31 モデル移籍

 六本木の街を見下ろし、六本木ヒルズと東京ミッドタウンを窓外に望むヒルズレジデンスの38階に、ツバサ・エンタープライズのプレジデントルーム(社長室)があった。スタッフが常駐する事務所とは分けているのだ。楢野は久々に旧友を訪ねていた。小柄なせいか、サカイのラブリーなレース&ニットのプルオーバーを着ると、大学生にしか見えなかった。人気モデルとして数々のファッション誌の表紙を飾った美奈美翼プレジデントは、楢野莉子より4歳年上だった。ツバサ・エンタープライズには、多数の人気モデルが在籍し、表向きは華やかだったが、プロデュースブランドのメゾン・ド・エルが鳴かず飛ばずで、代官山のブティックを撤退することになり、多額の負債を抱えているという噂もしきりだった。

 「やだ、どこのモデルさんかと思ったよ。莉子、変わんないね」

 「うちら、もうアラサーよ。そんな仕事してる場合じゃない」

 「ま、そうよね。だけど生パスタより、乾燥パスタのほうが断然おいしいと思わない」

 「相変わらず、意味不明のたとえね。いい子が集まってるみたいじゃない。次から次へと、どっから掘り出すのよ」

 「この業界は人集めがすべてだからね。メジャーなところは全国規模のオーディションができるけど、うちみたいなベンチャーは、誌上オーディションがせいぜい。路上スカウトは風俗じゃないかって警戒されるから、カットモデル、SF(ストリートファッション)撮影、ミニコミ誌、プチ風俗誌、いろんなチャンネル開いてるけど、売り手も買い手も多いし、いい子はもう何かしらやってて、ヒット率はどんどん下がってるの。SNSはデコフォトが多くて使えないしなあ」

 「わかった、わかった。ところでさ、調べてもらった件、どうだった」

 「シーシェルの子ね。モデル名は紫央香って言うみたいだけど、ださいね。ローマ字でSHIORIがよくないかな」

 「引き抜けそうなの」

 「あれだけの子だもの、難しいわ」

 「やっぱ、そうか」

 「自分から抜けるしかないよ。そしたら預かってもいいわ」

 「違約金いくらくらいかな」

 「ほんとはそんなものないのよ。いつ辞めてもいいんだけど、あの子だと500万くらい言われるかな。お金がないって言ったら、AV1本出たら辞めさせてやるとか言いかねないね」

 「出たら終わりよね」

 「まあ、そうだね。逆に人気になることもあるにはあるけど、AVで売るなら中国人受けよくないとね。あの子、胸はまあまああるみたいだけど、覚悟はどうなのかなあ」

 「翼もそんなこと言うようになったんだ」

 「きれいごとばっかり言ってらんないでしょう。なんで、そんなにあの子にこだわってんの」

 「社長のお気になのよ」

 「そんなことまで世話してんの。莉子、変ったんだね」

 「あの子じゃないとダメな事情があるんだ。それから翼じゃないとダメな事情もね」

 「なによ」

 「デビュー前のモデルとかダンサーとか紹介してるお店がいくつかあるでしょう」

 「うん、あるけど」

 「あの子を、そのうちの1つに出してほしいの」

 「ずいぶん具体的だわね。つまり、ターゲットはその店の客か」

 「ピンポーン」

 「狙いはなによ」

 「社長があの子をモデルとしてデビューさせたがってるから、その夢を実現させてあげようかなって」

 「それはどうでもいいわよ。スパイの件よ」

 「そっちはね、社長がその店の客に騙されそうだから」

 「ふうん、そっか。つまりその社長が好きなのね。どんなやつなの」

 「ほんとのこと言うと、偽大学生で、偽相続人で、偽社長。バカだけど、いいやつよ」

 「おもしろいじゃない。莉子がそこまで惚れてんなら、その話乗ったわ」

 「引き受けてもらえんの」

 「あの子ならうちだって拾い物だしね。本人次第だけどメジャーになれるかもよ。シーシェルじゃ勿体ないっていうか、可哀そうなのは確かね」

 「でしょう」

 「莉子もこっちに戻れば。うちのプレスやってよ。ブラマネ(ブランドマネージャー)だっていいよ。新しいライン考えてんの」

 「六本木はもうたくさん。田舎が肌に合ってるの」楢野はばつがわるそうに眼を泳がせた。

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