オマエは誰か

 越本は壁を背にして寄りかかる。


「彼女は高橋佑助に裏切られ、殺されてしまった。島川は恨み、高橋佑助を殺した。それでも、島川の人生は戻らない。夢や希望は全て絶たれたんです。島川はやり切れない思いを引きずったまま、ここに留まっていた」


「なんのために?」


「島川はまだ好きだったんです。高橋佑助のことが」


越本は薄く笑みを浮かべていた。それがあわれみを含んだ笑みであることはひしひしと伝わってきた。


「ここは高橋佑助が誰にも言わなかった秘密の隠れ家。ですが、元々は島川と密会するために用意した山荘だったんです。彼女をうとましく思った時はまだ言ってなかったようですが。

自分への思いが詰まったこの山荘は、いわば愛の形とも言えるわけです。だから、この山荘を壊そうとする者を追い払い、時には殺した。

彼女の殺しには、もう 1つ意味があります。自分を思ってくれる人を自分の世界に引き込むことです」


幽世かくりよ


幽世かくりよは自分の世界の下でルールが作られます。しかし、そこには自分の意図しないことまで入り込んでしまう」


「どういうことだ?」


「コントロールできないことがあると言うことです。元々、彼女はここに留まることを本意としていません。

彼女は誰かに愛してほしかった。だから、殺すことで自分の世界に引き込み、幽婚ゆうこんを行った」


「じゃ、何で三嶌を殺す必要があった? 島川彩希が殺したんだろ」


楠木は納得のいかない様子で問いかける。


「誰でも良かったんですよ。自分を愛してくれさえすれば。死んだ人間には、もう思ってくれる人しかいない。それだけが、死んだ彼女の希望だったんです」


 越本は神妙な顔で視線を落とす。

楠木は越本の肩に触れる。体の中に手が入り込んだ。受け入れがたい事実だったが、越本薫は既に死んでいた。

楠木は手を引き、自分の手に目を移す。


「僕は霊体となり、彼女の思いを知った。そして、何度も幽婚ゆうこんを行ったが、全て破たんしたことも。

だから、僕は必ず幽婚ゆうこんを成功させると持ちかけ、その代わり、協力を要請したんです」


鋭い目つきが楠木に刺さる。


「警察への復讐……いえ、あなたへの復讐を」


「俺?」


うんざりと言いたげにため息をつく越本は首を横に振る。


「本当にあなたには感服しますよ」


越本はベッドに座る。島川は無表情で越本の動きを目で追う。


「お前の動機が分からない。お前の言ってることが本当なら、警察よりも宮橋和徳が一番憎いんじゃないのか?」


「ええ、だから苦しめたんです」


当然という反応に違和感を覚えた。かい離する間が見える。


「あなたじゃないですか。宮橋和徳は」


突きつけられた名前は、間違いなく自分へのもの。空想に溺れる凶悪犯罪者は、またおかしなことを言い始めた。


「何言ってんだ、お前」


 楠木はぎこちなく片側の口角を上げる。


「宮橋和徳は生き残った僕らを全員殺した後、山荘周辺に散らばった遺体を隠した。最終的には、ご丁寧に僕が犯人であるかのような証拠を残し、山荘を去った」


「ちょっと待て」


「そして、捜索願を受けた警察は僕らの行方を追い、この山荘に辿り着く。そこには血痕があった。血塗られた山荘。傑作ですね」


越本は自嘲するように笑う。


「待てって!」


越本は冷たい顔に戻る。


「お前やっぱりおかしいだろ。大学生にもなって、そんな飛躍した話、誰が信じるんだよ」


「信じる信じないとか、どうでもいいでしょ。彼女はあなたの犯行を見ていましたから」


 楠木は眉間に皺を寄せ、島川に視線を振る。島川は楠木の視線を避けるように俯き加減になる。


「霊の言うことを信じるってのか。本当にイカれてるな、お前」


「契約を交わした後に、彼女は僕に教えてくれました。嘘をつく理由がない」


「お前と、幽婚ゆうこんを交わすためなら……」


「それはないですよ。お互いの同意により、幽婚ゆうこんは成立する。

僕は拒否しました。だから、島川彩希と鳥山和也の幽婚ゆうこんが成功したんじゃないですか」


「お前の計画通りと言いたいのか」


「ええ」


越本は脚を組み、薄ら笑いで勝ち誇る。


「でも、僕と彼女との契約はまだ終わってない。だから、彼女は僕の命令で富杉蓮とあの儀式に関わった者を殺した。邪魔されると厄介なんでね。

僕との契約で、彼女は仕事をしただけです。あなたに恨みなんかありません。憎んでいるのは、この僕です」


 越本は挑発するような仕草で前のめりになる。

楠木はまとまらない頭を働かせる。信じるにはあまりに現実離れしている。洗脳されようとしている。自分の精神を侵す悪霊でしかない。

楠木は心を奮い立たせ、再び反論する。


「仮に、宮橋がお前たちを殺し、生きていたとして、何で俺が宮橋になるんだ。言いがかりもここまで来ると、ただの当たり屋だな」


楠木には冗談として受け入れる様子は感じられない。それでも、越本は冷たい語りをやめない。


「宮橋和徳は山荘を去った後、警察や他人の目から隠れるために地下社会へ潜りこんだ。自分は死んだことにしたかったからです。

そのためには、家族にも、警察にも見つかってはならない。宮橋は地下社会にコネのある整形外科医を探したんです」


「地下社会って」


「またまたとぼけちゃって。聞いたことくらいあるでしょ。表では清廉潔白な顔をしながら、裏では非合法な経済活動が行われる社会がある。とても大きな社会だ。そこなら、自分の素性を隠せる方法があると思ったんでしょ。

整形外科医を見つけた宮橋は、なり替わる対象を探した。一番自分が身を隠すのに最適な人間を。自分と同じ年齢で、同じ身長の、自分とは接点のない者」


 越本はベッドのサイドテーブルの引き出しを開け、いくつかの紙を取り出した。

紙を持った越本は、楠木に差し出す。


「探しましたよ。あなたの主治医。殺す必要はなかったですが、あなたに手を貸した奴が堂々と大金を持っているのもしゃくだったので、処分しました」


楠木はおずおずと紙を受け取る。紙に領収書とあり、宮橋和徳の名前、施術項目と料金。合計は3500万。


「こんな大金、宮橋1人で稼いだって言うのか?」


楠木は真実味に欠ける領収書に意見する。


「人の臓器は高く売れるんですよ」


越本は無感情な声色がまた突飛した話を口にする。さすがに固まってしまう楠木。


「危険と言われている非合法の薬の治験なんかもできるし、元気な体なら値は更に高くなる。そうアドバイスを受け、本当の楠木将伸くすのきまさのぶを殺し、売りに出した。

あなたは整形外科医によってフルチェンジし、楠木将伸に生まれ変わって、第2の人生を歩んできた。ちょうど、30年前に」


楠木は嘲笑しながら首を横に振る。


「あるわけない……。俺には、宮橋の記憶はない。俺は楠木将伸だ。産まれてから、今日まで!」


 強い瞳で言い放つ楠木。


「人生をやり直したいと思う人間はいます。合法となる整形も同じ欲望によってなされている。その延長線上に、他人と入れ替わりたいという手段と欲望があるんですよ。

しかし、簡単に名前まで変えることはできません。記憶はもっと難しい。

他人と入れ替わるなんて考える人は、嫉妬と憧れに身を焦がした人間か、特殊な状況下に置かれて切羽詰まった人間くらいです。

さっきも言ったじゃないですか。非合法の薬の治験が行われていると」


「記憶を操作する薬があるとでも言いたいのか」


越本は体を揺らして笑う。


「そんな薬ができたら、世界征服なんて馬鹿げた話もありそうですね」


茶化すように話す越本はくだけた姿勢になる。リラックスした越本は、まるで自分の家にでもいるかのようだった。


「記憶を消すだけです。記憶に関係している脳機能をピンポイントで破壊する薬。

でも、これだけじゃあなたの目的は達成されない。欠損した後は、脳細胞の成長を促進する薬の服用と、行動訓練をしなくてはいけません。表に出ても、不審に思われないようにしないとまずいですから」


 楠木は紙を握り潰し、床に投げつけた。


「こんな紙じゃ、俺が宮橋和徳だって証拠にはならない! これくらいほとんど書かれていない領収書なら、小学生でも作れるだろ! 偽造された物に決まってる!」


楠木は息を荒々しくして反論した。

すると、越本は自分のポケットからまた携帯を取り出す。


「これ、僕の携帯なんですよ」

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