不破内親王

 山部王が不破内親王の屋敷の奥で待っていると、内親王は鮮やかな水色の衣をまとって現れた。背は普通の女の人よりも高め、小顔で目鼻立ちはすっきりしていて、小さな口に引いた紅が艶めかしい。肌には染み一つなく潤いがあり、よく手入れされた黒髪は腰まで伸びている。撫で肩で、子供を産んだとは思われない腰の細さ、手も足もすらりと伸びていて、袖口から出ている手は透き通るように白い。絹鳴りをさせて歩く姿は優雅で、衣に焚き込められた香がただよってくる。とても四十代半ばには見えず、二十代であると言われても疑うことはない。

 大和郷の母さんと年は違わないのに、気品の違いは何だろう。称徳天皇様や井上内親王様に勝るとも劣らない美人だ。皇室本宗家は美人が多い。

「内親王様には、呪詛を行い称徳天皇様を殺そうとしたという嫌疑が掛かっております」

「何を言うのか!」

 内親王の大声に部屋の空気が震え、山部王は思わず後ずさりした。

「私が呪詛を行ったなどとは、言いがかりも甚だしい。私が天皇を呪って何の得がある」

「夫君であった塩焼王様の恨みを晴らすとか、ご子息の川継殿を皇籍に復帰させて天皇にしたいのだとか言われています」

「言いがかりをつけるのなら、もっとましな話を持ってきなさい」

 内親王の頭からは二本の角が出てきているように見える。

「佐保川から髑髏を拾い、称徳天皇様の髪の毛を入れて呪詛を行ったと」

「呪うまでなく、天皇は皆の恨みを買って死にます。私はただ黙って天皇が死ぬのを待っていればよいのです」

「お口が過ぎます」

「疾く内裏へ帰れ」

 やれやれ、称徳天皇、井上内親王、不破内親王と天皇様の姉妹はそろって美人だが性格が悪い。天皇の娘として甘やかされ苦労知らずに育ってきたからだろうか。

 だが、弱ったことになった。宮へお連れしないと和気王様のように殺されてしまう。

「朝廷は内親王様をお呼びして事実を確かめたいとのことです。輿を用意してきましたので一緒に参内下さい」

「痴れ者めが」

 内親王の大声が部屋中に響き渡り、山部王は総毛立った。

「無実の私が何故に宮中に行って釈明せねばならない」

「嫌疑は晴らした方がよいかと存じます。このままですと和気王様と同じ目に遭ってしまいます」

「読めたぞ。天皇と道鏡が共謀して私を殺そうとしている。私がいては道鏡を天皇にすることができないからな。天皇は血迷っている」

「和気王様については……」

「和気王は無実の罪で殺された。お前も私を殺すつもりか」

「めっそうもありません。和気王様は逃げたので立場を悪くしてしまいました。朝廷で釈明していれば殺されるようなことはなかったはずです。内親王様が宮中へおいでにならなければ、ご子息の川継殿の立場も悪くなります」

「川継も呪詛などとは関係ない」

「川継殿にも皇位継承の可能性があれば、道鏡禅師の標的に入っていると思われます。内親王様がお亡くなりになれば、後ろ盾を失った子供など赤子の手をひねるようなものです」

「称徳天皇と道鏡は許せない」

 山部王は、内親王の固く握った拳で殴られることを覚悟した。

「なにとぞ、ご同行を」

「やってもいないことをどのようにして証明するのか」

 相手は内親王様を陥れようとしているから、内親王様が何を言おうと聞いてくれることはない。でっち上げられた証拠の品や証人が出てきて罪を言い渡されることになる。だが、内親王様が参内しなければ長屋王様のように屋敷で殺され、逃げれば和気王様のように捕まえられて殺されてしまう。

 間違いを繰り返してはいけない。内親王様を説得するのが無理であれば力尽くでお連れする。

 山部王は「御免」と言って立ち上がり、内親王の背後に回ると両手を後ろに引っ張って動けなくした。

「何をする。無礼な」

 内親王はもがくが、山部王の力にはかなわない。

「ご子息の川継殿のためでもあります。内裏へ同行願います」

「放せ。死んでも天皇の前になど行くものか」

 山部王は叫ぶ不破内親王を輿に押し込んで内裏へ向かった。

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