18 フェイクデート

 新納に騙されてもいいと腹を括って、柊山は上京し、紫央香(桐嶋汐子)を渋谷センチュリーホテルのロビーで待った。

 午後3時すぎ、紫央香は普通の女子大生風のコンビワンピ姿で現れた。CA4LAのストローハット、リボンサンダル、初夏らしいリネンメッシュのバッグも含めて、高額な服ではないのに、柊山の目にはどこからどこまで大宮や静岡で見てきた女とはワンランク違うように感じた。おんぶして運んだときは小柄に感じたが、それは錯覚だった。ヒールを含めた身長は柊山と変わらなかった。

 「会いたかったです。会えると信じてました」

 「浜松でみかけただけなのにか」

 「やっぱりあの時の人ですね。どこかで会ったことがあったような気がして気になってたんです」

 「あんたの社長と一緒に被災した高校にいたんだよ」

 「そうなんですか。それじゃいっしょに運んでくれたんですか」

 「いや、社長が一人で運んだんだよ。俺たちは死体だと思ってたからな。俺たちが帰った後、あんたの社長がまだ生きてると気づいたんだよ」

 「社長一人じゃなかったんだ。高校にはどうしてきたんですか。偶然通りかかったって言うだけで教えてくれなくて」

 「娘が帰ってこないって心配してる父親がいてさ、一緒に探しにきたんだよ」

 「見つかったんですか」

 「いや、だめだった。死体もまだ見つからない」

 「そうか、私のお母さんと同じね。それで私が思い出すと思って言いたくないのね」

 「どうすればいいんだ。東京は初めてなんだ」

 「決まった流れはないですよ。普通のデートみたくすればいいんです。渋谷だから、ニューパルコかマルキュー(渋谷109)で暇つぶしして、軽くお食事して、後はカラオケとかでもいいですし、お若い方ですから、早めにホ…ううん、道玄坂のクラブで踊るとかでもいいですよね。とにかく今日はお時間はたっぷりありますからいっぱい遊びましょうよ。お店からNGもらいましたし」紫央香はホテルに行ってもいいと言いかけてやめた。

 「店も出てんのか」

 「デートの仕事はそんなにないですから、いつもは西麻布のステラに出てるんです」

 「モデルになんだろ」

 「最初はみんなこんな感じじゃないですか。モデルになりたい子なんて東京に何千人もいますから。うちの事務所はみんな六本木か、西麻布か、どっちかに出ています」

 「新納とは、なんつうか、どういう…」

 「そういうお話は後にしましょう。どこか行きたいとこありますか」紫央香は話を逸らせた。

 「何かプレゼントしよう。マルキューとかで」

 「ほんとですか。うれしいです」

 「そのかわり1つ頼んでいいか」

 「なんでしょうか」

 「タメ(グチ)にしてくれよ」

 「いいんですか」

 「そんなふうにバカっていねいにしゃべられんと、かえってバカにされてんみたく感じる。なんかいかにも俺は客ですよって感じでよ」

 「わかりました」

 「うん、でいいよ」

 「うん、じゃそうするよ」

 「うん、それがいい」

 紫央香は渋谷109に柊山を連れていった。高校生以下の客が多く、紫央香の年齢でもお姉さんだった。彼女はフロアを移るごとに服をチョイスしてフィッテングルームに入り、柊山にコーディネートを披露した。どれもびっくりするほど似合った。どの店でも買ってあげると言ったのに、なぜかもう少し考えると言葉を濁して買わなかった。

 「彼女、すごいかわいいね」行く先々でショップ店員にお世辞を言われた。偽装のデートだとは誰も気付かなかった。

 「一着も買わないのか。ほんとにプレゼントしたいのに」

 「実はね、マルキューには欲しい服ないかな。表参道ならあるかも」

 「じゃあ、そこ行こう」

 「パンケーキ食べる? 人気店いっぱいあるよ」

 「任せるよ」

 紫央香は表参道ヒルズの裏にあるイザベル・マランのブティックで、ボヘミアン柄のワンピースとインソールのバックスキン・ブーツを選んだ。柊山は合わせて15万円をキャッシュで払った。

 「ありがとう。すっごくうれしい。社長が言ったとおり、お金持ちだったのね」

 「津波でオヤジが死んだんだ」

 「遺産てことか。親が死んでも私とは違うのね」

 「それよか、東京はすげえな。店員さんまで超美人だ」

 「ああ、イザベルの人ね。すっごく細かったね。絶対モデルだったと思うよ。私とどっちがきれいだった?」

 「そりゃあ、言うまでもねえ。試着室から出た時、店員ら、目丸くしてたぜ」

 「私より手足がすらりとしてたでしょう。おなかも紙みたいだった。私は太いから」

 「どこがだよ」

 2人はキャットストリートの人気パンケーキ店ファイブ・エッグスの行列に30分並び、ハワイアンパンケーキをシェアして食べた。

 「何度もここ来てるけど、男の人とは初めて。今日のが一番おいしい」

 「パンケーキって意外にうまいんだな」

 「これからどうしようか。どこか行きたいとこある。六本木ヒルズで夜景とか見る? 東京始めてだったら、絶対お勧めよ」

 「シーシェルの事務所はどこにあるんだ」

 「恵比寿だけど」

 「場所教えてくれねえかな」

 「え、なんで」

 「見ておきたいだけ」

 「私も一度しか行ったことないし、わかるかな」

 恵比寿は渋谷や原宿とは打って変わって静かな街だった。これなら浜松のほうが賑やかなくらいだと思った。

 「ここよ」

 シーシェル・プロモーションの事務所は、恵比寿駅から代官山に向かって5分ほど歩いた小さな神社の横の薄汚い雑居ビルの5階にあった。あたりをつけて窓を見上げたが真っ暗だった。まともな事務所じゃないと柊山は直感した。

 「秋葉原に行ってみてえな」柊山は思いついたように言った。

 「アキバっていろいろあるのよ。普通のメイドカフェのほかに、いろんなコスのコンセプトカフェとか、ミニライブもあるしさ。もちろんAKH88劇場もあるけど」

 「ミニライブってなんだよ」

 「メジャーデビューする前の地下アイドルが歌ったり踊ったりする小さなステージのあるカフェとかライブハウスとかよ」

 「そんなのがあるんだ。行ってみてえな」

 「じゃ、どこでやってるか調べるね」

 紫央香はスワロフスキーのラインストーンをデコレーションした最新型のiPhoneでライブの開催予定を調べ、夕方からミニライブをやっている秋葉原のライブボックス・セブンに柊山を案内した。

 入場料2000円とドリンク代500円を払い、ライブハウス内に入ってみると、幅5メートル、奥行き3メートル程度の小さなステージで、十代のアイドルユニットが躍っていた。ファンは2、30人ほどで全員が立ち見だ。40代以降のオヤジが大半だが、上手に合いの手を入れている。ああ、これがモノノフかと思った。(厳密にはモノノフではない。)

 柊山と紫央香もコーラの瓶を手にして、ファンの隙間にもぐりこんだ。1ユニットが披露できるステージは3曲、10分前後で次のユニットにチェンジした。どのステージもメジャーなユニットの模倣だから似たようなものだった。コピユニ(コピーユニット)ではないからオリジナル曲なのだが、どこかで聞いたようなフレーズが目立った。

 「どうする。全部見てく。それとも他に行く」紫央香は興味がなさそうだった。まがりなりにも芸能事務所に入って切磋琢磨している身からすれば、コンセプトカフェ出身の地下アイドルたちは歌もダンスも自己流で、とてもメジャーデビューできるレベルじゃないと内心思っていた。

 「全部見よう」紫央香とは逆に柊山は何かに開眼したように、その場を動こうとしなかった。10ユニットがすべてステージを終えるには3時間以上かかった。

 「東京にはこんなとこいっぱいあるのか」

 「そうでもないよ。場所があればやりたい子は多いと思うけど、入場券2千円でしょう。30人で6万円ぽっちにしかならないんじゃ続けるのが難しいでしょう。ダイニングスタイル(テーブル席あり)で、ステージもここよりましなカフェもあるけど、キャストドリンクがないと難しいよね」

 「ドリンク代つけたらガールズバーと同じじゃん」

 「そうすると高くなるから、ここに来てるようなファンは来ない」

 「おもしれえシステムだな。また、連れてきてくれよ」

 「気に入った子いたの」

 「全部気に入った。何1つ持ってねえのに、そんなこと物ともせずに、一途に夢を追ってるって感じだな」

 「よくわかるね。こういうとこに出る子って、何かっていうと、夢、夢って言うんだよ。あとは居場所がほしいとかってね。これで引きこもり克服しましたみたいな」

 「紫央香は夢って言わないのか」

 「汚い世界を見ちゃうとね、夢なんてもう言ってられない。汚れていくのを我慢して踏ん張るか、それとも夢をあきめるか、はっきりしてるから」

 「なるほど、夢、夢って言うってのは、実は夢の汚さを知らないってことか」

 「知らないほうがいいのかもね」

 「渋谷に戻ろうか。さっき言ってたどっかの坂で踊るんだろ」

 「道玄坂ね。ほんとにそれでいいの?」

 2人は道玄坂のクラブ・イースト&ウェストで踊った。ダンスのレッスンを受けているせいで、紫央香は目立ってうまかった。暗がりを彩るミラーボールの光線の中から、いわゆる黒人(主にアフリカ系アメリカ人)が、まるで悪魔の使いのように、何人も彼女を誘いに来たが、柊山に睨まれて退散した。フリー(無料)だと言いながら、彼女にドラッグを渡そうとするヤンキーもいた。こうしたハードロック系クラブで、ナンパ目当てに朝まで騒いでいるパーティピーポーを柊山は初めて見た。高校中退後、ずっとヤクザの下積みで働いていたので、かえって若者らしい遊びを経験する機会がなかった。イースト&ウェストは道玄坂から円山町にかけて広がるラブホテル街のど真ん中にあったが、柊山はホテルに行こうとは言い出さなかった。

 「さすがに疲れたね。どっかで休もうよ」彼女のほうからホテルに移動しようとほのめかしたが、柊山は大音響に共振している座り心地の悪いソファから動かなかった。

 「こんなこといまさらだけど、母子家庭だったのか」

 「え、何?」

 「俺も母子家庭だったんだよ」柊山は大声で繰り返した。

 「そうなんだ。中学生の時に父は海で死んだの。サーファーだったのよ」

 「美男美女のご両親だったんだろうな。でなきゃ、こんな美人が生まれない」

 「上手だね。実はね、結婚してなかったの。母は愛人だったのよ」

 「オヤジの顔を知ってるなら、愛人の子だっていいじゃないか。俺は知らないんだ」柊山は自分と引き比べながら言った。

 「お母さんはお母さん、私には関係ないことよね」

 「苦労したのか」

 「わかんないけど、父が死んだ時、私の分だっていって、いくらかお金がもらえたの。花崎さんと同じで、父はお金持ちだったみたいね。それで家を買ったんだけど壊れちゃった」

 「じゃ、俺よかずっとましだ」

 「え? なんで?」

 「俺のオヤジは愛人がいっぱいいたみたいだけど、どこに子どもがいるのかも知らない。関心がないんだ」

 「それはダメだね、男として最低。あ、ごめん」

 「そのとおりだからいいよ」

 「大学は通ってんのか」

 「いちおうね。ほとんど行かないけど、行かなくても案外卒業できちゃうみたい」

 「そんなことねえだろ」

 「お母さんが決めた大学だから、行かないといけないかなと思って入ったんだけどさ」

 「そりゃ、行くべきだ」

 「私が死んで、お母さんが助かればよかった」

 「それはないだろう。娘より自分が助かりたい親がいるか」

 「私忘れられない。早く逃げようっていったのに、4階なら大丈夫だから津波を見たいっていう男子がいて5人で残ったの。突然水の壁が校舎を飲み込んで、水圧で窓が割れて…あとはなにも覚えてない。私、たぶん一度死んでたのよね。ただ夢を見た覚えがあるの。結婚式の日の夢なのよ。こんな話恥ずかしくて社長にもしたことないんだけど、夢の中で初夜を迎えた瞬間、子宮が熱くなったのを感じたのよ。それで赤ちゃんを宿したんだってわかったの。そんな経験したことないのにはっきりと感じたの」

 「なんでそれ、俺に言うんだ」

 「わかんない。言いたくなったの」

 「今ならもう子宮が熱くなる理由がわかるよな」

 「ばか、わかんないよ。そんなことしてないもん」

 新納が仮死状態の彼女を凌辱していたとき、そんな夢を見ていたのかと思った。真相は知らないほうがいい。新納がおぞましい欲情を持たなければ、確かに彼女は蘇生しなかったかもしれないのだから、ほんとうの命の恩人は新納に違いないかもしれない。恩を着せるには理由があるのだ。残酷な真相を知るより、美しい嘘を信じているほうが幸せだ。

 「モデルになりたいって実は違うんだ。母の夢だったの。私、なんでもみんな母の夢を借りてるの。自分の夢ってなかったから」

 「そんなことねえだろ」

 「ほんとは弁護士になりたかったの。そのために法学部を選んだんだけど、法律の勉強って、やっぱり向いてない気がする。自分で選んだことって、いつも中途半端で終わっちゃう。だから、私のことわかってる人に決めてもらった方がいいんだよね。アリー・マクビールって知ってる」

 「いや」

 「アリー・マイラブ(FOX、1997年~2002年)ってアメリカのドラマの主人公の弁護士よ。その中に、こんな神父様の言葉があるの。「ほかの人にどれ程の苦しみを与えられるかで人の真価は決まる(シーズン1エピソード4)」

 「どういう意味なんだ」

 「父は死んで母を苦しめた。私って苦労の種を残してね。だけど、苦しみが大きいほど、それが母にとっては父の価値だったって思うの」

 「人を苦労させるのが価値か」

 「そうよ」

 「絶対そんなことはねえよ。苦労をかけたなら責任は取ってもらう。それが俺の考えだ」

 「花崎さんは、誰かに苦しめられたことあるの」

 「ああ、そうだな。自分はともかく死んだオヤジにお袋は苦しめられた」

 「今はどうなの」

 「今はそうだな、なんもかもウソっぽくて、自分がねえから苦しいのかどうかもわかんねえ」

 「花崎さんが一番苦しめている人はだれ」

 「そんなのいるかなあ」柊山は一番身近にいて、一番大きなウソをついている麻美を思い浮かべた。「なんか、難しくなった。また、踊ろうか」

 「いいよ、それで気が晴れるならかまわないよ。今日はすっごく幸せ。何をやってても嬉しいの。震災の後、今日が一番幸せな日なの。社長におんぶしてもらって助けてもらったの以外で一番いい日」

 「社長のおんぶが一番でよかったよ」

 2人は朝5時まで踊り続けた。

 明け方に閉店になったイースト&ウェストを出た柊山は、八王子までのタクシー代だと言って紫央香にムリやり5万円渡してフェイクデートを終えた。金を渡している自分が恥ずかしかった。普通のカップルなら、こんなことしないから。主を失ったような渋谷の朝はどこか寂しげだった。もう彼女とは会うまいという思いと、また会いたいという思いが半ばして、やりきれない気分だった。新納に騙されたのかもしれないが、それはかまわない。自分だってみんなを騙しているのだ。偽物の社長だし、紫央香を買った金も自分の金じゃないし、花崎ですらないんだから、誰にも合わせる顔なんてないんだ。花崎祐介は死んでもなお幽霊としてやりたいことをやっている。柊山成也は生きているのに、いなくなったことを気にする人すらいない。ほんのちょっとした生まれの違いで、人生はこんなにも不公平だ。俺のほんとうの人生なんて、生きる意味がないくらい空っぽだったんだと思った。

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