お付き合い編

映画に誘われました

 今日も今日とて、居酒屋は忙しい。ガラッと扉が開く音がすると、森川さんが顔を出した。

 最近はお仲間と一緒に来るだけじゃなく、一人でくることも増えてきた。


「いらっしゃい、森川さん」

「こんばんは。カウンターがいいんだけど」

「じゃあ、小夏ちゃんの前で。パントリーに一名様ご案内です!」

『いらっしゃいませー!』


 まあ、今日は水曜日で、比較的空いている。雨降りのせいもあるかも知れない。

 というか店長、私の前でってどういうことですか。


「こんばんは、千夏ちゃん」

「こんばんは」

「それだけなの?」

「見てわかるように、今は生中を入れてる途中なんですよ」


 生ビールを入れる中ジョッキを左手に五つ持ち、サーバーから次々に生ビールを入れていく。最後は泡を作って「生中五個できましたー!」と卓番と一緒に叫ぶと、店長が「よろこんでー!」と叫んで取りに来た。

 森川さんが来る少し前、五人のお客さんが来た。入口を背に向けた状態から見て右側に八人座れるテーブル席があるんだけど、そこにいるお客さんの飲み物だった。

 ちなみに、パントリーは入口のまん前にあって、七人が座れるカウンター席にもなっている。

 今は厨房に板長と洗い場のおばちゃんを含めた人が四人いて、ホールはパントリー内にいる私を含めた三人がいる。あと一時間もするとホールの人がもう二人来るんだけど、雨降りだから深夜は暇になるかも知れないと店長が言っていたっけ。

 生中を作り終えたので、今度はカクテルやサワーを作る。と言ってもお酒などが入っているものや割り材がある原液があって、それに炭酸か焼酎、氷を入れてかき混ぜるだけなんだけどね。

 一回上に押し上げると適量が出るようになっている装置があり、カクテルや割り材の原液の他に、焼酎やウイスキーもあったりする。いちいち計らなくていいのは便利だし、忙しい時はこの装置の有り難味がよーくわかるのだ。

 手が開いたので、森川さんの注文を聞くことにする。お通しとおしぼりは店長が出しているので、私が出す必要はない。


「森川さん、何を飲むか決まりました?」

「うーん……明日も仕事だから、今日は焼酎にしようかな。じゃあ……生グレープフルーツサワーで」

「よろこんでー」


 ズボンのお尻のポケットに入っていた機械を取り出すと、人数と卓番、聞いた注文に該当するボタンを押す。それを送信すると、目の前にある印刷機から注文が書かれている伝票が出て来た。

 それを小さなバインダーに挟んでから森川さんの前に置くと、頼まれた生グレープフルーツサワーを作り始める。その間に森川さんがメニューを開き、何を食べるのか選んでいた。

 グレープフルーツを半分に切って、それを絞り器で絞る。焼酎を入れたロンググラスに絞った液と氷を入れ、かき混ぜて出来上がり。

 うちの店だと生ジュースで作っているのはグレープフルーツとレモンだけだ。

 まあ、『生』と指定されない限り、出来あいの絞り汁を使うけどね。


「今日のオススメはなに?」

「アジのタタキと甘エビ、つぶ貝の煮付けですね。あとは甘エビの頭の素揚げと沢ガニの素揚げ、白子ポン酢もありますよ」

「んー……じゃあ、とりあえず鶏唐と沢ガニ、ポテトで」

「よろこんでー」


 コースターと一緒にドリンクを出すと注文を言われたので、機械のボタンを押す。それを送信してから「オーダー入りまーす」と厨房に向かって声を張り上げた。

 そのあとは次々にお客さんが数組み来て、テーブル席が埋まる。団体ではない限り大抵が生中を頼む人がほとんどなので、ビールサーバーの中身と在庫を確認し、忙しくなる前に外の置き場から予備を三本ほど持ってくる。

 くっついている二本のうちの一本はすごく軽かったので、あと二、三杯で終わると予測してのことだった。

 ちなみに、ビールサーバー一本の重さは、一本あたりだいたい五キロくらい。

 中ジョッキやカクテルグラスを洗い、下の段に入れて冷やし始める。お客さんの数が少ないとはいえ、ジョッキやグラスはすぐに無くなるから、こまめに洗っておかないと大変なのだ。


「ドリンクオーダー入りまーす」

「よろこんでー」


 店長ともう一人の人の声が飛んできて、機械からオーダー票が出てくる。それを見ながら確認し、生中六つとレモンサワー、カシスソーダを作り始めた。

 ビールを先に作ると泡が消えちゃうので、先にレモンサワーとカシスソーダの用意をする。そしてビールを作ってからサワーの炭酸とカクテルに氷を入れると、声を張り上げた。


「小夏、森川さんの」

「はーい」


 厨房にいる板長から声をかけられたので、パントリーから出て厨房前のカウンターに行く。そこから沢ガニをもらうと、森川さんに渡した。


「失礼しまーす。沢ガニでーす」

「ありがとう。あ、そうだ。小夏ちゃん、明後日は暇?」

「まあ、暇ですけど……」

「なら、俺と映画を観に行かないか?」

「え?」


 まさか森川さんから映画のお誘いを受けるとは思わなかった。

 そりゃあ、告白されたよ? しかもこの二ヶ月、口説かれたりあちこち誘われたりしたよ?

 だけどそのどれもが都合が悪かったり、本気になんてしてなかった。

 してなかったんだけど、そんなことが続いたから、最近は森川さんが気になりだしたっていうのもあるんだよね。……私ってチョロイのかな。


「なんの映画ですか?」

「先週公開されたSF映画。同僚にチケットをもらったのはいいんだけど、それが明後日なんだよ。だからどうかなあって」


 映画のタイトルを聞けば、私が見たいと思っていたやつだった。いつもはレンタルが開始になるまで待つんだけど、今回はどうしても大きな画面で見たかったのだ。


「本当にいいんですか?」

「いいから誘ってるんだけど」

「じゃあ、行きます!」


 そう伝えると、一瞬呆けた顔をしたあとで、森川さんは嬉しそうな……今まで見たことがないような、本当に嬉しそうな顔をして笑った。その笑顔にドキンと鼓動が跳ねる。


「やっとOKもらえた~!」

「よかったですね、森川さん」


 板長に名前を呼ばれてそっちに行くと、他に頼まれた森川さんの鶏の唐揚げとポテトフライを渡された。それをトレーに乗せて持って行くと、店長と森川さんがそんな話をしていた。


 おうふ、なぜか公認になってませんか?!


「失礼しまーす。鶏の唐揚げとポテトフライでーす」


 店長と話しているので、それを邪魔しないように料理をカウンターに乗せ、生グレープフルーツサワーのおかわりを頼まれたのでそれを作る。オーダーの入力は店長がしてくれたので、サワーを作ってから森川さんに渡した。


 それからちょこちょことあちこちからドリンクオーダーが入る。暇だとはいえ、お客さんやオーダーの回転はいい。

 森川さんは店長や他の人、私と話しながら一時間半くらいいてサワーを五杯飲み、待ち合わせ時間を告げてから帰って行った……いつも以上に上機嫌で。

 森川さんが帰ったあとは特にこれといってバタバタすることもなく、私があがるころには店内はのんびりまったりムードだった。そしてザーザー降りの雨の中、家に帰ったわけなんだけど……。


「むー……何を着て行こう……」


 映画に誘われた日、私は公休だ。だから変な話、森川さん次第では夜ご飯も食べようと思えば食べられる。

 そこまで考えて、苦笑してしまった。


ほだされてるなあ……」


 森川さんは悪い人じゃないと思う。セクハラまがいなことはされたけど、あれ以降は一度もそういったことはない。

 ま、まあ、宴会があればふざけたことはしてるよ? 例のおっぱいとか、変な言葉が書かれてるたすきとか、映画のキャラクターの顔のマスクとか。

 毎回毎回、それを見るたびにどこで見つけてくるんだろうって思う。

 仕事がとても大変なぶん、宴会くらいはストレス発散ではしゃぎたいんだろうなあ……と思うことにしたら、楽になった。だって、警察官って大変で、神経を使うお仕事だと思うしね。


 クローゼット内を見て、マジで服をどうしようかと悩む。いつもはズボンで仕事してるし、たまにはスカートでも……って思ったんだけど、スカートがなかった。


「……明日、仕事に行く前に買うか……」


 仕事で使うズボンや靴もほしかったし、それと一緒に買えばいいかと考え、お風呂に入ってさっさと眠った。


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