第5話

 天井から注ぐ暖かい陽光に包まれているからか、唐突に眠気を感じ、アムリは小さくあくびを漏らした。

 そのとき、右肩が急に重くなり、それまで眺めていた鉱石が指の間から太ももへ転がり落ちる。

 アムリは小さな悲鳴を上げ、同時に甘い香りが鼻腔をくすぐった。セレネアが好んで着けている香水の香りだ。


「セレネアさん、ちょっと、いたずらしないでくださいよぉ」


 アムリは集中力が途切れ、たまらずまぶたを開き、からだを引いてセレネアに振り向いた。


 その拍子にセレネアのあたまが大きく傾き、アムリの肩から胸元、膝上にかけて滑っていく。二の腕が地面をたたき、眼鏡が落ちて、セレネアの光紫色の髪がアムリのほおをわずかに撫でた。


「……え」


 アムリはセレネアが自分の膝の元で動かないのを見下ろして、思わず肩を揺すって呼び掛ける。すると、左腕が力無く持ち上がり、意味を成さない言葉を紡ぐ声が返ってきた。


「ね、寝てるんです?」


 セレネアの顔を覗き込むと、心地良さそうに寝息を立てて眠っている。


「き、キライヴの旦那、セレネアさんが……」


 唐突に眠ってしまったセレネアを不審に思い、キライヴの指示を仰ごうと顔を上げたアムリは、眼前の出来事に息が止まった。


 いつもなら笑って振り向いてくれただろうキライヴのくびが、根元から折れ、からだから離れて落ちていく。地面を二度跳ねて転がるあたまはアムリの傍らで止まり、彼の苦悶の表情がアムリの瞳に焼き付いた。

 あたまを失ったキライヴのからだがバランスを失って倒れこむ音に再び視線を上げると、ピスタが面倒を見ていたはずの幼子が、裂けた口から無数の歯を剥き出してこちらを見ている。


「ひ、ひぁっ」


 アムリは喉元まで出てきた叫び声を思わず飲み込んだ。血に染まっていたはずの衣服がみるみるうちに白くなり、幼子は何事もなかったようにアムリへ微笑みかけたのだ。裂けていたはずの口元はふっくらとしていて綺麗に整っている。

 困惑するアムリが動けないうちに、幼子はつたない足取りでアムリの前までやってくると、濁りのない透き通った眼差しを彼女の瞳に向けて注いだ。


 幼子の瞳はつぶらで、煌めいている。


 とても可愛らしい瞳に射抜かれて、アムリは幼子から目を離せなくなった。からだの奥底がさわめき始め、高揚感と恍惚感が体内を駆け回り、彼女の意識を支配する。甘美な祝福を受けているようで、だんだんと頭の中がとろけてまっさらになっていく。


 そのとき、傍らで眠るセレネアの腕が持ち上がり、偶然にもアムリの頬をはたいた。


 その衝撃にアムリは目を瞬かせて、ふと視線を手元に落とす。すると、鋭い歯がむき出しになり、大きく開かれている幼子の裂けた口が視界に飛び込んできた。


 正気を取り戻したアムリは悲鳴をあげて、幼子を突き飛ばし、何度も地面を蹴り出し尻を引きずって後退りした。なんとか立ち上がり、無我夢中で駆け距離を置いたところで、背筋が凍るような気持ち悪い音が聴こえて、恐々と後ろを振り返る。


「ねえ、さま……」


 鈍い音を打ち鳴らし、取り残されたセレネアの首と胴体が、幼子に噛み切られて離れていく。その光景を目の当たりにして、アムリは膝を折り茫然とした。後悔の念が押し寄せ、虚脱感が彼女を襲う。


 セレネアの遺体に興味を失った幼子は、へたり込むアムリに再び視線を注ぐと、幼い脚とは思えないほどの速度で彼女の元へ駆け寄っていく。

 アムリは幼子の鋭い歯とあおぐろい喉元が迫り来る恐怖に絶叫し、あたまを庇おうと腕を振り上げた。


「いやああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」


 広場に甲高く鋭い音が鳴り響き、煌めく陽射しの空へと吸い込まれていく。

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