早良親王幽閉

 種継が襲われた五日後、桓武天皇は長岡宮で遅い朝餉を取っていた。

「もうよろしいのですか。召し上がらないと力が出ませんが……」

 粥が盛られた椀を置いた桓武天皇に、明信が心配そうな声で話しかけてきた。

 明信は食べないと力が出ないと言うが、種継を失ってから、何を食べても味がないし、力も出ない。父さんが死んだときよりも心と体に堪えている。なくして大切さが分かるというが、種継は幼なじみとして、政の相談相手として、国を立て直す同志として、自分にとってかけがえのない人間だった。

 道半ばで死んだ種継の無念は必ず晴らしてやる。種継を殺した奴らを絶対に許さない。

 桓武天皇が「膳を下げてくれ」と言ったとき、清麻呂が右衛士督うえじのかみ(右衛府長官)坂上苅田麻呂さかのうえのかりたまろや早良親王、明信と一緒に入ってきた。

 清麻呂は一礼した後に捜査状況を報告する。

「種継殿を襲ったのは大伴竹良ですが、他にも大伴継人、大伴真麻呂など大伴一族を中心に数十名の関与が認められました。すべて苅田麻呂様の右衛士府に捕らえています。先日亡くなられた、大伴氏の氏上うじのかみである大伴家持おおとものやかもち様は種継殿や長岡京造営の関係者を襲う計画をかなり前から知っていたようです」

「他に関係した者は?」

「大伴湊麻呂、佐伯高成、多治比浜人、伯耆桴麻呂、牡鹿木積麻呂が暗殺に関わっていました」

「種継暗殺に係わった者を許すことはできない。苅田麻呂は大伴継人らを直ちに斬首せよ。大伴家持については葬儀を許すな。官位剥奪、官籍からも除名せよ」

「待って兄さん。死罪については天皇といえども一存で決めてはいけない。朝議に諮ってから処分すべきだ」

「うるさい! 早良は黙っていろ」

「人を殺せと言う命令には黙っていられない。人の命は何よりも重い。罪人だからといって一時の感情にまかせて人を殺すようなことがあってはならない」

「種継の暗殺は朕に対する謀反である。謀反は死罪であり例え皇族であっても減刑されることはない。朕は種継を殺した者たちを許すつもりはない。朝議で公卿が全員反対するとしても、暗殺に係わった者を死罪にし、種継の無念を晴らしてやる。苅田麻呂は直ちに継人らを淀川河畔に引き立て首を刎ねよ」

「待て! 苅田麻呂。天皇は頭に血が上っている。頭を冷やしてもらってから処分を決める」

「早良は朕が怒りにまかせて人を殺そうとしているというのか」

「種継の無念を晴らしてやると言ったじゃないか。死んだ種継兄さんは、大伴継人たちを殺しても喜ばない」

「種継を殺した奴らを処罰して、種継の霊を慰める。ついでに、遷都に反対している者たちを一掃してやる」

「藤原仲麻呂卿のように、兄さんは気に入らない者は粛正するのか。兄さんは血に狂っている」

「早良!」と顔を真っ赤にして、手を振り上げた桓武天皇を、苅田麻呂が身を挺して止めた。

「早良親王様は言葉が過ぎます。明信殿は早良親王様を部屋からお連れ申し上げて」

「兄さんは人を殺せと命じる前に、自分がやろうとしていることを考えてみるべきだ。苅田麻呂に命じる。朝議で決まるまで決して殺すな」

「勝手に命じるな。お前の顔など見たくない。出て行け!」

 早良は明信に押し出されるようにして部屋を出て行った。

 息を荒くして立つ桓武天皇の前に、清麻呂と苅田麻呂は立て膝になって頭を下げた。

「苅田麻呂は直ちに罪人を引き立て、首をはねてこい」

 桓武天皇の「早く行け!」という大声に追われるように、苅田麻呂は部屋を出て行った。

「他に関与が疑われる者はいるのか」

五百枝王いおえおう殿、大伴永主、紀白麻呂、林稲麻呂らの名前が挙がっています」

「先ほども気になったが、名前が挙がっている者たちは、春宮坊とうぐうぼう(皇太子の家政機関)関係者ばかりではないか。まさか早良が関与しているのか? 早良は種継の暗殺に関与しているから関係者を殺すなと主張したのか」

 清麻呂は言葉に詰まって頭を下げる。

「種継暗殺に関与した者に大伴が多いが、佐伯や多治比など大伴以外に多くの人間が関与しているから、家持以外に中心になる人物がいるはずだ。長岡京に移築を許さなかった東大寺や大安寺も遷都に反対しているが、早良は両方の寺で修行しているから知人が多い。家持は早良が皇太子になったときに教育係として仕えてから長い親交がある。早良を頂点に据えれば全員が結びつく」

「早良親王様を種継殿暗殺に結びつけるのは早計です」

 天皇の視線を避けるように清麻呂は再び下を向いた。

「大伴竹良の潜伏場所は判明したのか」

「種継殿に射掛けた場所は分かっているのですが、長岡京内の潜伏場所は不明です」

「早良には長岡京留守居を命じておいた。竹良を長岡宮に入れたのなら、怪しまれずに種継を襲う機会を待つことができる。早良は長岡に居たのに、種継の屋敷に来たのは朕よりも遅かった。早良が種継暗殺の首謀者に間違いない」

「竹良が長岡宮に居たかどうかは不明です。ゆえに早良親王様が暗殺に関わったという証拠はありません」

 桓武天皇は拳を握りしめた。

「早良が種継暗殺の黒幕だったのだ。種継には子供の頃から世話になっていたのに、恩を仇で返したのか。何ということだ。遷都に反対ならば直接自分に言えばよい。公卿たちならば天皇に面と向かって反対を言うことはできないかも知れないが、早良なら自分に遠慮せずに言うことができるはずだ。直接文句を言わずに、種継を殺すとは絶対に許されない。早良の罪をうやむやにしては、朝廷、ひいては天皇の権威が落ちる。天皇の実弟であろうとも種継を殺した罪は償わなければならない。早良を直ちに捕らえ死罪にせよ」

 天皇の大声に、清麻呂がひれ伏して答える。

「天皇様のお考えは推測であって、早良親王様の話を聞かないと本当のところは分かりません」

「皇太子であろうとも謀反は死罪だ。まして、種継は早良にとって兄のような存在だ。兄を殺す罪は何があっても許されない。清麻呂が動かないならば朕自らが成敗する」

 天皇が立ち上がると、清麻呂は「お待ち下さい」と天皇の衣の端を握って引き留めた。

「何を待てと言うのだ」

「早良親王様は天皇様の実の弟様で皇太子です。軽々に罪を問うてはなりません。もし、罪に問う場合も、誰もが納得できる証拠がなければいけません。私が調べますのでしばらくお待ち下さい」

 部屋から出て行こうとする天皇を清麻呂は大の字になって通せんぼした。

「どけ! 朕自ら早良を問い質し事の真偽を明らかにする」

「退きません」

「朕の命に逆らうのか」

「今回ばかりは、天皇様のおっしゃることでも聞けません。天皇様に逆らう罪については、すべてが終わってから罰して下さい。天皇様は、竹馬の友である種継殿を殺されて頭に血が上り、賢明な判断ができない状況にあります。今の天皇様では、後で悔やむ決断をします。早良親王様を殺すなど論外です。捜査の全権を私にお預けなさっているのですから、私にすべてお任せ下さい」

「朕は頭に血が上って正常な判断ができないと馬鹿にするのか」

 天皇が清麻呂を睨むと、清麻呂は口を固く閉じ、四角い顔をさらに四角くして睨み返してきた。水平にあげられた両腕は下がる様子はなく、踏ん張った足は梃子でも動きそうにない。

「早良親王様には乙訓寺おとくにでらに移っていただき、私が事情を聞きます」

 乙訓寺は長岡京内に古くからある小さな寺である。

「ならば、すぐに行動せよ」

 清麻呂は一礼すると走って出ていった。

 桓武天皇は宮の中庭に降りた。

 空は一面の雲に覆われていて薄暗かった。

 しばらくして、坂上苅田麻呂から、種継暗殺の実行犯や深く関与していた大伴竹良、大伴継人ら関係者を斬首したという報告があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る