毒舌美人教師と始める落ちこぼれのための西洋哲学
久里
第1話 人生最大のピンチ
せせらぎ高等学園内でも有名な落ちこぼれして名を馳せている俺、
「ソフィスト……相対主義……プロタゴラス……ソクラテス」
他でもない大嫌いな勉強をするために一人ひそかに地元のカフェにやってきて、倫理の教科書と参考書を前に怪しく独り言を漏らしては、周りの利用者から白い目で見られるくらいには。
やばい、やばい、やばすぎる……!
次の中間テストで、またもし赤点を取ってしまったら……ああ、考えるだけで心臓が痛くなる。命の次くらいに大事といっても過言ではないあいつと離れ離れになってしうまうなんて、考えたくもない。
こんなにも追い詰められているというのに、いくら教科書を睨んでいても、さっぱり内容が頭に入ってこない。
他の教科も中々に絶望的な状況だけれども、高校二年生になって始まった倫理という教科。これは、俺にとって新たな脅威の出現だった。
だって、倫理って、わけの分からない抽象的な言葉と説明のオンパレードだ。
何が言いたいのか、さっぱり分からねえ……。
大体、何千年も昔の人が考えてたことなんて、知ったところで何の役にもたたねーよ!
清々しく開き直った途端、学年があがって新たに始まった倫理の授業もまた、心地の良い睡眠時間の一環となってしまった。
そんな悠長なことをしていられる場合ではないにも関わらず。
「はあ……」
ちんぷんかんぷんな単語の立ち並ぶ教科書を前に、一人虚しくため息を吐く。
こんな俺でも、中学時代までは一応、勉強のできる部類に入れていたのだ。
それどころか、ちょっと勉強しただけでこんなに良い点数がとれちゃう自分はもしかしたら天才なのかもしれないと、思いあがってすらいた。
だけど、高校に入った途端に、驚く程、勉強についていけなくなった。
中学までは付け焼刃の適当な一夜漬けでなんとかテストを乗り切ってきたけれど、高校に入学した途端、その手が全く通用しなくなったのだ。
高校に入学してから初めての中間テストで、俺は自分の身の程を死ぬほど思い知らされた。
中学までと
返却された答案用紙の数々には、眩暈がするほどにおびただしい×印が付いていた。そもそも、空欄ばかりのスッカスカな答案を提出してしまったのだから、当たり前の話なのだけど。
『自分は天才だなんて思いあがるから、罰が当たったのだ! 現実を見よ! お前は天才どころか、手のつけようもないほどの大馬鹿者だ!』
ほぼ全ての教科が赤点スレスレを彷徨っている酷い答案用紙は、けらけらと俺のことを嘲笑っていた。
俺は入学したての春にして早々に、クラスメイトと教師たちから落ちこぼれの烙印を押されたのだ。
でも、当時の若くてまだ純粋だった俺は、その時こう思ったのだ。
『次の期末テストではなんとかもう少し良い点数を取って、挽回しなきゃ』
こんなんでも一応、愚かな自分を認めて素直に勉強に向かおうとはしたのだ。
しかし、そこでまた、厳しい現実にぶちあった。
なまじ今まで適当な一夜漬けでそこそこの成績をおさめてしまっていただけに、勉強の仕方も勉強をする心構えも何も身についていなかったのだ。
勉強しようにも、そもそも三十分と勉強机にむかっていられない。
気づいたらスマートフォンを弄んでSNSをのぞいたり、動画を見たりしている自分に気づいて、また愕然とした。
結局、次の期末テストも試験一日前になって追い詰められるまで、全く勉強身に入らなかった。
その試験結果は、言うまでもない。
もちろん前回のテスト同様、華麗に赤々しく散った。
しかし、慣れとは全く恐ろしいもので、俺の心はもはや赤点すれすれの酷い試験結果を見ても、衝撃を受けることもなければ、動揺することもなかった。
まぁ、こんなものか。
この一言で、親が見たら阿鼻叫喚するような惨状すらも、あっさりと受け流してしまったのだ。
そこからは、悟りを開いたかのように清々しく開き直った。
勉強なんてできなくても、なんにも困んない。
だから、できるようになる必要なんてない。
人生は勉強する暇なんてないくらいに、楽しいことで充ち溢れているのだから。
高校に入って早々に勉強を諦めた俺は、代わりに高校入学祝いに親から買ってもらったベースギターをかき鳴らすことに、死ぬほど熱中した。
迷うことなく軽音部に入部したけれども、そこがまた大正解だった。
気の置けない部活仲間と楽しく馬鹿騒ぎしながらセッションして、年に数回あるライブのために懸命に練習する。ベースを弾くことも、軽音部に行ってみんなと演奏することもすっごく楽しくて、毎日が生き生きと輝いていた。
親は、俺が高校に入ってからも、そこそこ優秀な成績を収めているのだと信じて疑っていなかったから俺がいくらベースに熱中していても何も言わなかった。
中学時代までの確かな実績があったからこそ、高校でもそこそこな成績をおさめているという俺の嘘っぱちを信じ切って、証拠を見せてみろというようなやぼなことも聞いてこなかったのだ。
正直、母さんと父さんを騙しているも同然で少し心苦しかったけれども、最初に嘘をついてしまったからこそ余計に本当のことを言い出せなくなって、後にひけなくなってしまっていた。
しかし、高校一年生の最後の期末テストの時、ひょんなことから母さんはこの残酷な真実を知ってしまった。
その日は先輩たちの卒業ライブだったこともあって感極まっていた俺は、普段ならば絶対に犯さない致命的なミスをしてしまった。
帰宅する前に、赤点スレスレの答案用紙を処分するという大事な任務をすっかり忘れてしまっていたのだ。酷すぎる試験結果のつまりまくつた通学カバンを置きっぱなしにしたまま、制服から私服に着替えた俺はその日、もう一度家を飛び出した。
そこから先の展開は……まぁ、だいたい予想がつく通りだ。
帰宅した時に俺を待ち受けていたものは……鬼神化した母さんだった。
『晴人。ちょっとこっちに来なさい』
『ナ、ナニ……?』
『これは……なに、かしら?』
目の前に広げられた無残な赤点スレスレの答案の数々は、あまりにも心臓に悪いものだった。
その時の母さんは、マジで怖かった。
ニコニコしているのに、目はどう見ても笑っていなかった。
『エ、エエト……』
『晴人。母さんね、本気で怒ってる』
『ご、ごめん、なさい……』
『決意したわ。次のテストでもし同じように酷い点数ばかり取ったら、あんたのベース、売り捌くから』
へっ……?
ベースを、売り捌く!?!?
突然、頬をひっぱたかれて、冷や水を浴びせかけられたくらいに衝撃的だった。
『え、えええええ?!? ちょ、ちょっと待ってよ母さん! 俺が成績不振になったのに、ベースは関係ないんだ! だから、だから、それだけはどうかご勘弁を……!』
『今まで嘘を吐いてたあんたが悪いのよ』
氷柱のように冷たくぴしゃりと言い放った後の母さんは取りつく島もなかった。
かくして俺は、死ぬほど絶望的な状況に追いやられた。
もし次のテストでも赤点を取ったら、命の次に大事で、もはや腕の一部になりかけているといっても過言ではないベースと今生の別れを果たさなければならなくなる……悪夢だ。こんなの酷すぎる。
しかし、全て自業自得なので、反論なんてできるわけもなかった。
絶望から始まった高校二年の春。
俺は今、次のテストでなんとか赤点を回避するためにも地元のカフェで教科書とにらみ合いっこする日々を送っている。
日々、ベースを失うかもしれない恐怖におびえながら、びくびくと毎日を過ごしていたある日のこと。
勉強をしにやってきた地元のカフェで、ある休日に、ものすごく意外な人物に遭遇した。
美人、色っぽい、可愛い。
最強の三拍子をほしいままにしている田上先生は、俺の学校の倫理の教師だ。
残念なことに、田上先生は俺のクラスの倫理の授業は受け持っていないから、俺は学校で先生の授業を受けたことはない。
完璧な美貌に天使のような優しい性格を併せ持った先生は、男女問わず学校中からの憧れの的で、どこか遠い人だった。
だから、まさかこんな地元のカフェで、ばったりそんな人に遭遇する日がくるだなんて、夢にも思っていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます