愛の記憶

 今日はあいにくの曇り空だった。冷たい風が一日中外を歩く人々に吹き付ける。楠木は時折窓の外を見つめ、××警察署の近くにあるどんぶり店で人を待っていた。

風の音は大したことはない。誰だって聞いたことのある微かな自然の鳴り物だ。しかし、不吉な予感を思わせる音に敏感にならざるを得ない。現世うつしよか、幽世かくりよかも曖昧になっていく自分の感覚も疑っていかなければ、命を落とす可能性もあるのだ。


このどんぶり店には初めて来た。署員はもっとミーハーなチェーン店で食事をする。こんな蜘蛛の巣が天井に見えている雑なお店に通ったりはしないだろう。楠木は内観を見回し、安堵する。

お店に入ってきた楠木と同じ、50前半くらいのスーツ姿の男性が楠木を見る。口元を緩め、軽く手を挙げた。楠木は呼応するように手を挙げ返す。男性は楠木がついているテーブルの前に座った。店員に注文し、持って来られたお冷を口に含んだ。

彼は同じ××署で働く鑑識課の江後優馬えごゆうま。楠木は過去の捜査資料を取り寄せてもらうために呼び出していた。あの山荘で起こった、別の事件だ。


 最初にあの山荘で起こった事件、当時も報道されているが、小さな記事でしか取り扱われておらず、結果的に知っている人はごく少数となったようだ。

高橋佑助との連絡が取れない、とガス会社から連絡があり、安否確認のため同行してほしいという通報があった。ガス会社は滞納されている料金の徴収のお願いをしたかったのもあったが、高橋佑助に限ってそれはないだろうと思ったようだ。何かよからぬことが起こったのではないかと、心配していたらしい。

高橋佑助はお金に困るような生活レベルではない。そして何より、彼が几帳面な性格であることがガス会社の人たちの確信に至らせた。

彼はポーランドへ移住することになった時、契約の解除を申し立ててきたことがある。そういった手続きを面倒臭がって、そのままにしてしまう人がよくいるのだそうだ。

契約内容の詳細について逐一確認を取ってくるごひいきは滅多にいないから、ガス会社も高橋佑助をよく知っていた。


 ガス会社の関係者2人と、警察官1人が山荘に赴いた。チャイムを鳴らしたが、

当人は現れず。玄関の鍵が開いていたため、中に上がり、高橋佑助の名を呼びながら当人を探した。

彼は書庫にいた。倒れた本棚に押し潰された状態で。

胸部を激しく打ち、肋骨が折れていた。骨の一部が心臓に刺さって、多量の内出血を引き起こしたことにより亡くなった。だが、当時の鑑識課によると、事件性の可能性もあったようだ。

本棚はL字金具でしっかりと床に固定されており、余程のことがないと自然に倒れたりはしない。緩んでいた形跡も見られず、自然に倒れることは難しいとの見解が示されている。

更に検死でも不自然な点があったようだ。折れた骨は完全に肋骨から分離し、折れた骨の全てが心臓に刺さっていたのだ。まるで心臓目がけて突き刺さったように。

多くの謎は残ったものの、他人が訪れていたとの確たる証拠はなく、事故として処理された。


その後、管理者は不在となり、県が山荘と周辺の山を買った。そして、あの山荘は解体されるはずだった。

しかし、解体業者が突然依頼に沿うことはできないと申し入れてきた。

解体を進めようとした作業員が次々と不可解な事故に遭い、重軽傷を負ったのだ。解体業者は人手が不足する事態まで陥り、経営にも支障が出かねないと、お詫びとお願いに県庁まで足を運んできたらしい。

その後も、新しく解体業者に依頼をしたが、例外なく事故は続いた。万全に万全を重ね、充分な安全確保をしていたのに。県は解体して活用することを断念し、そのまま競売にかけた。

長い年月の末、山荘は宮橋和徳の親父さんに買われ、あの事件は起こった。事故物件のため、当時としては破格の安さで一般庶民の手にも簡単に買えたようだ。


 楠木は同僚にお礼を言う。同僚は「大丈夫か?」と問う。楠木は笑みを作って「大丈夫だよ」と返す。

同僚は険しい表情で重い口を開いた。


「お前、しばらく休んだ方がいいんじゃないか?」


「なんで?」


「同期のよしみで言うけどさ、最近のお前、変わったから」


「……そりゃ、近場の人間が2人も死んだら変わるだろ」


楠木は痛む胸を押し殺して言いよどむ。


「そうなんだろうけど、なんていうか、お前の顔がどんどん変わっていってるような気がしてな」


楠木は食べかけのどんぶりの中に箸を立てかける。


「俺は知りたいんだ。何が起こったのか。なんで、2人が死ななきゃならなかったのか。知らなきゃいけないと思うんだ」


同僚の男は楠木の虚ろな表情に言葉も出ない。


「それが2人の弔いになると思っちゃいないが、刑事として、やれることはやっておきたい」


楠木は神妙な面持ちで同僚に視線を向ける。


「付き合わせて悪かったな」


同僚は笑みを零す。


「気にすんな。相談ならいつでもしてくれ」


楠木はつられて笑みを零す。久しぶりに笑った顔が張って痛かった。


「ありがとう」



 勤務終了後、楠木は県立図書館へ赴く。

島川彩希について調べた。島川彩希は高橋の持っていた山荘のある隣の県に住んでいたようだった。楠木は古い新聞を司書さんに出してもらい、読み漁った。


島川彩希も高橋佑助と同様に、会社の元同僚が自宅へ尋ねたことで発見に至ったらしい。島川彩希は2008年7月頃に会社を辞めている。理由は一身上の都合だった。近しい友人の証言では、島川彩希は運命の人と出会った、と口にしていたらしい。

島川彩希と高橋佑助は紛れもなく不倫関係にあったようで、島川彩希との交友関係があった者のほとんどが知っていたようだ。

恋愛に奔放で、何かとトラブルに遭ったり、引き起こしたりしていたと、当時のゴシップ雑誌に書かれていた。

島川彩希には熱心に力を注いでいたことがある。過去の恋愛をブログに書き留めては広告収入でお金を稼いでいたようだ。

いわゆる恋愛話に特化したブロガーだった。


 書き綴られた恋愛話はかなりの人気を誇っていたらしく、サイトのランキングでは、島川彩希の使っていたペンネームを見ない日はなかったらしい。だが、島川彩希は決してブログのために恋愛をしていたわけではない。彼氏との思い出をブログに書き留めて大切に保存したかったようだ。過去に経験した恋愛と比べ、今の恋愛は何が特別なのかを考えるのが好きだった。一種の恋愛依存的な傾向があったのだ。

ブログ、日記……。島川彩希にとって、ブログは愛の記憶と言うべきかもしれない。島川彩希のブログがまだ残っているとは到底思えないが、調べてみる価値はあるだろう。

もしかしたら、島川彩希は今までずっと過去の恋愛をブログに書いていたのかもしれない。高橋佑助との恋愛も。高橋佑助とののろけ話だけではなく、恨みつらみも書き記しているのかもしれない。そのブログは呪いの力を持ち、ブログを見てしまった高橋佑助は呪われて死んだ。

高橋佑助もまた、呪いを解こうとした。そして、呪いを解くには記録することだと思い、日記を書いた。

問題は、なぜ呪いを解くには日記を書けばいいと思ったのかだ。


 越本薫は楠木と同じように高橋佑助を調べた。高橋佑助は呪いを解く方法を知っていたと思い、それが日記を書くことだと思った。島川彩希のことも知り、ブログを書いていたことを知っていたのではないだろうか。つまり、記録すること。だが、そう考えるにはどうにも納得がいかない。

高橋佑助は結果的に呪い殺されてしまった。ならば、別の方法を取ろうとするはず。にもかかわらず、越本薫は動画で記録を残した。

楠木は新聞にかじりつくように見つめ、何度も読み返す。

越本薫は何か別のアプローチを思いついた。それが動画を撮ることだった。動画を撮る以外に、何をしたのだろうか。越本薫の生存が分からない今、呪いを解くことに成功したかどうかも把握できない。また動画ゆめの中で会うしかない。


楠木は新聞から手を離し、机に肘をついて頭を抱えた。

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