橘奈良麻呂の陰謀

 山部王は、黄文王の屋敷に着くと奥の部屋に案内された。

 西日が差し込んで明るい部屋には二十人ほどいたが知っている顔はいない。

 部屋の角にいた東人が、「さきほど話をしました山部王殿です」と紹介すると、山部王は部屋にいる者たちの視線を一身に集めた。部屋の中からは、「皇族か」とか「何人目の王だ」などという話し声が聞こえてくる。

「自分は白壁王の息子の山部です。自分も仲麻呂卿の専横には憤りを感じています。良識がある道祖王様を皇太子の座から引きずり下ろして子飼いの大炊王様を皇太子に据えるなど許されません。自分も仲麻呂卿を倒すべく、皆さんの仲間に加えて下さい」

 山部王が頭を下げると、上座の中央に座っている男が口を開いた。

「山部王殿の人となりや考えは小野殿から一通り聞いた。合力に感謝する。貴殿を我らの仲間としよう」

 部屋の中から拍手が起こり、男は「座って下され」と言ってくれた。

「山部王殿が言ったように、仲麻呂は道祖王様を廃して大炊王を立てた。父が朝廷の正常化のために為した最後の仕事を反故にされて、私は怒り心頭に発している。道祖王様は我らの希望であった。いまこそ仲麻呂を討つべきであると考える」

 男が演説をしているかたわらで、山部王は横に座ってくれた東人に聞いた。

「先ほどから話している御仁はどなたでしょうか。身分のしっかりしたお方のようですが。それに自分が皇族だと分かった時に『何人目の王だ』という声が出ましたが」

「橘奈良麻呂様です。参議として台閣に席を持っていながら、道祖王様を守れなかったことがよほど悔しいのでしょう。いつにも増して激しいお言葉です。皇族は上座の右から黄文王様、安宿王あすかべおう様、山背王やましろおう様、塩焼王しおやきおう様、道祖王様です。他にも多治比犢養たじひのこうしかい殿をはじめとする多治比一族、大伴古麻呂おおとものこまろ殿や大伴古慈斐おおとものこしび殿の大伴一族、佐伯全成さえきまたなり殿の佐伯一族も橘卿に同心して事を起こす準備をしています」

「皇族と伝統氏族が手を結べば恐れるものはありません。自分は事の成就を確信しました。小野様に誘ってもらって良かった」

 山部王と東人が話していると奈良麻呂の演説が終わり、部屋の角から発言する者がいた。

「仲麻呂卿は五ヵ条の勅を出し、集会や武器の携行を禁止しました。黄文王様の屋敷とはいえ、大勢が集まっては敵に口実を与えます」

「五ヵ条の勅については私も聞いた。仲麻呂は我々の動きが分からないから、すべての動きを封じたのだ。我々が先手を取っているとはいえ、次の集まりは場所を考えよう」

 奈良麻呂が「黄文王殿」と声をかけると、黄文王は「粗末なものですが夕食を用意しますので召し上がっていって下さい」と言い、家人に用意するよう命じた。

 酒と肴が出され話が弾んで、ほろ酔い気分になったところで集会は終わりとなり、参加者は部屋を出て行く。山部王は奈良麻呂と黄文王に挨拶した後に、縁側に出て大きく背伸びをした。

 すでに日は山に隠れていたが、まだ明るく一番星が輝くまでには時間がある。春の風が酒で熱くなった体を心地よく冷ましてくれた。

 黄文王の屋敷は大きくはなかったが、良く手入れされていて、周囲を囲む白壁に染みや崩れた箇所はない。庭の隅には紅白の梅が寄り添うように植えられていて、芽吹き始めた薄緑色の葉が花を引き立てている。

「お仕事ご苦労様です」

 可愛らしい声に振り向くと、薄桃色の衣を着た若い娘が立っていた。

 山部王よりも少し背が低く、艶がある黒髪を腰よりもわずかに上のところで結んでいる。大きな目に低い鼻、丸い顔が可愛らしい。紅を薄く引いた唇は艶めかしく、桃のように白い頬とよく合っている。衣と同じ色の裳は床まで垂れて、山部王よりも幾つか若そうだ。

「お父様の集まりはお年を召した方ばかりで、若い人が見えるのは珍しかったので声をかけてしまいました。ごめんなさい」

 娘の声は柔らかくで心地よく響いてくる。

「お父様とおっしゃると」

「はい、私は黄文王の娘で小波こなみと言います。あなた様は」

「自分は白壁王の息子で山部と言います。黄文王様の所に来て美しい娘さんに会えて良かった」

「山部王さんたら、お上手です。白壁王様の息子様なら私とは親戚ですね。それでは、私は片付けを手伝いますから」

「お幾つですか」

「十九です」

 小波王女こなみのひめみこが微笑んで部屋の中に入って行くと、衣を翻した時に起きた風が良い香りを運んできた。

 かわいい娘さんだ。もっと話をしたいが初対面で長話は失礼というものだろう。名前を教えてくれたということは、自分に気があるのかもしれない。少なくとも悪く思われていないことは確かだ。次に会う時にはもっと話をしたい。

 小野様に誘われて、仲麻呂卿を倒す機会を得たうえに、小波王女という可愛い娘にも会えた。歴史に埋もれるはずの自分にも運が向いてきた。今日はとても良い日だ。

 小波王女と入れ替わりに橘奈良麻呂が部屋から出てきた。山部王は深く頭を下げる。

「山部王殿に頼みたいことがある。先ほどの話の中であったように、仲麻呂は五ヵ条の勅を出して我らが集まることを禁じてきた。都で集まりを持っては勅を口実に我らは潰される。そこで、山部王殿には我らの連絡役となって欲しい。私や黄文王殿、道祖王殿ら主要な人間の間を繋いで欲しい。幸いにと言うか、山部王殿は無冠で仲麻呂から目を付けられていないと思う。頼めないだろうか」

 黄文王様の屋敷へ出入りすることができれば、小波王女にも会う機会が増える!

「お引き受けします。ぜひやらせてください。自分は微力ですが、皆様と一緒に国をよくしてゆきたいと思います」

 奈良麻呂は「それでは頼む」と、背を向けて右手を振りながら去っていった。

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