第21話「武将がつけた地名とお館様」

「なあ、これって誤字?」


 江に借りたゲームをやっていて、気になったところがあり、江に聞いてみる。


「何が?」

「これ、大阪の“阪”が普通の“坂”になってる」

「あ、それ。あってるし」


 馬鹿な質問のために勉強の邪魔をされたと、江は少し不機嫌な声になる。


「え、あってるの……?」

「当時は普通の坂で、“大坂”と書いたのよ。もしくは小さい坂で“小坂おざか”。秀吉が支配するようになり、大きいほうがよかろうと、“大坂”と呼ばせるようになったみたい。あと、発音も“おおさか”じゃなくて“おおざか”だし」

「へえ……」

「“坂”の字が変わったのは、江戸時代からで、“土がる”って読めるから縁起悪いって少しずつ変えていったみたい。こざとへんの“阪”に統一されるのは、明治時代以降ね」


 なんだかんだで江は丁寧に説明してくれ、鬼の首を取ったように、間違いだと指摘した自分が恥ずかしくなる。


「松阪牛で有名な松阪まつざかも同じで、秀吉の家臣である蒲生氏郷がもううじさとが大坂から一文字もらって、“松ヶ島”を“松坂”に改名するんだけど、明治時代に“大阪”が名前を変えるとこっちも“松阪”にしたみたいね」

「ほー、武将が地名を変えることあったんだな」

「え……」

「え?」


 いつもの通り、江の軽蔑のまなざしが刺さる。


「武将がつけた地名なんて、すごいたくさんあるわよ……?」

「そうなのか……?」

「一番有名なのは岐阜ぎふ。信長が斎藤家を滅ぼし、稲葉山城いなばやまじょう、その城下町の井ノ口いのくちを支配すると、中国の故事になぞらえて改名するの。沢彦宗恩たくげんそうおんが3つ案を出し、信長が“岐阜”を選んだのは誰でも知ってるわ」

「誰でもなのか……」

加藤清正かとうきよまさは自分の領地を、“隈本くまもと”から“熊本”に変えてる。理由は熊のが勇ましかろう、ということみたい」

「えー、そんな理由で……」

「あら、名前は大事よ。“福島”“福井”“徳島”は戦国武将が縁起のいいということで、名前に変えてるし。京都の“福知山ふくちやま”は明智光秀が横山から改名したみたい。“福岡”は黒田官兵衛のご先祖様が住んでいた地名を取ったようだけど」

「ああ、確かに県名に“福”が多い気がしてた」

「高知は、山内一豊やまうちかつとよが川の中州にある城を“河中山城こうちやまじょう”と名付けたのが元になってる。仙台は伊達政宗が青葉山城を作ったとき、漢詩になぞらえて“仙台せんだい”と命名したわ。今治いまばりは、いまはり、いまはるとか呼ばれてたのを、藤堂高虎とうどうたかとらがこれからこの地を治める、という意味で“今治いまばり”に統一したの。広島は毛利元就もうりもとなりの孫・輝元てるもとが、有力者の名前をくっつけたっぽい。甲府こうふは、武田信玄の父・信虎のぶとらが甲斐の府中ふちゅうということで、“甲府”って名付けるの。府中は県庁所在地の意味ね」


 このまましゃべらせていると、朝まで話続けそうな勢いである。


「そ、そういえば、武将の名字が地名になっているの多いよな」

「んー……」

「え、違った……?」

「逆ね。地名を名字してたの。もともと名字はすべて意味があって、偉い人しか持てなかったのは知ってるわよね。時代がたつと子孫が増えて、同じ名字の人ばかりになっちゃったから、どこどこの誰さんって感じで、地名で呼ぶことが多くなるのよ」

「ああ。親戚であるや。小岩のおばさんとか」

「ま、そんな感じね。藤原鎌足ふじわらのかまたりから始まった藤原は特に多くて、“藤”と地名や役職を組み合わせて、新しい名字を作ったの。佐藤は、佐渡や佐野。伊藤は、伊勢や伊豆。斎藤は斎宮さいぐう。加藤は加賀みたいに。」

「へえ、“藤”がついてる人は藤原の子孫なんだな」

「明治時代に好き勝手つけちゃったから、関係ないことのが多いけどね」


 江戸時代まで、庶民は名字を持てなかったが、明治時代になって自由に名乗れるようになるのだ。新しく生まれた名字も多いようである。


「あと、武士は基本的に地名だと思ったほうがいいわね。有名な武家は、だいたい鎌倉時代の御家人の子孫で、名前がかぶりすぎるから、自分の領地の地名を名乗ってるわ。中でも棟梁クラスの“源平藤橘げんぺいとうきつ”と言われる4つの名字は、名門中の名門で、特に子孫が多いの。たちばなはすぐに落ちぶれて、忘れ去られちゃうけど」

「へえ、その源平藤には誰がいるんだ?」

「源氏は、徳川、島津、大友あたり。平家は、織田、北条、長尾とか。藤原は伊達、上杉、龍造寺りゅうぞうじかな。自称したりするから、本当かどうかよく分からないんだけどね」

「自称? なんのために?」

「“源平藤橘”は由緒正しい名字で、偉い役職になるにはその名字が必要だったのよ。特に源平は征夷大将軍になれる血筋とされ、大名は源平の名字を名乗るために必死だったわ。一番有名なのは家康」

「家康!?」

「家康はもともと松平元康まつだいらもとやすって名乗ってたんだけど、松平の名字では偉くなれないから、源氏の一族である新田氏が祖先だって言い張ったのよ。新田というのは、室町時代初期に活躍した新田義貞にったよしさだ(※1)の一族ね。その義貞に負けた一族の人がいて、流浪しているうちに三河の松平家の婿養子になったっていうのよ」

「なんだか怪しいな……」


 徳川家康は誰もが知っている征夷大将軍である。実力で将軍になったというイメージがあったが、「徳川」の名前を取るのにとても苦労したらしい。


「ま、信長も自分で藤原って言ってたのに、いつの間にか平家だって言い始めるんだけどね」

「信長もかよ!」

「秀吉は明らかに生まれが低いから、あれこれ手を尽くして、藤原と平を名乗ったわ。将軍だった足利義昭(※2)の養子になってさらに箔を付けようしたけど断られ、新しく“豊臣”という名字を作ったの」

「豊臣ってそういう理由で作られたのか……」


 なれぬなら 作ってしまおう 豊臣の、である。

 ちなみ江曰く、「豊臣」は、「藤原」や「源」と同じく「の」を入れて、「とよとみのひでよし」と読むのが正しいらしい。


「名前って重要なんだな……」

「この時代は格というものを大切にするからね。そういえば、大名ってどうなれるか知ってる?」

「え? 強くなったら?」

「室町幕府の免許制なのよ。幕府が認めた名門武家を大名って呼ぶの。いわゆる“室町二十一館”ね。殿のことを“お館様やかたさま”って言うでしょ?」

「あ、うん。時代劇でよく言ってるな」

「実は“お館様”って言っていいのは、認められたその大名だけなのよ。斯波、畠山、細川、山名、一色、赤松、京極、武田などがいるけど、多くが戦国時代初期で衰退しちゃうから、当時の名門でも、今は知らない人は多いかも」

「うん、ほとんど知らない……」

「のちに鎌倉公方かまくらくぼうが“関東八館”を決めて、関東にも有力大名ができるわ。ま、そのうち幕府の権威がどんどん失われて、自分に協力してくれる人に譲ったりして、いい加減になっていくんだけどね」


 江は言うだけ言うと、自分の勉強に戻っていった。

 自分もゲームを再開する。野武士ごときが大名クラスの知識を持つ姪っ子たちに、異見するのはやめようと思った。




※1 新田義貞は、南北朝時代に南朝の後醍醐天皇ごだいごてんのうを支えた。足利尊氏あしかがたかうじに敗れたため逆賊の扱いだったが、明治維新以降に、楠木正成くすのきまさしげと同様、忠臣として再評価されている。

※2 足利義昭は15代将軍で、源氏の嫡流、名門中の名門である。

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