第16節「宇宙忍者怪獣と真実の雪」

 四人。今では焔も入れて五人の共通見解というわけではないのだが、灯理は、気がついた時は、復興部の部室のドアは半分だけ開けておくことにしている。


 この中にだけ閉じこもってしまわないように。また、外からも入ってきやすいように。


 その日の午後、灯理、悠未、祈という年長組が集まっていた復興部の、この半分だけ開いたドアを、ノックする者がいた。


「き、来ちゃいました」


 ドアの向こうに半分だけ見えた顔は灯理が記憶していたものだったので、灯理はドアを開けてこの来訪者を中に通した。


「どうぞ、どうぞ」


 先日、駅で声をかけられた、焔の描いた漫画のヒロインと似ている女性である。


「アカリの知り合い?」


 パソコン机の前に座っていた祈が振り返る。


「この前駅でちょっと。ここのこと、教えておいたの」


 その場で直立したままの、緊張した面持ちの女性に対して。


「“復活フッカツ”依頼でしょうか? 色々と、承っておりますよ」


 悠未が、代表者として慇懃いんぎんに申し出た。


「あの、そういうのではないのですが」


 女性は、身体がこわばっている。


 普段は殺気が表に出ないように隠している悠未だけれど、敏感な人間、特に女子の中には、それでもポロっとはみ出してしまっている彼の闘気のようなものに警戒感を抱いてしまう。そんなことがあることに灯理は気づいていた。


「わ、私、結婚するんです」


 女性はオドオドとしていて、言葉もちょっとしどろもどろな感じ。


「おめでとう、ということでイイんですか?」

「あの、でも、本当に結婚するわけではなくて。あう。私、バカだから、上手く説明できない……」


 悠未の方は悠未の方で、気を抜くと自分自身が威圧的な存在に映ることを自覚していた。続く言葉は、そんな彼なりにあみだした処世の方法である。


「分かりました。では、コツメカワウソのモノマネをしましょう」

「は、はあ」

「ふぉっふぉっふぉっふぉっ」


 悠未はそう言って胸から肩にかけて上下させ、両手でハサミを作ってチョキチョキとした。


「コツメカワウソじゃないじゃん!」


 祈が一応、突っ込みを入れてくれる。


「ユーちゃん。ネタが古かったんじゃない?」

「いえ、分かります!」


 幸いなことに、女性はコクコクと頷いてくれた。


「アレですよね、アレ」


 そう言って、この国では有名な宇宙忍者怪獣の名称をあげてくれた。


 悠未は陽気なお兄さんを演じてニっと笑うと。


「良かった。では、お話をお聞きしましょう。俺のことはハサミとか持ってる遠い星から来た何か、くらいに思ってください」


 ///


 ソファに着席して、灯理が入れた紅茶を一口すすると、女性は身の上話を始めた。


「焔の姉の、久美くみ真雪マユキと申します」


 真雪が語った現在までの状況を要約すると、震災後しばらくの間は真雪本人はバイトをしながら焔と一緒に「みなし仮設」で暮らし、その後は焔を置いて仮設を出て、現在はS市では有名な歓楽街でホステスとして働いているという。毎月、焔に仕送りを送りながら。


「ふぉっふぉっふぉっふぉっ」

「ユーちゃん、それはもうイイよ」

「『準結婚』と、彼はそう呼んでます。彼には、何人もそういう女の人がいるんです」

「一応、日本では一夫多妻制は認められてないんですが」

「ユーちゃん!」

「ま、取り繕ってもしょうがないよねぇ。愛人契約ってことでしょ」


 祈が妙にサバサバとした口調で口を挟んだ。


 真雪は頷くと。


「でも、条件はイイです。焔を、大学まで出してやれるくらいです」

「真雪さん本人の気持ちは。その、納得されてるのですか?」

「分からないんです。彼は悪人ではないんです。むしろ、震災後特に、この街のためになることをしている人です」


 獅子堂ししどうヒカル


 真雪が口にした名前を聴いて、祈は眉を動かした。武道館で対峙した、「御曹司おんぞうし」の本名であった。


「結婚は、本当に好きな人とした方がいいですよ」


 灯理は絶対的に何か正しいことがあるとかではなく、自分の感覚としてはそういうものだといった趣で口にしたのだけれど。


「それは感情論。お金がないんじゃ、どうしようもないこともあるよ」


 祈は、何か苛立っているようだった。


「結婚って、感情でするものでしょ。イノッチ、自分がそういうドロドロしたのいっぱい観てきたからって、シニカル過ぎ」

「あいつの家、中々の金持ちで、これまでの人生上けっこうそういうお金に女にな修羅場に巻き込まれてきたりでして」


 悠未が解説を加える。


「今月末に、指輪を渡すと言われています。たぶん私は、受け入れるんだと思います。焔は今更私のことなど気にしないとも思ったのですが、本当の結婚じゃなくても指輪というのは何か重くて、一言焔に伝えておかなくてはと思って。伝言をお願いに来た次第です」

「直接会って伝えられては?」

「私にはもう、その資格はありません。お姉ちゃんは大丈夫だからって、そう伝えておいてだけ頂ければ」


 真雪は伏し目がちに、テーブルの上の紙の束に視線を落とすと。


「焔の絵だ。良かった」


 焔が描いたキャラデザの少女絵を、愛しいものであるように見つめた。


「この絵、写真撮っていってもいいですか?」

「無論です」


 真雪はスマートフォンで焔が描いた二次元の少女を撮影すると、撮れた画像を確認して、しばし瞳を瞑った。


「焔には、自分の信じる道を行くように、伝えてください」


 その言葉は、どこか自分自身に言い聞かせているようで。


 真雪は毅然としていたけれど、灯理は透徹に、そしてある種やるせない気持ちを伴いながら、その奥にある「本当の」真雪の魂の形を見ていた。


 一つ。焔が真雪を何とも思っていないわけはなかった。


 絵の道を一度志した者ということもあり、分かる。焔が描いた少女のキャラクターは真雪に似ている。


 無意識にそんな符号が起こるなんて、焔の魂の大事な部分に真雪が居続けているに決まっている。


 二つ。経験上、「大丈夫」と言っている人は全然「大丈夫じゃない」。


 自分自身が傷を負いながら、他人の傷の心配をしている人達に、復興部として、街アカリとして、あの日から今までの間にどれだけ出会ってきたか。


 そうゆうのは尊いあり方かもしれないけれど、それだけでは世界は救えない。それだけでは、いつまでも「日常」は戻ってこない。


 真雪を裁く代わりに、灯理は自分自身を裁いた。


 この湧き上がり始めた、この瞳に映ってしまった綻びを、縫合ほうごうしたい。


 絡まった糸を、ほぐしたい。


 そんな傲慢な感情に付き合わせて、また自分の大事な人達にやっかいをかけることになるかもしれない。


 これまた復興部として、「街アカリ」として、これまでの間に、何度もあった出来事だったからだ。


 灯理は右手の人差し指でそっと、黒い手袋に隠れた、自分の左手ききての薬指をなぞった。

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