氷上川継の変

 内裏に賊が侵入した翌日の夕方、桓武天皇は公卿たちと一緒に、清麻呂の報告を聞いた。

「賊は氷上川継ひかみのかわつぐの資人で大和乙人やまとのおとひとといいます」

 川継は不破内親王の息子で、不破内親王が道鏡らに陥れられたときに連座して配流処分となったが、道鏡失脚後許されて都に戻っていた。

「乙人の自白によりますと、川継は自ら仲間を集め謀反を計画しました。謀反は、昨晩に川継が一味と一緒に北門から宮に押し入り、天皇様や早良親王様を殺害、朝廷を転覆して自身が即位するというものでした。乙人は天皇様の居場所を探るために、先行して宮中に忍び込んだところを見つかった模様です。川継一味は、種継殿が宮門を固めたために入ることができず、早良親王様が兵を率いて見回りに出たので事が失敗したことを悟り散り散りになりました」

「氷上川継はどうなった」

「屋敷にはいませんでしたが、種継殿が大々的に探索しているので、じきに捕まると思われます」

 清麻呂が言い終わらないうちに種継が部屋に入ってきて、立て膝になって頭を下げた。

「逃亡中の川継を大和国葛上郡かつじようぐんにて捕らえました。中衛府に連れてきましたので、謀反の詳細について取り調べを始めます」

「朕は道鏡の命令で、氷上川継の母親である不破内親王を無理矢理宮中に連れてきたことがあり、川継とは因縁がある。朕が中衛府へ行こう」

「天皇が罪人に会うのはいかがなものかと思います。取り調べは我らに任せて下さい」

「朕は橘卿や宿奈麻呂卿の元で、仲麻呂卿を倒し政を正そうした。朕は政を刷新し天下を良くしようとしているが、川継は朕の政に含む所があるのかも知れない。川継の考えに一分の理があれば、朕の政の参考にしたい」

 左大臣の藤原魚名ふじわらうおなや参議たちは天皇が川継を直接尋問することに反対したので、桓武天皇は中衛府へ出向くことだけを譲って、川継を太政官室へ連れて来させた。

 後ろ手に縛られた氷上川継は、太刀を佩き鎧を身にまとった二人の衛士に両肩を押さえつけられるようにして、板の間に座らされた。

 川継は小柄で貧相な顔に大きな目をせわしなく動かして震えている。汚れたままの頬には血が付いているが、かすり傷程度らしく傷口は見えない。髪の毛は乱れていて枯れ草が付いている。粗末な鼠色の衣は、泥や草の汁で汚れ、袖口や裾が何カ所も破れていた。

 二十歳を少し超した程度の人生経験のなさが、小者感を強調している。とても天皇の暗殺という大それた事を企てるような人間には見えない。

「何故に朕の命を狙った。朕の政に思うところがあれば聞いてやろう」

「俺は刺客など送っていない」

 種継は川継の頭を後ろから押さえて言う。

「お前のところにいる大和乙人が内裏に忍び込み、天皇様に刃を向けたというのにしらを切るのか」

「大和乙人など知らない」

「嘘をつけ。乙人はお前が兵を連れて宮中に押し入り、天皇や近習を殺して自ら即位する計画だったと白状している。乙人の自白によりお前と親しい山上船主やまのうえのふなぬしや三方王も逮捕している」

「山上船主や三方王など俺とは関係ない」

 種継は川継の頭を床に押しつけた。

「謀反を企てたことはないというのか」

「俺の知らないところで行われていた事だ」

「素直に白状すれば情けもあろうが、天皇様の前でしらを切り続けるのなら、法に従って死罪になるぞ」

 種継が力を抜くと、川継は体を震わせながら顔を上げた。青い顔で涙を流している。

「朕の命を狙うからには、政に不満があったのであろう。不満に思っていることを言ってみよ」

 川継は涙声で答える。

「自分は……。自分は悪くありません。山上船主や三方王、伊勢老人いせのおいひと、大原美気、藤原継彦たちが来て、自分を天皇にすると言って……。勝手に話を進めたのです」

「藤原継彦とは大宰帥だざいのそち・藤原浜成卿の息子のことか」

 川継が肯くと、台閣にいた公卿たちはざわついた。

「他に加担した者は」

大伴家持おおとものやかもち坂上苅田麻呂さかのうえのかりたまろも加わってくれると山上船主は言っていたがよく知らない」

「何故に天皇様を殺して、朝廷の転覆しようと考えた」

「山上船主たちは、自分が新田部親王の孫で不破内親王の子供だから桓武天皇様よりも天皇になる資格があると言っていた。自分は天皇になるつもりはなかった。船主や三方王が騒いでいただけだ」

 川継は「自分は関係ない」と言って泣きだし、台閣には白けた雰囲気が漂った。

「お聞き及びのとおり、川継に考えはなく、天皇様が直接尋問する価値はありません。後は私たちにお任せ下さい」

「川継は大伴家持や坂上苅田麻呂の名前も挙げた。慎重に調べを進めよ」

 天皇の言葉に、衛士が川継を引き連れて出ていき朝議は散会となった。

 太政官室を出た桓武天皇の元に、早良親王と種継、清麻呂、明信が寄ってきた。

「自分は天下を変えてやろうと思って橘卿や宿奈麻呂卿の計画に加わったが、川継には何の理想もなかったようだ」

「若い川継殿は、権力を手にしたい者たちに利用されたのね。簡単に踊らされるようじゃ、天皇になっても何もできないでしょう」

「川継は兄さんのように、政に関して理想を持っていないから、天皇になっても聖武天皇様や称徳天皇様のように、国富を無駄にするだけだ。兄さんが無事で良かった」

「いくつかの権力争いに加わってきたが、いつも権力に挑戦する側にいた。自分が狙われる立場になるとは……」

 桓武天皇のつぶやきに、明信と早良親王は答えてくれなかった。

「川継に限らず自分のことだけしか考えない人間が多い。公卿も百官も朕の改革には総論賛成で各論反対だ。しがらみや、今までの考え方を一掃しなければ先に進めない。人心を一新する何かが欲しい」

「前から考えていたことなんだが、都を遷したらどうだろう」

 種継は驚く桓武天皇らを見渡しながら語り出す。

「元明天皇様は平城京へ都を遷すことで、新しい時代の到来を人々に示しました。遷都をすれば人々の心を変えることができる」

「遷都などもってのほかだ」

 種継が言い終わらないうちに早良親王が反対してきた。

「遷都を行うには莫大な費用が掛かり多くの人を動員しなければならない。遷都は民の暮らしを圧迫し、ひいては国家を傾ける愚作だ。聖武天皇は恭仁京くにきようを始めとして何度も遷都を行い、人心を荒廃させ国富を浪費した。権勢を誇った仲麻呂卿でも『北京ほつきよう』を造ると言ったが、本格的に都を遷せば国が疲弊することを知っていたから保良宮ほらのみやという名ばかりの都しか作れなかったし、我が儘で贅沢を楽しんだ称徳天皇や道鏡でさえも由義宮ゆげのみやという離宮を『西京せいきよう』と称することしかできなかった。今の朝廷に都を遷す余裕などない」

「聖武天皇様は都には適さない狭い土地を選んだうえに、何度も居を変えて失敗した。遷都は国家の一大事で費用も人も掛かるから、一度だけで失敗は許されない」

「種継は都を遷す場所を考えているのか」

山背国やましろのくに長岡が良いと考えている」

 長岡は平城京から北に約四十キロメートルの場所に位置する。

「長岡の地は平城より広く条坊を備えた都を作るには十分な広さがある。さらに、水運に恵まれていますので諸国から物資や人を運ぶのに手間がかからない。内裏の造営には、難波宮なにわのみやや平城京の建物を移築して倹約に努める。長岡は秦氏の本貫ほんがんの地であり、秦氏の財力を当てにできるし、交野かたの百済王くだらのこにきし一族も手伝ってくれることでしょう」

「平城京は祖父の代から作ってきた日本の都で、日本の本貫の地だ。聖武天皇は迷われたあげく平城ならの地に戻られた。仲麻呂卿や称徳天皇が陪都しか作らなかったのも平城が日本の中心であることを心の奥で知っていたからだ。皇室や、昔から皇室を支えてきた石川(蘇我)、石上いそのかみ(物部)、藤原、中臣、大伴、佐伯といった氏族も平城を本貫の地とし、中・下級官人も平城に家屋敷を持っている。都を遷したら平城京はどうなるか。前の都だった藤原京は今は跡形もなくなって荒れ地と田んぼばかりになっている。種継は、祖父の代からの営みを荒れ地に戻すというのか」

「平城に都には、しがらみや澱が貯まっている。しがらみや澱の最大のものが、伝統氏族の土地への愛着だ。長岡に都を遷し、伝統氏族や官人を平城の地から剥がせは、否応なく人の心は変わる」

「東大寺の大仏様は唐国にも新羅にもない立派な仏像で、日本を守護しています。大仏様を置き去りにしては罰が当たります」

「寺院も変革を妨げる澱となっている。聖武、称徳天皇様の二代にわたって仏教を保護されたために、都には多くの寺院が建ち、多くの僧尼が集まっている。僧尼の中には税を免除されることを目的にしている者も多し、寺院は独自の土地を持ち収入を上げるようになっている。道鏡のように寺院を足がかりに権勢を誇示する者も出ている」

「種継の言うように不埒な者もいるが、ほとんどの僧は熱心に仏教を学んでいる。兄さんは政の改革を始めたばかりじゃないか。成果が出ないからと言って遷都を言い出すのはおかしい。猿や鹿が住んでいるような鄙の地に都を遷して何の得になるというのです」

「長岡は、淀川、宇治川、木津川、桂川と水運に恵まれ、山陽道、山陰道、東海、東山、北陸道が集まっている交通の要衝であり、全国から物資を集めるのも、全国へ号令をかけるのも便利な場所です」

「平城にも佐保川や大和川があり難波津につながっている。政を変えてゆくには時間が掛かる。遷都で目くらましをしようなんて邪道だ。皇室発祥の土地を離れれば、皇祖皇宗の加護をなくしてしまう」

「平城京に溜まった澱を除き新しい世の中を始めるために、遷都は必要なのです。遷都を行い、もう一度氏族や官人を天皇様の下僕に戻すのです。無策のままでは国はじり貧に陥ってゆきます。平城に留まっていては、国は聖徳太子の理想から遠ざかってゆきます」

「国の財政が厳しいと言いながら、莫大な費用が必要な遷都をするのは矛盾している。長岡平野には良田が広がっている。都を遷して田を潰せば米は作れなくなる。良田を潰せば税収が減る」

「早良親王は、寺との結びつきが強いから、遷都して寺院の力が落ちてしまうことを懸念しているのではないか」

「種継こそ、母親が秦氏の出て、秦氏の本貫の地に都を遷して、自身の影響力を強めようとしているのではないか」

 早良親王は、ムッとした顔になった種継にかまわず続ける。

「長岡は平城から馬で一日足らずのところにあって、人心一新の効果は薄く、都を遷す意味などありません」

「長岡平野の北側には向日むこう丘陵がる。丘陵を削って内裏を建てれば、長岡平野から見上げる形になり、天皇の権威を高め、ひいては人心一新に寄与できる」

 種継と早良親王の言い合いが過熱して雰囲気が険悪になったときに、清麻呂が口を出してきた。

「種継殿と早良親王様のどちらにも一理あります。旧来のしがらみを切って政を刷新しなければ我が国に明日はありませんが、仏様に守られた平城は我々の故郷であって棄てることはできません。遷都には良いことも悪いこともあります。天皇様の裁可を仰ぎ、我々は天皇様に従いましょう」

 腕組みをして目をつむって聞いていた桓武天皇は、腕をほどいて種継と早良を交互に見た。二人とも私心のない目をして、見つめ返してくる。

「種継の言うように遷都をすれば人身は改まるかもしれない。しかし、早良の言うように費用は莫大で平城京は心のふるさとだ。どちらにも言い分はある。遷都は国家の大事であれば、鷹狩りへ行くように即決できるものではない。ゆっくりと考えさせてくれ」

 桓武天皇が立ち上がるより先に早良が立ち上がって礼もせずに部屋を出て行った。

 桓武天皇は氷上川継の罪を一等減じ伊豆国へ遠流とし、その他関係した者を左遷や流罪として、川継の変の幕を引いた。

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