第8話 女性が惹きつけられるサンダルウッド

 暑い夏の夜。

 風間は、恭介とともに職場の近くにある居酒屋にいた。


「お前と呑むのなんて、随分久しぶりだよな」


 何杯目かの中ジョッキを空にして、恭介がご機嫌な様子で話す。すでにできあがっているように見えるが、彼はシラフでも大概いつもこんな調子なので酔っているのかどうかはよくわからない。


「だろうな。僕も、家以外で呑むのなんて、久しぶりだよ。歓送迎会すら断ってるしね」


 目の前にある砂肝の串を手に取って頬張りながら、風間は答える。コリコリしていて、美味しい。


「今日は、亜里沙ちゃん。どうしてるんだ? 家?」


「いや。今朝から部活の合宿に行ってる。引退前の最後の合宿なんだってさ」


「そっか……亜里沙ちゃんももう、来年は高校生か。早いもんだよなぁ……俺らも歳を取るはずだな」


 そう言って、恭介は笑った。

 恭介とは随分長い付き合いになる。彼と初めて出会ったのは、霧島工務店の内定式だった。そこで案内された会場で、たまたま隣に座ったのが彼だった。話してみると学部は違うが同じ大学の出身だとわかり、それをきっかけに仲良くなった。

 あの頃と比べると、確かにお互い老けたなとは感じる。


 恭介が次の注文を選ぼうとメニューを広げたのを、風間は中ジョッキを傾けながら眺めていた。


 恭介とは、同期の中で一番親しくもあり、ライバルでもあった。

 彼を見ていると、もし自分が彼と同じようにあのまま出世街道を走り続けていたら、今ごろ彼と同じような役職で同じような責任抱えて、同じように会社から期待される仕事をしていたんだろうな、なんて思うことはある。

 それに比べて、今の自分は何てうらぶれてしまったんだろう。


(でも、そんな選択肢なんてなかったしなぁ)


 とはいえ、この頃では、今の自分の生活もそれほど悪いものじゃないよなぁと思えることも増えてはいた。


 店員に注文を終えた恭介が、話を振ってくる。


「俺も早く結婚したいなぁって思い続けながら、いつの間にかこんな歳なんだけど」


「昔っからモテてたのにな」


「だからだよ。かえって、焦らなくてもいつでも結婚できるだろうって思ってたら、気がついたら40も半ばだしな」


 そんな自意識過剰とも思えるセリフも、恭介が言うと嫌みに感じない。ああ、本当にそうなんだろうなと思えるからだ。整った目鼻立ちに、忙しい仕事の合間に通っているジムのおかげでたるみのない身体。年相応に年齢を重ねたことで、元々のイケメンさに落ち着きまでプラスされて、女性からみた魅力はかえって増しているんじゃないかなという気さえする。

 そのうえ、役職と、それに見合った収入もあればいくらでも引く手あまたでは?と風間は思うが、そういえば前に課の若い女の子たちが「石田部長って高嶺の花すぎるよね」「そうそう。スペックいいんだけど、遊んでそうっていうか」とか話しているのを聞いたことがあるので、世間的にはそんなイメージなのかもしれない。実際、遊んでることは間違いないし。


「いま、付き合ってる相手いないんだろ? いいなって思う子とかいないの?」


 風間の言葉に、恭介は待ってましたとばかりにサラダを掴んだ箸をこっちに向けてくる。


「総務に去年入ってきたさ。小川さん。あの子、可愛くない?」


「……ああ、あの中途採用で入ってきた子か。たしか、前は地方局で女子アナやってたっていう。うちの係の若い奴らが、彼女の現役時代の動画をネットで探してきて見てたっけ」


 職場でも何度か彼女を見かけたことがあるが、細身で、ゆるく茶色に染めた長い髪を後ろでクシュっと編み込んで丸めている、目鼻立ちの華やかな女の子だった。


「そうそう。その子。今度、食事でも誘ってみようかな」


「いいんじゃない?」


「じゃあさじゃあさ。今度俺、『好きです。付き合ってください』って手紙書くから、お前、職場の裏に彼女呼び出して渡してよ」


「その高校生の告白ごっこみたいなの、どっから突っ込んでいいのかよくわからないけど。なんで僕を巻き込むんだよ」


 そんなくだらないことを話しているうちに一通り飲み食いを終えて、他の店に移ろうという話になった。その道すがら、繁華街を歩いていると見知った集団をみつける。


 総務の女の子達が女子会を終えて駅に向かうところだったらしい。

 総務、というわけで、当然、恭介が気にかけていたあの小川さんもいた。やっぱり、同じくらいの年頃の女の子の中にいても彼女の華やかさと可愛らしさは一際目立つ。


 彼女の姿を目にとめた途端、隣を歩いていた恭介は彼女たちに声をかけて近づいていった。


(ったく……相変わらず、行動が早いよな)


 風間は内心苦笑しながらも恭介についていってしばらく様子を眺めていたが、恭介は他の女の子たちにもそつなく話しかけながらも、さりげなく小川さんのそばに寄っている。


 風間は自分のカバンから小瓶を取り出すと、彼らに見えないように後ろ手でこっそり蓋を開けて小さく指を鳴らした。ウッディーで、ほんのりと甘い香りが一瞬鼻腔をくすぐって、夏の夜の風に流され消えていく。


 サンダルウッド。日本ではお香の香りで知られているリラックス効果の高い精油だが、実は女性を惹きつける効果もあると言われていて男性用香水などにも使われるものだ。


 小瓶をポケットに仕舞うと、風間は恭介の肩をたたく。


「僕は、そろそろ失礼するよ」


「え? もう?」


 なんて恭介は口では言うが、目は「ごめん。呑みの続きはまた今度」と言っているのがありありとわかる。


「部長さんには、恩を売っといた方が何かと得だろ? じゃあな」


 そう言って笑うと、風間は彼らと別れて駅の方へと歩き出した。

 夏の暑い季節。まだこの時間では行き交う人の流れは多く、飲食店の看板も煌々と明かりがついている。


(どっかもう一軒、行ってみようかな。あー……それとも、ラーメン食うのもいいな。そうだ、そんな気分だな)


 絶対、身体に悪いやつだよな、これ。でもなぜかラーメンって、こういう時間に食べたくなるんだよな。なんて思いながら、風間はラーメン屋の暖簾のれんを潜った。別に、一人でまっすぐ帰るのがしゃくだったわけではない。断じて。



 ――――――――――――――

【サンダルウッド(白檀びゃくだん)】

 4~9mほどの半寄生の熱帯性常緑樹。

 昔から中国やインドで寺院の建材や仏像仏具、お香などに使われてきました。日本でも、白檀として古くから親しまれています。


 非常にリラックス効果が高く神経の緊張や興奮を抑える効果が強いため、瞑想する際によく使われてきました。


 が、一方で誘淫効果もあり、異性を惹きつける作用があるといわれています。というのも、サンダルウッドは男性の汗の中に含まれるフェロモンと似た成分を含んでいるため、特に女性を惹きつけやすいのだとか。シャネルが出している男性用香水のエゴイストにも、このサンダルウッドが含まれています。


 身体的作用としては、皮膚を保湿し、にきびなどを殺菌する効果からスキンケア用として古代から使われてきました。また、呼吸器の炎症を抑える作用もあるため、声がれや咳にも良いと言われています。

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