その十

 唐突に、明かりがひとつ灯った。闇の中にふわり、と浮かぶのは火の玉……ではない。


『ゴヨウダ!』

「ひゅっ!?」

「え?」


 少し高めの、子供のような声。男がたじろいだせいか、辰馬の首筋から管先が離れる。そこへ、すうと明かりが近寄ってきた。


『ハナレロ!』


 べし、と男の顔面にぶつかったのはお化け提灯だった。ただし、御用の二文字が黒々と書きつけられた。

 御用提灯にもお化け提灯がいるのだと、この時辰馬は初めて知った。


「っと、邪魔だ、どけ!」

「ひゅおっ!」


 それはともかく、お化け提灯の体当たりで男が怯んだことで、辰馬は身体を起こすことができた。そのまま男の顔に拳を一発くれてやり、自分の上からどけさせる。

 男と辰馬の距離が開いたところに、お化け提灯がふわふわと戻ってくる。辰馬の前に浮かび、彼の様子を伺うように声をかけてきた。


『タツマサマ、ダイジョウブデスカ?』

「ありがとう、助かったぜ……あれ、お前」


 目の前に、ぷかりと浮かんだ御用提灯。しかし、気のせいかもしれないが辰馬にはどことなく見覚えと、そして聞き覚えがあった。

 御用の文字ではなく、かさね屋の屋号が書かれた提灯だったはずだが、妖ならば。


「もしかして、この前の?」

『アイ。オタスケニ、アガリマシタ』


 尋ねてみると、提灯は頷くように全身を動かして答えた。

 やはり、お加奈と共に遅く帰った際に同行してくれた提灯そのもの、らしい。

 あっけにとられている辰馬、そして男の周りにぽう、ぽうぽうと次々に明かりが灯っていく。それらは全て、今辰馬を助けてくれたものと同じ、御用提灯たちだった。


『チスイアヤカシ、ゴヨウダ!』

『ゴヨウダ、シンミョウニシロ!』

「な、なななな……」


 十を超えるその提灯たちに取り囲まれ、男は口を人のものに戻しながら呆れたように目を丸くした。辰馬もすぐそばにいる提灯と、自分たちを囲むそれらを見比べながら何も言えないでいる。


「あー。悪い、囮にさせちまったな、兄さん」


 明かりの輪の一か所が途切れ、そこからすっと入り込んでくる者があった。男は知らぬ顔だろうが、辰馬には見覚えがある。

 同心の村井千次郎、だ。


「村井さん、だったっけか」

「大介から聞いたのか。先に言っとけよな、お前」

「悪うございましたね、旦那」


 辰馬に名を呼ばれ、村井は苦笑しながらちらりとその背後に視線を向ける。え、と振り返った辰馬の視界には、頬をかきながら御用提灯の間から入り込んでくる大介の姿があった。


「大丈夫か? 辰馬坊。吸われちゃいねえよな」

「なんとか……軽く刺されましたけど」

「ん。大丈夫だとは思うが、あとで診てもらおう」


 問われて、刺された部分に手をやる辰馬。その場所を軽く確認してから大介は、にいと歯をむき出しながら言葉を続けた。


「いいですよね、姐さん」

「当たり前だろう。あたしたちがやらなきゃいけなかったんだよ、ほんとなら」

「かずら?」


 この声も、辰馬には聞き覚えがある。ただ、いつも聞いている彼女の声とは違って冷たく、厳しいものだけれど。


「巻き込みたくはなかったんだけどね。ごめんよ、辰馬坊」


 くるくると周囲を御用提灯たちに取り巻かれ、身動きの取れない男を睨みつけるようにしてかずらが姿を現した。普段よりも目元がつややかで、そうして身につけている着物が白いせいか闇夜にくっきりと浮かんで見える。


「いや、これは俺が勝手にやったことだし……でも、何で」

「こいつは、人の血じゃないと満足しないらしいんだよ。だから、たとえ人の姿をしていても妖だと、出てこない」


 一度唾を飲み込んでから辰馬が発した疑問に、かずらは冷静な声のまま答える。一瞬だけちらりと男に向けた視線のせいか、辰馬を襲った彼がひっ、と小さな悲鳴を上げた。


「こいつを引っ張り出すには、囮になってくれる人が必要だった」

「妖だと出てこなくて、人が必要……え」


 かずらの告げた答えは、今辰馬を助けに来てくれた彼らの正体を告げるものでもあった。それは、つまり。


「お、お前さんたち、何者だい? 俺の食事を邪魔しようなんて」


 やっとのことで男が上げた声に、御用提灯たちも含めて全員の視線がそこに集中する。その中で大介が、「さっき、お前さんが言ったじゃねえか」と肩をすくめて答えてみせた。その耳の先端が尖り、牙が僅かに伸びているのが分かる。


「化け同心、大介」

「同じく化け同心、村井千次郎」


 続けて村井が名乗った。姿形はそのままだけれど、腰から抜き放った刀が夜の中で薄ぼんやりと青白い炎をまとっているのが分かる。


「同じく化け同心、かずら」


 彼女が名乗ると同時にばさり、と黒髪が解かれる。長くつややかなその髪の中から見える目が、狐の面のように細められた。

 耳の先が尖り、着物の帯が解けるようにふわふわの長い尾になり。


「お役目によりその方、成敗いたす」


 凛とした声で、彼らは言い放った。

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