これが私の答え。

 幽婚ゆうこんの前儀は30分ほどで終わった。感覚としては2時間くらいはいたんじゃないかと思わせるほど、体の疲れが骨身に染みていた。


 幽婚ゆうこんの儀式の準備をすると富杉に言われ、楠木と蓮口は部屋の端に追いやられた。座布団の上に座り、4人の巫女が六角形の部屋の中で四角を作るような位置を取って座り直した。位置についた巫女を確認し、富杉が詠唱を始めた。

倍音の多い声が奏でられていく。富杉の独唱に合わせて、鈴のついた棒を振っていく巫女たち。歌声にも似た詠唱が富杉の声と合わさり、立ち込める空気を揺らしているんじゃないかと疑いたくなるような幻惑を見せる。それは蝋燭ろうそくの火の揺らぎのせいなのかもしれない。

隙間風があれば、この部屋は年末の寒さを感じるはずだ。古い木造の建物とは思えないほど、寒さを感じない。楠木の目には真っ直ぐ伸びた蝋燭ろうそくの火が映っている。火は綺麗な形をして光を放っている。

意識が波打つように安定しないが、さざ波に揺られている小さなものでしかない。蓮口と楠木はボーっとしてしまいそうな意識を醒ますよう自分に訴えかける。


詠唱が終わると、富杉は少し左に顔を向けた。

富杉が向いた方向に1人の巫女がいるものの、焦点は別のところにある気がした。


「お久しぶりです」


富杉は慎ましく会釈をする。顔を上げた富杉はわずかに口元を緩ませた。それは懐かしい人に出会った時に向ける笑顔であった。


「はい。私もこんなに早く、鳥山さんの下へ彼女が来るとは思いもしませんでした。申し訳ありません」


富杉は死んだ鳥山と会話している。そう思う他ないが、どう見ても1人で会話をしている。


「はい。彼等には見えていないと思います」


富杉は楠木と蓮口に視線を振った。


「あの……今、鳥山さんがそこにいるんですか?」


蓮口は視線を泳がせながら問いかける。


「はい」


 楠木と蓮口は富杉が見ていた場所に目を凝らすが、鳥山の姿は何度見ても確認できない。

富杉は2人から視線を外し、鳥山がいると思われる斜め右の位置に再び顔を向ける。


「今日は、鳥山さんにお願いがあってお呼びしました」


富杉は、鳥山に霊との幽婚ゆうこんの契約を交わしてもらうお願いをし始める。

楠木はなんとなく居心地の悪さを感じていた。霊になった鳥山が怖かったわけじゃない。鳥山に後ろめたさがあったのだ。


 富杉から初めて幽婚ゆうこんによって呪いから解放されると聞いた時、心底ホッとした。これで自分は死なずに済む。元の生活がいずれ訪れると思ったからだ。

怨霊となった女と結婚してくれて、呪いで死ぬことがなくなるなら、その人に感謝しよう。事実上の生贄いけにえが誰であろうとどうでもよかった。頭の片隅にある呪いの動画のことは忘れて、ありきたりな普通の日常に戻りたいと思っていた。


しかし、怨霊と結婚させられるのは鳥山だった。鳥山であると知っていたなら、当然異議を唱えた。富杉は有無を言わせない真っ直ぐな瞳で、楠木と蓮口を黙らせた。黙らされたのは、富杉の貫禄に気圧けおされたからじゃない。

富杉は分かっていたのだ。2人は自分が救われたいがために、生贄いけにえとなってくれる人がいて安堵した。ほんの軽はずみで2人が抱いた罪悪を責める富杉の視線と、2人が感じた後ろめたい気持ちが通じ合い、交渉の優劣が出来上がった。

最初から鳥山にお願いしようと考えていた富杉は、幽婚ゆうこんの相手が鳥山だと知った楠木と蓮口なら必ず拒否する。刑事の思慮深さを逆手に取り、2人が後悔するように誘導していた。

きっとこうするしかなかったのかもしれない。でも、死して尚、鳥山に新たな役目を負わせていいものか。後輩としては情けなく思う。立派な刑事として育ててもらった鳥山に恩返しをしなければならないはずなのに、恩を仇で返すことになってしまった。無力感に打ちひしがれ、心がぐらついてしまう。


「ありがとうございます」


富杉は深々と頭を下げた。


「全身全霊で以って、鳥山さんとの約束は果たして参ります」


富杉は確固たる意志を宿した瞳でそう口にした。


「では、島川彩希しまかわさきさんをお呼び致します」


楠木は蓮口に視線を振った。蓮口は知らないと首を振る。元家主に殺され、怨霊となった女性の名。後で調べておこうと思い、手帳を出してメモを取る楠木。

富杉と巫女たちはまた詠唱する。徐々に声が大きくなり、力強さを物語る。

すると、建物が揺れ始める。地震かと思い、膝立ちになるも、富杉や巫女たちは構わず詠唱を続けていた。この状況下では日常茶飯事の出来事なのだろうか。これもまた霊的な現象、ポルターガイストの一種だというのだろうか。地震、あるいは建物自体が揺れている。それほどまでに強い怨霊であると、今は理解するのが精いっぱいだった。

 揺れが収まったと同時に、詠唱も終わりを迎えた。どうなったのか、今から起こることが予測できない楠木と蓮口は身を強張らせた。

富杉は左を見ている。そこには薄い膜を被る人影があった。ひし形のショートヘアの女性は、鳥山が座っていると思われる真正面に腰を下ろしていた。

楠木と蓮口は自分の目に見えている物が本当に霊なのかと、座り直してまじまじと見つめる。霊感など皆無だ。

だが、動画で散々観てきた。透けている人、のっぺらぼうで、輪郭や体の線が見える程度。もし、くっきり見えていたら、自分は冷静でいられるだろうか。そんな不安が過り、思わず唾を呑み込んだ。


「島川彩希さん、ですね?」


富杉は落ち着いた様子でゆっくり問いかけた。返答は聞こえない。ただ口が動いているのが分かる。


「あなたは落葉樹林に囲まれた山荘で、付き合っていた男性に殺された。そうですね?」


島川は俯き加減になって間を空けると、ためらいがちに頷いた。空間に投影する機械を使っているんじゃないか。そう思えなくもない。だが、富杉たちがそれをしてなんの意味があるというのか。既に金は払い済みだ。

訴えを起こされないようにするためだったとしても、ここまでする必要があるのか。神社の経営が苦しそうには見えないし、仮にも有名な霊能者がいる神社だ。その噂を聞きつけて、依頼人や参拝者がこぞってこの神社に足を運ぶに違いない。


「あなたには、こちらにいらっしゃる鳥山和也さんと幽婚ゆうこんを結んでいただきたい。鳥山さんは、島川さんのことを深く気に入っておられます。幽婚ゆうこんを結び、冥土に花を添えてはいかがでしょうか」


 富杉は柔らかな口調で島川に提案する。

鳥山が島川のことを気に入っているというのはおそらく嘘だ。島川が鳥山を愛せる対象とみなせば、穏やかに過ごすことができる。怨霊でなくなれば、自然と呪いも解ける。

大学生集団失踪事件も、島川彩希の事件も、今となってはどうにもできないと思うが、少なくとも、島川の悲しみを知る人が側にいるということが救いになる。

彼女の悲しみを受け止め、黄泉の国へ旅立ち、新たな世界へと導いてほしい。それが鳥山にお願いしたことだった。鳥山はそれで2人が救われるのならと、即決した。


「では、ここにて幽婚ゆうこんを結ぶ運びと致します」


交渉は上手くいったようだった。富杉は立ち上がって振り返ると、白いひな壇にある絵馬を取り、大きく口の開いた袖から筆ペンを出した。白無垢の女性と袴の男性の絵の端にぞれぞれの名が記される。左隅に日付を書いて、筆先が絵馬から浮いた。

筆ペンに蓋をして、絵馬を同じ場所に戻すと、富杉は祈願の想いを込めてうたう。優しく包むような祈りは温かくも神々しく、協奏した声が昇っていくように空気を震わせる。

富杉は紙垂しでをつけた大麻おおぬさをゆったりと左右に振るう。紙垂しでが富杉と巫女たちの奏でる音に紛れてカサカサと音を立てる。その度に空気が澄んでいき、島川を象っていた線が薄くなっていった。

消えていく最後の時、島川は少しだけ朗らかな笑みを浮かべていた気がした。島川の姿が見えなくなっても、祈祷の音色はしばらく続き、楠木と蓮口は鳥山に感謝を捧げて冥福を祈り、両手を合わせていた。

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