Episode17 ~記憶の伝言~

 深い静寂。

 口を開こうとする者は誰もいない、永遠とも思える沈黙が流れる中。

 

 アデルの言葉によって、カイと隣のノアも、驚愕の余りすっかり押し黙っていた。

 ただ一人、事情を知らないアンリだけが、頭上に疑問符を浮かべている。

 

「俺達に、伝言……?」

 

「しかも記憶のことって……」

 

 まるで冗談、ありえないとばかりに二人は震え切った声色で呟く。

 ──ふと、かつての苦い想い出がよみがえる。

 思えば。

 カイ達はグラーテに行き着いてから二年間──血眼になって記憶の情報を模索していた時期があった。

 

 だが何日、何週間、何ヶ月。

 何度も聞き込みをしたり、資料館の書物をひっくり返すほど読み漁ろうとも、その手がかりはおろか尻尾すら掴めず……挫折したのである。

 

 そんな喉から手が出るほど知り得たかった記憶の真実が、今まさに目の前にある。

 

「俺達の記憶に関して、何を知っている──ッ⁉」

 

 その焦りを露わにして、カイは吠えていた。

 一瞬、アンリが止めに入ろうとするが、アデルがそれを制す。

 まるで分かっていたかのように、少しだけ眉をひそめて、アデルはカイを押しのけてなだめるように告げた。

 

「知っています。……ですが、今は詳しい事は言えません」

 

「何故だッ⁉」

 

「落ち着いてください。これはあくまで、貴方達のことを考慮してのことなのです」

 

 嘆息と共に乱れた礼装を整えると、仕切り直すような咳払いを挟んで続ける。

 

「私は《空挺軍》総司令官から預かってきました。

 『記憶の真実を知り得たければ空挺軍となって、中央エリアまで来るがいい。

 さすれば君達が求める真実の全てを語ろう』

 ……との事です」

 

「中央エリア、空挺軍だと……」

 

 それを聞いたカイが、更にありえないとばかりに失笑した。

 当然だ。そこは、カイがグラーテ魔術学園に入学する前から心に決めていた宿命の場所であり、日々の悩みの種でもあるのだから。

 

 そこへわざわざ総司令官の方から、直々に勧誘が来るとは思いもしなかった。するわけがない。

 

 ──だが思えば、至極当然なことなのだ。

 今回のノアの誘拐事件。その首謀者である悪魔が目的としていたノアのペンダント。

 そして、絶対にありえない《空挺軍》副司令官アデル・レーヴェンの出現──その全てが、偶然だとはとても思えない。

 

 むしろ、なるべくして事が重なったようにしか思えないのである。

 最早、カイ達の記憶に空挺軍が何らかの因果関係をもっているのは明白──疑いようもない事実であった。

 そうでなければ、たかが一人の女子学生の為に、空挺軍を動かすとは到底思えない。

 そのような小さい仕事は街の警邏けいら隊にでも任せておけば良いのだから。

 

「──さて、伝言は確かに伝えました。

 それでは私は失礼いたします。

 ……貴方達が幸福な運命に導かれんことを。無事に空挺軍にまで上り詰めるその日を、切に願ってますよ」

 

 そう言い残して、アデルは颯爽さっそうと洞窟を後にした。どうやら、本当に伝言を伝えに来ただけらしい。

 ……微妙な沈黙がカイ達を昏く包み込む。

 目先で起こった怒涛の出来事に、まだ頭の整理が追いついていないのか、口を開く者はいなかった。

 

 そんな空虚な一刻が流れて──不意に、アンリが遠慮がちにその静寂を破った。

 

「……ねぇ、記憶のことってどういう意味なの……? あっ、言いたくなかったら別に言わなくても良い、けど……」

 

「え、えっと……」

 

 どう説明したら良いのか分からず、言葉を詰まらせたノアが助けを求めるように、カイへ流し目を送る。

 カイはその視線に気づくと──少し逡巡した。

 

 ──この際、アンリに記憶のことを話しておくべきなのではないか。

 別に隠している気もなかったし、アンリを危険な戦いに巻き込んでしまったのだ。十分に知る権利があるだろう。

 

 何より、アンリが人の秘密をむやみやたらに話すような奴ではないことを、カイ自身よく分かっていた。

 ただ一つ気掛かりな事があるとすれば。

 ──ったく、こんな時だけ妙に内気になりやがって……こっちが逆に話しづらいじゃねぇか……。

 

 少々調子狂いながらも、ノアの肩を掴んで制すと、俺が話すと言わんばかりにカイが前へ出た。

 

「俺から話そう。実は──」

 

 そうしてカイは自らの記憶について包み隠さず、全て吐露した。

 カイとノアが三年前、謎の花畑で出会ったこと。

 そこで交わした《約束》のこと。

 グラーテに行き着いてからの出来事。

 そして何より──その頃からノアが所持していたらしいペンダントが、今回の騒動の原因となっていまい、アンリを巻き込んでしまったこと。

 

 最後はノア自身が告げて頭を下げていたが──他全てをカイは、何ともなかったかのように語った。

 

 ……傍目から見れば、イカれている。ありえないと思うに違いない。

 実はこと魔術士に置いて──記憶や精神に異常をきたすのは、然程さほど珍しいことではない。

 

 魔術をより深く深淵まで知り得ようとした偉人が、何人も呪いや廃人化に苛まれ、謎の死を迎える事例がいくつも報告されているのだ。

 

 最も、それは魔術の暗黒面の象徴であり、魔術士の間に置いても暗黙の了解だ。

 即ち──普通の魔術士にとっての記憶崩壊とは、そのような呪いや精神異常のことなのである。

 

 だからこそ……ありえないのだ。

 過去の似たような事例に対して、呪いを背負っているわけでも、廃人と化しているわけでもない。

 カイとノアは異常なまでにのだ。

 

 そもそも記憶を崩壊した二人が、こうやって何事もなく過ごしていられていること事態、数多の出来事が重なった奇跡のようなものなのだから。

 聞けば聞くほど荒唐無稽こうとうむけいな話だ──と、カイ自身だって自覚している。

 

 ……だがアンリは、一切いぶかしむ様子なく、ただ真摯な表情でその話に耳を傾けるのであった。

 

「──って所かな、大体は。理解できたか?」

 

 僅かな沈黙を置いて、アンリが応じる。

 

「一応できたけど……それ、グラーテの警邏隊に言ってないの?」

 

「言うわけ無いだろ……こんな話、信じてくれる大人なんか居ねぇよ。ガキの戯言だと思われるのがオチだ」

 

「た、確かにそうよね……でも、あたしは信じるわよ、その話。

 記憶崩壊になって平然といられるなんて、にわかには信じがたいことだけど、貴方達が言うなら冗談だとは思わない。

 それに、今回の事だって気にする必要ないわ。元々、あたしが決心して来たんだから」

 

「え……本当ッ⁉」

 

 目を伏せていたノアが陽だまりのように笑う。

 そして感極まった様子でアンリに駆け寄り、その手を取ってぶんぶんと上下に振り回した。

 

 秘密を抱えていたことで、少なからずアンリに負い目を感じていたのだろう。しかも事の発端が自らのペンダントとなれば、その罪悪感は計り知れない。

 ──それでも唯一の親友は、こんな自分を許すと言ってくれた。

 そんな嬉しさの余り、ノアは胸中から溢れ出る熱い感情を押さえきれない様に、ひしっとアンリの胸に抱きついた。

 

「うぅ……ひぐっ……」

 

「ちょっ、ちょっと何泣いてんのよ。大げさねぇ……」

 

 そう言いながら、アンリがノアの頭を優しく撫でて。

 それにノアも、満更でも無さそうに笑みを零して。

 一見姉妹のように見える二人が、共に笑い合う穏やかな雰囲気のままこの場が集束しようとしていた……その時だ。

 

「……所で、結局そのペンダントは一体何なんだ?」

 

 場の雰囲気を壊すのに躊躇いながら、カイが厳かに問いかけた。

 あくまで、あの紅眼の悪魔の目的はペンダントなのだ。ノア自身ではない。

 ならば、わざわざノアが所持して危険に晒されなくても、俺が持っていれば良いのではないのか──。

 

 そんなカイの意図を悟り、ノアが溜まった涙を制服の袖で拭き取ると、かぶりを振って応えた。

 

「……残念だけど、実はこのペンダント……外せないみたい。

 それに、あの悪魔が言っていた事が本当なら、無理して外すのは危険かも」

 

「……どういう意味だ?」

 

 『危険』──その言葉に再び場の空気が引き締まる

 

「えっとね……このペンダントには、高位の儀式術っていうのが付与されているらしくて、それが私の魂の奥深くにまで繋がってて……」

 

「──ちょっと待って、儀式術って、あの⁉」

 

「何か変なのか?」

 

 いつしか魔術に対して関心が消え去ってしまった故か、魔術の深い知識には乏しいカイはそう問いかけた。

 すると、さも当然かのようにアンリが声を荒げる。

 

「変ってレベルじゃないわ、異常よ、異常っ! ……本来、儀式術の長所は、広範囲、長期間の魔術展開にあるの。

 主に建造物の周りに結界を張ったりしてセキュリティを向上させるとか、そういう用途に使われる魔術なのよ。

 それが、あんな小さいペンダントに、しかも高位な儀式術を付与するなんて、聞いたこともないッ!」

 

「──つまり、何か他人には知られたくない何かが、私のペンダントには眠っているって事……?」

 

「そう考えるのが、妥当だろうな……」

 

 言いながら──カイの意識は既に遥か彼方へ向いていた。

 何故か、儀式術という言葉が、脳裏に張り付いて離れないのである。

 不意にアデルの時にも感じた、嫌悪感にも似た妙な違和感が胸中を渦巻く。

 掴もうとしてもそれが何かは分からない……得体の知れない感覚に、カイが忌々しそうに歯噛みをする。

 

 ──一体何なんだ、この感じは。もしかしたら俺は、儀式術を聞いた事がある、のか……?

 

 何故か、そう感じた。理由は分からない。

 ただ、何処からともなくそんな確信が胸に抱いていた。

 思えば。

 ……思いを馳せてみれば、自分を戒めるこの記憶は、最初から不明瞭ふめいりょうなことばかりだった。

 むしろ、謎しか無いと言えるだろう。

 

 今でも、唐突に見に覚えのない記憶を覗くことがあるし、三年前に花畑で目覚めた理由も、結局分からずじまいだ。

 昔から幾ら記憶を真実を知ろうと模索しても、真実に近づくどころか、むしろ遠ざかっているのが否めなかった。

 そんな永遠にも等しい過酷な道のりに、一度挫折してしまったのも事実である。

 

 これも全部、空挺軍の総司令とやらに会えば、分かるのだろうか。

 アデルの伝言が正しければ、このまま無事卒業して空挺軍へ入団を果たせれば、記憶の真実を知れるらしい。

 

 だがそれは、まるで何かにまんまと動かされているとしか、思えなかった。

 まるで、他人が引いた線路の上を歩かされているような感じがしてしまうのだ。

 

 胸の奥にざわめく違和感に、カイが一人葛藤かっとうしていると。

 

「あっ……」

 

 不意に、アンリが何かに気付いたように短く呟いて。

 

「そういえば、私達先生達に何も言わずに飛び出したままじゃない……?」

 

 一瞬にしてアンリの顔から色が失われ、蒼白に染まる。

 

「「あっ……」」

 

 同時に、カイとノアの声が重なった。

 恐る恐るカイが懐から懐中時計を取り出し、一瞥すると──時刻は十四時を上回っていた。

 どうやら学園から飛び出して約四十分近く経っていたらしい。

 本来ならば、とっくに五時限が始まっていてもおかしくない時刻だ。

 

「ま、不味い──さっさと戻るわよッ!」

 

「えぇっ⁉ ちょっと待ってよ──ッ⁉」

 

「お、おいお前ら⁉ 俺はさっきまで重症だったんだぞ⁉ もっと病人を労れ──ッ⁉」

 

 いち早く飛び出した優等生のアンリを筆頭にして──カイ達は、忙しなく洞窟を後にするのであった。

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