種継暗殺

 新京の造営を始めてから一年後の延暦四年(七八五年)九月二十三日。伊勢斎宮として下向する朝原内親王を見送るために、平城宮に滞在していた桓武天皇は、種継が襲われ重傷を負ったという知らせを受け取った。天皇は舎人たちが止めるのも聞かずに、馬に乗って単身で平城宮を出た。

 桓武天皇は、長岡京の建設現場に建てられた屋敷に着くと、手綱を近くにいた下人に渡し、突然の訪問に驚いている兵や舎人たちをかき分け、足も洗わずに奥の部屋に入った。

 部屋の中央に種継が寝かされ、かたわらに明信や清麻呂が下を向いて座っていた。九月だというのに肌寒く、抹香の強い臭いが鼻を突いてくる。

 天皇の突然の訪問に、采女たちは平伏し、明信は真っ赤な目で見つめてきた。

「種継が襲われたと聞いたが」

 天皇の大声が部屋の中に響くと、采女たちは声を抑えて泣き始めた。

「種継さんは今朝息を引き取りました」

「襲われて重傷を負ったと聞いたが、なぜ死んだと知らせなかった」

「亡くなったのは第一の使者を送った後です」

 明信は頭を下げて言った。

「午前中に四回の急使を出しています……」

 明信の声は小さくなり消えていった。

 天皇は種継の横にかがむと、大きな声で呼びかけながら種継の体を揺すった。

「種継! 起きよ。お前が死ぬわけがない。お前は死んではいけない」

 種継に出合ったのは十歳の時だった。爺さんに秦の屋敷へ連れて行ってもらったときに初めて会った。親同士の仲が良くて、種継とは同い年だったから、大人になるまで連れだって仕事や遊びをしてきた。気さくな人柄で裏表がなかったし、気取ったり威張ったりするところはなかった。酒が強く、自分と同じように鷹狩りや馬が好きだった。

 橘卿の変では逮捕されるところを助けてもらったし、宿奈麻呂様の元で一緒に謀を巡らせた。近江で戦ったときや氷上川継の刺客に襲われたときには命を救ってくれた。道鏡を閉じ込めるときも、即位を決断するときも常に近くで助けてくれた。

 種継の助力は万金でも報いることはできない。長岡京造営の功績をもって右大臣に上げて、旧来の恩に報いようと思っていたのに……。

 気がつけば早良親王が戸口に立っていた。真っ青な顔をして目に涙を溜めている。口を開け閉めして何か言いたそうにしていたが、言葉にできず種継の前に座り込んでしまった。

 早良親王は両手を合わせて華厳経を唱え始めた。最初はしっかりと聞こえていた経は、しだいに涙声になり、ついにはすすり泣きに代わった。

 桓武天皇や明信たちも早良につられて涙を落とす。

 種継は、自分と国創りをしてきた同志であり、自分の分身なのだ。

 父さんが亡くなったときでさえ涙は出なかったのに、横たわる種継を見ていると、涙が止まらない。

「種継! お前は死んではいけないのだ」

 種継の胸の上に両手を乗せて、体を揺り動かしていると、羽交い締めにされた。

「種継殿は死にました。死者の眠りを妨げるようなことをなさってはいけません」

 両手の力を抜いて振り向くと、清麻呂が平伏していた。

「種継が襲われた状況を話せ」

 清麻呂は頭を床に着けて答える。

「造宮職を拝命した種継殿は、常に陣頭指揮していました。昨晩も松明を持ち現場を督励していました。戌の刻(午後八時)を過ぎた頃、種継殿の持っていた松明を目印に、暗がりから賊が矢を射てきました。矢は種継殿の腹と胸に当たり、私たちは、傷を負った種継殿を屋敷に運び手当をしましたが、胸の矢は刺さりどころが悪く、残念ながら本日の朝に……」

「種継を襲った賊は!」

 天皇の大声の前に、清麻呂、明信、采女たちは再び平伏した。

「賊はその場で取り押さえ小屋に閉じ込めてあります」

「朕が直に取り調べる。案内せよ」

「お待ち下さい。天皇様が卑賤な賊に会ってはなりません」

 天皇は引き留めようとする清麻呂を「黙れ」と一喝し部屋を出た。

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