いながらながれは、ゴミ埋立地に立っていた。

 世界の資源が尽き始めた二十一世紀末、日本は都市鉱山の本格的な開拓に乗り出す。都市鉱山というのは、電化製品など、都市部で多く排出されるリサイクル可能なゴミの山のことである。レアメタルと呼ばれる希少金属が多く使用される携帯電話やパソコンなどの精密機器もさることながら、価格が高騰し輸入困難となった鉄や銅などが大量に使用されている家電などは、いわば資源の宝庫。埋め立てゴミとしていた粗大ゴミや大量の廃車の中から、それぞれの金属を取り出して資源に変えていくのだ。

 生産と消費を繰り返し成長してきた日本経済、都市鉱山の埋蔵量は年々膨れ上がった。金や銀、インジウムや錫、タンタルなどは、世界の現有埋蔵量の二割を超え、その高い技術により再生成されたレアメタルは貴重な輸出資源へと変化していた。また、積極的に日本の中古家電を買い取っていたアジアの各国も、日本の技術力を取り入れようとしたが断念、結果、一度輸出された中古家電を再輸入するという歪曲現象が生じたのである。

 金属再生工業という新しい産業が発生し、ゴミの埋立地から家電を回収、分解して種類ごとに再生工場に持ち込むと、その純度や量に応じて報酬を払う制度が確立された。

 この「金属資源再生制度」を、流の所属する便利屋一ノ瀬が見逃すはずがない。暑い暑いと文句たらたらに作業を続ける流に、一ノ瀬は涼しげな顔で遠くから手を振った。


「流ぇ! サボったら報酬カットだぞ! 真面目にやれ!」


 それはわかってるよと、流は顔をしかめて舌を出した。だけど、一ノ瀬にこっちの顔なんか見えやしない。ゴーグルをかけ、マスクがわりに口元に巻いたタオルであごから伝う汗を拭う。こっちはゴミの中、あっちは冷房のついた監視小屋の中。長靴の中もつなぎのズボンも、Tシャツまで汗でだくだくだというのに、ヤツは数百メートル離れた涼しいとこから拡声器で、しかも名指しで指摘してくる。


「うるせー。いつかその頭の毛、全部剃ってやる」


 流はシャベルを必死に動かし、危険物に埋もれた家電を探し続けた。

 他の仲間は運転席にクーラーの付いた大型の人型ショベルカーで掘り返し、下っ端の流はその跡地を追いかけるようにシャベルで掘っていく。いつぞやも、我慢できずに一ノ瀬に言ったのだ。


「俺ばっかりこんな役回りじゃやってけねーよ」


 しかし、一ノ瀬はその薄くなった頭をゆらりゆらりと動かしながら、流を見下した。


「お前のような役立たずを雇ってやるだけでもありがたいと思え。今時、社会保障までしっかりサポートしてくれる会社なんて稀なんだぞ。こんなことでへこたれてちゃ、将来の蓄えがどうのなんて大口叩いてもどうなるかわかったもんじゃねえ」


 思い出せばむかむかするが、確かに暮らしにゃ困ってない。仕事はきついが、寝る場所と喰うものがあるだけマシ、そう思って今まで頑張ってきたんだ。今更辞める気なんてさらさらない。が、せめてあの、禿げるなら禿げてしまえばいいのに中途半端に留まったヤツの頭の毛を全部剃ってやらないことには気がすまない。そんなくだらない執念だけで、流は動いていた。

 一度埋め立てられた家電の掘り起こし作業は容易でない。土が入り込みしっかり固まったのを、重機と手作業で掘り出すのだ。まるでそれは、化石の発掘作業のよう。しかし、酸化していない貴重な金属がその中に埋まっていると思えば、諦めて頑張るしかない現実もある。例え形が変わっていようとも、金属は金属。綺麗に掘り出して洗浄すれば立派な資源だ。

 掘り返しの作業が一段落し、ショベルカーに乗っていた先輩の田村が流のそばに駆け寄った。ここは丁度一週間前に彼らが掘り起こしたところだ。


「どうだ、流。いいのあったか?」


 ちょっと太目の中年の田村は、真っ黒に日焼けした顔をこちらに向けて、冷えたペットボトルを投げてよこした。流は待っていましたとばかりに、シャベルを放り出して飲み物をキャッチする。


「お、サンクス田村さん。まあ、携帯電話がいくつかまとまって埋まってるけど、あとはガラスや陶器類やらどうしようもないもんが多いな。家具や廃材は木材チップに加工するんだろうから有効としても、どれほどのものが資源として再利用されるんだか。しかも、この辺りはガチで家庭ゴミゾーンらしくて、妙な臭いや物体が入り混じってるんですよ。俺一人じゃちょっときついから、たのんます」


 ゴーグルと軍手を外し、口元のタオルをぐいと押し下げる。蓋をこじ開け飲み干すスポーツドリンクの爽やかさが喉に心地いい。


「誰も、流ひとりにやらせてるわけじゃないよ。機械でやるところは機械で、後は結局人力じゃないか。ま、デカい家電が埋まってたら、油圧アーム使わないとどうしようもないけどな。これが世界のためになってると思えば、諦めもつくってことで」


 がははと笑う田村を、流は白い目で睨んだ。


「けど田村さん、この臭いはないと思うぜ。暑さに、何か物が腐ったような鼻の付く臭いときたら、普通じゃねぇ。三日前に来たときはこんなに臭わなかったはずだけど。暑さが過ぎるから、掘り返したゴミが腐ってくんじゃねぇの」


「馬鹿だな、流。ここは埋め立てゴミの処理場だろ。生ゴミじゃねぇんだ。腐ったりしないよ」


「田村さんは、キャリア長いから、身体がゴミの臭いになって気付かないだけなんじゃないの。かなり来るよ。鼻を突き刺すような腐敗臭」


 腰に巻いたポーチに引っ掛けたタオルを引っ張り、体中の噴出す汗をごしごしと拭きながら、流は一度放ったシャベルを拾った。そしてぐるりと辺りを見回す。

 よく言う、東京ドーム何個分というのは分からないが、隣接する海のギリギリまでゴミの山らしい。水平線が微かに見えるものの、ゴミの山の陰になって、ありがたみの欠片もない。ここまで数年掘り返しを続けても、掘削できたのは全体の数パーセントにも満たない。捨てるのは一瞬、これを資源として活用するために分別するには、途方もない月日が掛かる。一部有害物質が含まれている可能性を考慮して、慎重に掘り進めている現実もある。

 日本はここまで追い詰められているのかと、誰もが思う。こんな仕事が事業として成り立つこと事態嘆かわしい。それでも、自分の親、その親の世代から受け継がれてきたこのゴミの山が、宝へと変わるのだから、技術力の進歩を感謝すべきか。


「確かにな、この臭いは格別だな。流の言うように、何かが急激に腐っているような臭いだ。臭いの発信源が分かれば、ユンボで撤去するんだが」


 田村も同様につなぎの腰に手を当てて辺りを見回した。息を吸い込むと確かにつんと来る、不快な臭い。視界を右に左にずらし、やっと何かを見つける。


「おい、流。あのビニル、お前のか?」


 五十メートルほど先に、パサパサと揺らめく白い新しげなレジ袋が見えた。流は自分の足元のペットボトル入りのビニルを確認して、


「いや、俺のはこっちッス」


 指差し、田村の指示する方向に歩き出す。ちょっと見てきますと一言、軍手をはめ直しながら掘り返されたゴミの山を慎重に進んでいく。

 臭いが徐々にきつくなる。アレが臭いの発信源かと納得しながら、流はそれに近付いた。嗅いだことのない、変な臭いだ。生ゴミが腐ったとき、いや、肉が腐ったとき、いいや、違う。もっともっと、特殊で不快な臭い。辺りをぶんぶんと蝿が異常に飛び交う。その数は謎のビニルに近付くにつれて急激に増し、視界が真っ黒な霧で覆われてしまったかのようだ。流は思わず両腕で顔を覆った。鼻に当たる軍手の臭いが妙に爽やかに感じられるほど、そこの空気は澱んで腐っている。

 レジ袋まで数メートル、中から茶色のものがはみ出して見えた。流は恐る恐る、目を凝らした。慎重に、慎重に、歩を進め、腰を屈めながら覗き込む。


「ああ!」


 途端に、流は自分の大きすぎる悲鳴に驚いた。がたがたの足場にはまって体勢を崩したところに、右手のスコップが挟まって宙吊り状態になる。


「おい流! 何してんだ!」


 田村が遠くから叫んだが、流の耳には殆ど届かなかった。目の前の衝撃的な物体を指差し、がたがたと震えるのが精一杯だったのだ。

 蝿が流の頭上を飛び交った。ぶんぶんと耳障りな音と、自分の身体から恐ろしい勢いで失われていく水分、カラカラに渇いていく喉。声にならない声と、ぱくぱくと金魚のように開け閉めを繰り返す口は、流の衝撃を存分に表していた。

 のっしのっしと大きな身体を揺らしながら田村が歩み寄る。決して平坦ではない足元は、四十代の田村にはきつかった。はあはあと息を切らし、蝿の大群が舞う現場へと到着すると、流の身体をひょいと持ち上げ、大丈夫かと背中をさすった。


「どうした、何を見た、流」


 未だ指すことをやめない指先を辿ると、例のビニルに突き当たる。

 田村は怪訝そうに眉をしかめると、流をその場に置いて、更に一歩一歩、それに近付いた。田村の鼻にも、その不快な臭いは嫌なくらい突き刺さっていた。どこかで嗅いだ臭い、そして、決して嗅ぎたくない臭い。


「死体だ」


 ぼそっと、田村は呟いた。

 小さく丸い、茶色く変色した掌がビニルの外に助けを求めていた。

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