海援隊、到着!

◇◇


 明治元年(一八六八年)四月一五日――

 

 今日はなぜか千葉さな子と雫の二人が、箱館奉行所の牢獄にいる俺のもとを訪れている。

 二人の姿を一目見た時から嫌な予感がしていたが、まさに予想通りの展開が俺を待っていたのだった。

 

「龍馬さまぁ! 龍馬さまが投獄されたなら、雫も同じ牢獄で過ごします!」


「ちょっと、龍馬! こんなところで過ごすくらいなら江戸の道場で過ごしてもいいじゃない! わたしと一緒に江戸に帰るわよ!」


「ちょっとさな子さま。龍馬さまはメリケン人に訴えられてしまったのですよぉ。ここから出られるわけがないじゃないですかぁ」


「ふふふ、雫ちゃんはしょせんはお子様ね! そんなの龍馬の『嘘』に決まっているでしょ!」


「わーーー! 声がでかい! そんなことを他人に聞かれたらまずいことになるじゃないか!」


「ほらね! この反応は『嘘』って証拠よ!」


「でも『嘘』だとしても、きっと深い事情があってのことなのでしょう。雫は龍馬さまに従います! だから雫も牢獄の中に……」


「ちょっと! 龍馬! なんとかしなさい!」

「だめですか? 龍馬さまぁ」


 ぐぬぬ……。自分でまいた種とは言え、非常にめんどくさいことになった。

 しかも牢獄にいては逃げ道もないし、与太郎と正一郎は「巻き込まれるのはいやです」とか言って、どこかに行ってしまうし……。

 

「誰かぁぁぁ! 助けてくれぇぇぇ!!」


 と、俺の叫び声が辺り一帯に虚しくこだましたのだった――

 

 だが、その直後のことだった。

 

「おおうい! りょうまぁぁぁぁ!! おまんを迎えにきてやったぞぉぉ!」


 と、暗闇の向こう側から、聞き覚えのある声が響いてきたではないか。

 ぱっと顔を明るくした俺はもう一度叫んだ。

 

「弥太郎!! 弥太郎かぁぁぁ!!」

「おおうい! 龍馬ぁぁ!! わしだぜよ!!」


 確かにその声は岩崎弥太郎だ!

 そして俺の名を呼んだのは、彼だけではなかった。

 

――龍馬じゃ!! 龍馬の声じゃぁぁぁ!

――坂本ぉぉぉぉ!!

――坂本さぁぁん!!


 多くの男たちの声が聞こえてくると同時に、駆けてくる足音が近づいてきた。

 

 そして、ついに岩崎弥太郎を先頭に、ずらりと青年たちが俺の前に現れたのだった。

 みな気持ちの良い笑顔を浮かべ、真っ白な歯をのぞかせている。

 弥太郎以外の顔は全く知らない。

 それでも俺には確信があった。

 

――海援隊がきてくれたのだ!!


 と――

 

 するとそのうちの一人が前に出てきた。

 

「弥太郎から全て聞いちょるぞ、龍馬! 記憶がないにかあらんな。わしは謙吉。長岡謙吉じゃ」


 長岡謙吉……本で読んだことがある名前だ。

 たしか坂本龍馬の右腕のような存在で、彼亡き後の海援隊の二代目隊長。

 龍馬が最も信頼を寄せていた人物のうちの一人だ。

 俺は嬉しさのあまりに涙を流しながら言った。

 

「知ってるぞ。申し訳ないが、顔は分からない。でも、長岡謙吉の名はちゃんと知っておるぞ。ありがとうな。本当にありがとう」


「やめや! 龍馬! おまんが泣いちょると、わしまで……うわぁぁぁ! 龍馬ぁぁぁ!」


 檻ごしに俺たちが手を合わせて涙にくれていると、もう一人、既に涙で顔をぐしゃぐしゃにした男が近づいてきた。

 

「わしは陸奥じゃ! 陸奥宗光(むつむねみつ)じゃ! 龍馬さん! 俺は……俺は……本当にお主を心配しておったのだからな! うわあああ!!」


 彼ら二人を皮切りに全員が涙にくれた。

 およそ三〇人の海援隊員が全てここまでやってきて、俺との再会に涙してくれている。

 そう考えただけで、滂沱として流れる涙が止まるはずもなかった。

 

 こうして男たちの熱い涙は、この後一〇分以上も続いたのだった――

 

◇◇


 ようやく落ち着いたところで、雫とさな子には出て行ってもらった。

 そして俺は今までのことと、これからの構想を彼らに話したのだった。

 

 もちろん、通販会社『ジャングル』を設立するつもりであることも含めてだ。

 彼らは一様に驚きを隠せない様子であったが、俺の目を見て冗談ではないと悟ったのだろう。

 真剣な表情で俺の言葉を待っている。

 そこで俺は肝心なことを謙吉にたずねた。

 

「ところで『資金』はまだあるか?」


 彼はこくりとうなずくと、弥太郎の肩に手を置いた。

 

「金の管理は全て弥太郎に任せちょる」

「そうか、なら安心だな」


 俺がさらりと言ったので、弥太郎は顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。

 相変わらず分かりやすい男だ。

 まあ、今は彼をいじっている暇はない。

 『資金』のめどが立った今、いよいよ本格的に事業を始められるはずだ。

 

「よぉし!! では『ジャングル』、通称『密林商会』を始めるぜよ!!」


――おおおっ!!


 俺が号令をかけると、全員が明るい声で返事をした。

 なんという気持ちの良い男たちなのだろうか。

 みな何の疑いもせずに、目を輝かせながら笑顔になっているではないか。

 俺は彼らを見つめながら、「うんうん」と何度もうなずいていた。

 

 しかし、そんな俺たちにばしゃりと冷水を浴びせるような言葉を投げかける男がいた。

 それは岩崎弥太郎だ。

 彼は冷ややかな目で俺を見て言った。

 

「ところでおまん。その『通販事業』なるものを、おまんはやったことがあるっちゅうことじゃな?」


「いや、ない」


「はあぁぁ!? だったらどうやって始めるっちゅうか!? まさか何も考えちょらんってことやないろうな!」


 そこで俺は考えた。

 しかしすぐに結論に達したのだった。

 

「すまん。なにも考えてなかった! てへっ!」


 しんと静まり返る一同……。

 

 しばらく気まずい沈黙が続いた……。

 

 ……と、その時だった。

 

「ぷぷっ……」


 と、誰かが吹き出す声が聞こえてきたかと思うと……。

 

――あはははははっ!!


 と、全員が一斉に笑い出したのだ。

 

「あはははっ! さっすが龍馬じゃ!! 期待を裏切らん男じゃのう!!」


 と、謙吉が笑いながら涙を浮かべれば、

 

「がはははっ! おもしれえ! おもしろいぞ! 龍馬さん!!」


 と、宗光が顔を真っ赤にして興奮している。

 しかし、弥太郎だけは憤慨に顔を赤く染めて唾を飛ばした。

 

「おまんらは大馬鹿じゃ!! この男はまたなんも考えちょらん!! いっつも口だけじゃ!」


「あははっ! 弥太郎! 龍馬はそれだから龍馬なのだ! 夢はでっかい方がええ! これは楽しくなりそうじゃのう!」


 そうしてしばらく皆の大笑いが続いた後、宗光が後方に向かって大きな声を出した。

 

「おいっ! 英吉さん!! お主は龍馬さんの構想をどう考えるか? みなに披露してくれ!」

「おうよっ!」


 快活な声が集団の中からこだましたかと英吉と呼ばれた、見た目からして賢そうな青年が俺の前に出てきた。

 

「坂本さん! 石田英吉じゃ! 坂本さんの構想について考えを述べさせてもらってもよろしいかのう?」


 早口でまくし立てるようにしゃべる彼に圧倒されるように、俺は首を縦に振った。

 するとにんまりと笑みを浮かべた彼は、通る声で話し始めた。

 

「まずは『何を売るか』じゃが、さっきの話を聞くに、武器、食料から日ごろ使っちゅうもんまで全部売るっちゅうことじゃな?」


「あ、ああ。そのつもりだ」


「ならばそれらの『調達方法』を考えねばならんのう。そして『保管方法』もじゃ」


「なるほど……そりゃそうだな」


「調達は、『仕入れる』か『作る』か。簡単なのは『仕入れる』じゃが、そうなるとどこから仕入れるか、が問題っちゅうことになる。外国の『口』は新政府や薩長がほとんどおさえちょる」


「ならば『作る』はどうか?」


「あははっ! 『作る』っちゅうことは『材料の確保』『生産方法の確保』『生産力の確保』が必要じゃ。しかも何を作るかで、設備はだいぶ違うからのう」


「ふむ……一朝一夕にはいかないな……」


「だが、坂本さん! この際、売るものを絞ったらいかがじゃろうか!?」


「売るものを絞る? どういうことだ?」


「売る『相手』と『品物』を絞るっちゅうことじゃ! 言いかえれば、売れる物を確実に売れる相手に売る、っちゅうことになろうかのう」


「なるほど! それは頭がいいのう!」


 俺が喜びをあらわにすると、英吉もまた嬉しそうに笑みを浮かべる。

 この石田英吉という男は、かなり頭の切れる者であることは、今のやり取りでじゅうぶん分かった。

 そこで俺は彼の考えをさらに引き出すことにした。

 

「では、誰に何を売ったらよいものか?」


「それは『今』最も売れる物がよかろう!」


「今……」


「もうちと言えば、『少し先の未来』に必要となる物じゃ!」


 もう少しだけ先の未来に必要となる物……。

 となると、もう少しだけ先の未来に起こることを想像してみればよい。

 つまり、江戸時代が終わり、明治時代となって変化すること……。

 

「人々の生活で言えば、服装やパンや洋菓子の食文化。行政で言えば、洋風の建物や道路、そして鉄道など。そして間もなく始まるはずの会津藩や庄内藩の征伐であれば、武器や弾薬、そして食料ということか……」


「すぐに必要なものは他から調達し、ゆくゆく必要となるものは生産するための準備を進める……。というのはいかがでしょうか?」


 横からいつの間にかそこにいた与太郎が声をかけてきた。その隣には正一郎もいる。

 俺は彼らの手を取って大きな声を上げた。

 

「それだ! そうしよう!! よしっ! では早速、武器、弾薬そして食料を大量に仕入れるんだ! 保管場所は取り敢えず五稜郭内! 正一郎! お主の力で、保管場所は確保せよ!」


「は、はいっ! 任せてくれ!」


「謙吉らは、物資の調達を頼む! 諸外国の『口』は新政府に塞がれていようとも、個別の『商会』ならまだ隙はあるはずだ! 海援隊のあらゆる繋がりを使って、それらをかき集めよ!」


「おうよ! よおおし! やってやろうぜ!」


――おおっ!


 全員の意気がぐっと上がる。

 しかしただ一人、未だに納得していない者がいた。

 それは弥太郎だった。

 

「ちょっと待て! 物を作る工場をどうやって造るのじゃ!? それに洋風の建物じゃと? 鉄道じゃと? そんなもん、こん中の誰が作れるっちゅうのじゃ!? そもそも『通信』っちゅうのはなんじゃ!?」


 つまり弥太郎はそれらの『ノウハウ』を持った者がいないのを懸念しているのだろう。

 

「それに『労働力』はどうするんじゃ!? 『資金』だって、たかだが七万両ぽっちで全部やれると思っちょるのか!? 能が足らん! 人が足らん!! 金も足らん! 『足らん』づくしじゃ!」


 せっかく盛り上がったところで水を差す彼の言葉に、全員がむっとした顔を彼に向ける。

 すると彼は口を尖らせて、甲高い声をあげた。

 

「おまんらは甘すぎるがよ! もっと現実を見んと、絵に書いた餅で終わっちまうぞ!」


 彼の意見はもっともであり、みなそれを十分に理解している。

 だから、誰も何も言い返せずに、先ほどまでの興奮が嘘のように静まり返った。

 

 しかし……。

 

 俺には全てを満たすための、『人』に心当たりがあった。


 先見的な明を持ち、多くの労働力を動かせる影響力があり、経済面で協力者とつながりを持っている者……。

 


「小栗忠順……。彼をこちらに引き入れることとする!」



 そう俺が力強く宣言すると、その場の全員が驚愕のあまりに口を半開きにして、黙ってしまったのだった――



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