もしも魔法が使えたらパワハラ上司に復讐するよね?

アシモ・イサク

修一、賢者に突き落とされる

 賢者、と自称する魔法使いが、異世界オルトゥスから地球に転移して八年が過ぎた。賢者の世界間転移魔法は異世界でも彼しか使えない。だが、地球はマナが希薄なため、魔法の威力が弱くなった彼は帰還できなくなった。


 転移魔法はできないが、他の魔法は威力は弱いが発動できる。彼は世界各地でマナ講習を行い、受講生の一部は、実際に、着火程度だが魔法が使えるようになった。それによって彼は「オルトゥスの賢者」として名声を高めていった。



****

「マナ講習会はもう行かないでちょうだい」


「そんな! 母さん、俺、先生から才能があるって言われたんだよ! 魔法だよ! 魔法が使えるんだよ! 休日に受講するだけだから仕事に差し障りもないし」


「一度会いに行ったけど、賢者と自称するあのヴィクターって人は胡散臭すぎる。超能力とかオカルトとか魔法とか、私はうんざりなの! これ以上はもう言わないわ。あなたもいい大人だし」


 そう言って母親は電話を切った。二日後、母親の柊愛子は暴走した車にひかれて亡くなった。



――三ヶ月後


 深夜、柊修一ひいらぎしゅういちは、自宅マンション屋上の手すりから身を乗り出して下を見た。地上はアスファルト。この高さのビルから落ちれば、まず助からない。


 修一の顔は腫れている。何故殴られたのか、自分は何をしたのか、謝ればいいのか、怒ればいいのか、泣けばいいのか、分からない。ただただ混乱している。


 半日前、会議室に呼び出された修一は、上司の柿崎春樹から開口一番怒鳴られた。


ひいらぎ、お前とんでもないことしてくれたな」


 部屋には柿崎と、経理課の相沢亜希がいる。相沢はうつむいて表情が見えない。彼女がここにいるからには、社内恋愛について説教をされるのだと思った。


 母親を亡くして落ち込む日々が続いていたが、ひと月前、マナ講習について聞きたいと彼女に誘われた。それ以来、何度か二人だけで飲みにいった。


 可愛い女性に誘われて興味深げに話しを聞いてもらえば、修一の気持ちも明るく前向きになっていく。そして昨夜ついに男女の関係、の一歩手前までいった。


 二人とも昨晩はいつもより飲んだ。飲んだ勢いでホテルに誘った。だが酔っ払っていた相沢はベッドに横たわるなり寝てしまった。朝は慌てていたので色っぽい会話は一切なく別れた。


 きっと路上で酔ってイチャイチャしているところか、ホテルに入るところを会社の人間に目撃されたのだろう。二人とも独身だし、ちゃんと交際するつもりはある。だが、社内恋愛はマズかったか……。修一は肩を落として、柿崎に力のない視線を向けた。


「少しは自覚があるようだな。彼女を無理に酔わせて乱暴したことを認めるんだな」


「え?」


「とぼけるな!」


 ドンッ、と柿崎が机を叩いた。


「俺自身が見たのだ。お前が足元の覚束おぼつかない相沢君の肩を抱いてホテルに入るのをな」


 いったん話を止めて柿崎は修一を睨む。


「……その時は声はかけなかった。二人は恋人同士なんだと思ってな。だが思い返してみると、彼女は嫌がっていたように見えた。だから今日、まさかと思ったが、本人に確認した」


「い、いや、俺はやってませんよ」


 修一が否定した直後、うつむいていた相沢が顔をあげる。充血した目で修一を見ると泣き出した。


「相沢君には婚約者がいるそうだ。この話が広まれば結婚話は白紙になるだろう。可哀想に」


 柿崎は泣いている相沢の肩に手を置く。相沢は一瞬びくりと体をこわばらせるが、何も言わず、ただすすり泣いている。


「婚約者のことは聞いてないし、強要もしていません! 柿崎さん、俺を信じてくださいっ。俺のこと知ってるでしょう」


「ああ、よく知っている。お前は真面目で優しい奴だった。家族ぐるみの付き合いだ。お前の母親もいい人だった」


「ええ。柿崎さんは、母子家庭で育った俺に対して、父親代わりになんでも相談しろって言ってくれましたよね」


 母子家庭で育った修一は柿崎のことを父親のように慕っていた。


「そうだ。俺たち夫婦は、お前のことを息子のように思っていた」


「だったら! 信じてください!」


「この彼女を見て、どうしてお前を信じられる? お前は俺たち夫婦の信頼も裏切ったんだ」


 柿崎は相沢の背中をさすっている。相沢のすすり泣きは止んでいる。


「そんな……。亜紀ちゃん、昨日は部屋に入るなり寝てしまったじゃないか!」


 修一は柿崎から相沢に視線を向けて訴える。


「……ひどい」


 相沢は小さく呟くと、また泣き出して顔を伏せた。


「ホテルに連れ込んでそんな言い訳が通じると思うか! このクズが!」


 激高した柿崎は、修一に殴りかかった。拳を受けた修一はショックで痛みを感じない。あまりの成り行きに頭がおかしくなりそうだった。


「出て行け! お前はクビだ! 警察にも訴える!」


 そうして修一は会議室から追い出され、そのまま帰宅した。気がついたら既に深夜で、この屋上にいた。時間感覚が麻痺している。


 相沢の態度には混乱したが、それよりも柿崎に信じてもらえなかったことがショックだった。唯一の肉親の母親も三ヶ月前に亡くなった。自分の居場所を全て失った修一は手すりを乗り越えて、屋上のふちに立った。


「先ほどから見ていたが、やはり自殺するつもりかね?」


 屋上塔屋の陰から、ローブ姿の初老の男が出てくる。左手には木製の杖。浅黒い肌に黒髪黒目だが、その骨格は黄色人種ではない。


「ヴィクター先生、なぜここに……」


 修一は異世界から来た賢者を見て驚くと同時に、胸がジクジクと痛む。賢者の容貌は日本人離れしているが、その雰囲気、声質が、修一の敬愛していた上司の柿崎と同じだった。その眼差しは、厳しくも温かかった――今日までは。


「久しぶりに日本に来たので、君と食事でもと思ってね。メールも電話にも出ないから訪ねてきた」


 賢者は杖をカツンと床に突くと、右掌みぎてのひらを修一に向けて小さく何かを呟いた。すると、修一の凍てついた心がわずかにほぐれた。修一は今にも自殺する態勢だが、賢者と会話するだけの気力が湧いて、経緯を話した。


「ふむ、大変なことになってるな。うちのオルトゥス協会には優秀な顧問弁護士がいるから、頼ってくれ。後で連絡させる」


「なぜそこまでしてくれるんです?」


「以前言った通りだ。君は魔法の才能がある。三ヶ月前、母親の事故死もあって、君は上級マナ講習の途中で辞めてしまった。だが君との縁は切りたくないからこうして時々連絡している」


「魔法なんか使えても……。俺は生きててもしょうがないんです。死んだ母親が唯一の肉親でした。会社もクビになってセクハラで訴えられて、俺にはもう居場所はない」


「バカバカしい。君は、既にマナ覚醒者エンライテンドだ。マナが身体を作り変えているから、魔法だけでなく、身体能力も相当に向上している。もはや新しい人類だよ。今回のことは、君が通常人ノーマルを魅了したことによる悲喜劇だな」


「はは、俺がカリスマの新人類? 俺が使える魔法なんて、空気銃以下の威力しかない射撃魔法、ライター並の火力の火魔法だけですよ」


「私は全ての魔法を披露した訳じゃない。威力を増す方法もある。君には全てを教えるよ。会社を辞めたなら、私の弟子となって、協会の仕事を手伝って欲しい」


「い、今さら。平和な日本で射撃できてもしょうがないです……」


 賢者は会話を止めて修一の様子をうかがう。先ほど密かに精神魔法をかけた。といっても瞬間的な洗脳はできない。


 賢者の魔法は、会話に応じる程度には修一の心をほぐしたが、諦念ていねんと自殺願望を打ち消す効果はなかったようだ。修一はマナ覚醒者であり、魔法抵抗力がある。賢者は内心でため息をついた。


「心変わりはしないようだな。仕方ない」


 賢者は掌を修一に向けて、共鳴魔法をかけた。これは対象者の「マナ揺動」を強化する準上級魔法だ。ゲーム的な表現をすれば、キャラのレベルを一時的に上げて、魔力や身体能力を強化する魔法だ。


「これは、共鳴魔法? なぜ?」


「……もういい。君が飛び降りるのを止めるつもりはない。とりあえず死にたまえ。話はそれからだ」


 そう言って異世界から来た賢者は、手すりの隙間から杖をつき出し、修一の胸をトンと突いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る