第10話 紬物語

50歳前後の叔母さんとの出会いは突然で、薫さんから披露宴の司会を頼まれた次の日だった。市内のメインストリートを歩いていると、前を歩いている女性が突然、前かがみになり倒れた。

「どうしました」

「立ちくらみがしたっチー。暫くすると元気になるチー」

少し待ったが気分が良くなる様子は無い。

「タクシー呼んで来てくれんかね」

この声を受けて、通りに出てタクシーを商店街の横に待たせ、この叔母さんを案内した。

タクシーは平田町を過ぎたところで停まって、私が叔母さんの肩を取って、路地を進んだ。そこに叔母さんの家があった。家には誰もおらず玄関に施錠はされていなかった。これは奄美の常で夜でも施錠しない家が多い。


暫くすると元気を取り戻した叔母さんは、私にお茶を出し、ゆっくり話し始めた。話し好きな婦人だ。私が大阪から来たと言うと、息子と娘が其の近辺に住んでいて子供が8人いることを告げて、自分は大島紬の発祥地である龍郷の出身で、龍郷柄の名手であり技能継承者であると告げた。夫は市役所の職員と言った


叔母さんは55歳だった。島北部の大島郡龍郷町で生まれ、父親を肺炎で8歳の時に亡くし、更に2歳下の弟を太平洋戦争で亡くした。母親1人に育てられ紬を中心に、道路工事、農作業等をこなし20歳で同郷の5歳年上の男と結婚した。

戦前は、主人について台湾に渡り5人の子供を成し、終戦直前に定期航路で台湾の基隆(キールン)→石垣島→門司経由で帰国し、そこから九州を縦断し鹿児島市内の親戚を頼り、島伝いに奄美大島に帰還した。約1ヶ月を要したが8歳を頭とする幼子5人を1人も失うくことなく島に連れて帰って来た事が自慢だ。

台湾時代は奄美と異なり優雅な生活が出来たとのことだ。台湾は文化程度も高く電話、水洗トイレ、電車、・・・・等があり更に夫が憲兵隊員だった関係もあり、お手伝いの人も付いて優雅な生活をエンジョイ出来たと言う。

対日感情は大変良かったと言う。今でも台湾時代に親交が有った人と親しく付き合いをしていると言って交換した手紙の束を見せてくれた。

奄美大島に帰島後、夫も暫くして帰り警察官、教師、市役所職員と渡り歩いたと言う。


叔母さんによれば夫は、自分がまともな教育を受けずに、独学だったため苦労した事もあって、子供の教育には特に熱心で、地元で一番の名門高校を卒業させ、本土に送り出した。子供さん達は当初、本土での知己が無いために能力が有りながら、中々報われない時代が続き、苦労されたようだが、やがて努力が報われる時が来て30歳を過ぎる頃から能力に見合った仕事と処遇を受けることになった。

今は企業の中堅として頑張っており、立派に本土に基礎を築いたとの事だった。


話を伺うと素晴らしい家族だと思うが、やや時間が経過し親しくなるにつれてぽつぽつと話される所によれば、悩みは有るようだ。

 熱いお茶を飲みながら、

「長男との折り合いが悪くてね」

「そうですか僭越ですが、どんな事ですか」

叔母さんに聞くと、初対面にも関らず、

「最近、電話も無く、家族をまとめなくなったんだ。今までは兄に言えば本土の事はまとめてくれたんだが、最近其れをしなくなって。一族の集まりにも出てこなくなったんだ」

「何か理由でも有るんですか」

「わしが思うには、どうも会社の調子が悪いのと、嫁がある新興宗教の信者だった事がわかって、それからおかしくなったんだ」

「それは世間に良くある嫁姑問題じゃないんですか?宗教は関係ないと思うんですが」

私が、言うが早いが即座に反撃された。

「あの宗教は駄目。うちの家には合わない」

それを受け付けない。

「その証拠にうちの家が、おかしくなってしまった」

強い意志で言い切った。

「そうですか。難しいですね」

「うちは平凡な平均的なものが良いんだ。知っていれば結婚なんてさせなかった」

嫁は同郷の親戚の娘とかで残念という思いが強い。

「お孫さんもおられるんで、仲良くされたら如何ですか」

話題を変えたが、

「孫は可愛いが、嫁のことが有るんで、他の孫とは一線を引いてしまうんチー。嫁に何もいえぬ息子も駄目だわ」

「男の人は奥さんに弱い。みんなそうなんじゃないですか。他の家庭を見ててもそう思いますよ」

「うちの兄は違うんだ。あれは勉強も良く出来て模範的な子供で、同級生の人気もあって期待されていたんだ。そこいらの子供とは違うんだ」

自信満々だ。

つぎから次に出してくる成績書や床の間に飾られている賞状などを見ても其れを裏付ける。出来る子供を持った親の悩みかと思うが、それだけ期待が大きかったので裏切られたと言う思いが強い様に思われた。

「でも結婚当初は仲が良かったんでしょう」

気持ちを和らげようと話を振ると、

「そーね、お互い我慢していたんだ。何かの拍子にそのバランスが崩れてこの状況だ」

「・・・・」

「難しいは・・」


暫く愚痴を交えた雑談をしていると電話が掛かった。

「それで・・・・・なに・・・どうしたの・・・本当チー」

こんな会話が断片的に聞こえ、

「なんて事すんの。お前は」

やや大きな声がして暫くして切れた。

帰って来て、

「一番下の男だ。これも問題児でね、女房と喧嘩して殴ったそうだ」

私が何も言わないので一息入れて、

「ここも女との折り合いが悪いんだが、ここは息子が完全に悪くて、能力無いのに自信過剰で焦ってるんだ。もっと足元を見て着実にやればいんだが、エエ格好したがる癖があるんチ」

こちらは先ほどとは違って冷静な判断をした。


ここで追加のお茶とお菓子を出してくれて一息入れたが、また電話が入った。

「もしもし大島です。なんだあんたかい。いま旦那からも電話があったっチ、すまんことしたネ。怒っといたから」

此処までは元気が良かったが、此処から小声になって聞き役に回った。

「ふーん、ふーん、そうかい。ほんとうかい、すまんね。もう少し辛抱してくれ、私が教育するんで、いま少し辛抱してくれんかい」

概ね、このような遣り取りがあり切れた。

疲れたのかテーブルに着くなり大きく息をして喋り出した。

「息子の嫁からだよ。離婚したいと。これで3回目だから苦労掛けるよ、孫が可愛いそうで不憫だ。放蕩して家も手放して、いまは単身赴任で別居同然だよ。気ままで根気がないから」

と愚痴った。


ここまで、今日始めて逢って少し世話をしただけの人間に言うかと思うほどに、開放的であっけらかんとしている。そして屈託が無く、言いたいことを言って素早く頭を切り替えている。これが此れまで苦労してきた人間の世渡り術かも知れない。


此処まで約3時間。

「また遊びにおいでよ」

帰り際に一族全員で3年前に写した写真を見せてくれた。指で数えるが子供8人に孫13人、既婚者の奥さんが5名、旦那が3名で総員31名だ。

「最近は集まりが少なくなって寂しい限りさ」

玄関まで送ってくれて再度、

「また遊びにおいで、夜ならおやじもいるから」

笑顔で送ってくれた。

「わしゃーこれからまた紬だ」

玄関で言いながら奥に入って行った。

もうすっかり元気を回復していた。


帰り道、名瀬名画館で東映の菅原文太主演の仁義なき戦いを見た。映画に影響されて、口笛を吹きながら商店街を肩をゆすって歩いて帰り、店には顔を出さずに裏口から3階に上がり静かに寝床についた。

 

翌日、沖縄方面に台風が接近していた。奄美は良い天気だったが船は、運行中止になった。昼頃になってママが、

「何処か退屈させ無い所に連れていってくれない」

それに答えて、玲子と二人で男3名、女5名の2つのグループを案内した。

港の立神を見て、商店街に入って裏町を案内し、拝み山に登り市内を遠望する。セントラル楽器で島唄を聞き、この流れで島唄をライブでやっている喫茶店に入り島唄に馴染んだがまだ少し時間があった。

女性陣の発案で大島紬を見学することになった。実際に地元の人が織っている所を見せる方が良いと思い、昨日知り合った大島さんの所に案内する事になった。

電話すると今から来ても良いと言われ、5時に訪問する事になった。歩いて、古田町、名瀬小学校前を過ぎて平田町に向かい定刻に着いた。


糸取りから織りまでの工程を大島さんから簡単に説明してもらって、私が染織について解説して権威付けをした。

「古代染色の技法を奄美では車輪梅染として今日に伝えたもので、・・・・・・・・・いわば大島紬の染色技術は古代染色の技法を・・・今日に伝える唯一の国宝的な文化財です」

これを聞いて、玲子初め全員が私の説明に感心したような顔をしていたが、玲子が、

「何かあったのそんなに勉強家とは知らなかった。でも何か怪しいな」

周りの人を見た。

ここで紬叔母さんである、大島さんが実際に織っているところを見せてもらった。

「織ってから柄を合わせるんが大事チー、爪であわせるから爪が伸びないチー」

皆に爪を見せたが、たしかに爪は伸びていなかった。


30分ほど経過した時にご主人が帰って来て、挨拶し、大島紬に着替え床の間に座った。

話を聞いて帰ろうとすると、主人が、

「まー此処に来て座りませんか」

招かれて座ると、

「何か飲み物でも持ってこいよ」

奥さん、すなわち町子さんに言った。ビールとコップを持って来て全員に配った。主人の音頭で乾杯した。

 御父さんは、ビールは1杯だけで、直ぐに黒糖焼酎になった。


御父さんは変った黒糖焼酎の飲み方をする。即ち、牛乳に焼酎を入れて飲むのだ。割合は50、50と言う程度だ。理由を聞くと、

「ぼくが鹿児島の福祉関係の研修会に行った時、牛乳は体に良いと聞き、体に良い焼酎と牛乳を合わせて飲んだら、更に体に良いのではと思って始めたんだ」

御父さんから説明があった。私も試したが、好き好きと言う感想だったが、さすがに玲子は卒無くて、

「これって最高です」

飲み干して持ち上げた。


床の間に貼り絵が飾ってあるのを目ざとく見つけた玲子は、

「この絵は」

「僕が、福祉をする様になって初めての仕事が、山下清さんをこの島に呼んで貼り絵教室をすることでね。これまでいろんな仕事をして来て、人に言えないこともあったんだよ。終戦直後は密航船の取締もしたんだ。それは当時、奄美にとっては宝船で生活の糧を運んだ。これがないと餓死者が多数出たと思うよ。でも、職務上それを取り締まったんだ。でも適当にね。幹部には怒られたが」

一気に喋り少し時間を取って、

「それに比べたら福祉の仕事は嬉しかった。そこで、この絵を購入して日々この絵をみて、その時、思った初心が変っていないことを確認しているんだ」

この言葉を受けて仲間の1人が、

「言えないことって密航船取り締まりのことだけですか」

それには応えず、誰かが、

「おじさんお酒は強いんですか」

「僕は弱いね。家で酒を飲み始めたのは50歳になってからで、それまでは飲まなかった。と言うより飲む金がなかったんだ。子供が8人いてお金が掛かってね、十分な教育もさせてあげられなかったんだ」

しんみり言った。


各々が酔いに任せて好き勝手に喋った。皆、大学生で与論島からの帰りで、この島に2~3日間留まる予定との事だ。全員屈託無く快活で良い人ばかりだった。

玲子もそつなくこなし、末席でホステス役をしていた。


「叔父さん、それでも皆さん島一番の高校を卒業させて、本土で活躍されているじゃありませんか」

私が投げかけると、

「もう少し余裕があれば、本土の大学にも行かせることも出来たんだ。それが一番の・・・心残りだ」

今でも気になるのか、

「それで本土に出ても苦労したんだ。金さえあれば国立は無理でも、大学に行ける力はあったんだ。一番上の兄は東京で2年間浪人して国立大学を目指し、長女が同居して支援したんだが無理だった。本当に苦労を掛けた」

残念そうに言った。


話題を変えようと、

「おじさんあの亀は」

私が聞くと、

「ここでは海亀は長生きの象徴で、本土でも鶴は千年、亀は万年と言うだろう、そして海から幸せを運んでくるんだ」

したり顔で明るい声で答えた。酔いが回ってくると床の間にあった三(蛇)味線を取り出した。


大島さんは多くの若者に囲まれて上機嫌で、三味線で島唄を歌い出した。昔、先生だったなごりか全員を相手に大島の歴史を語り、島唄を歌った。

そして新民謡について説明した。

「奄美の新民謡は、殆どが"ヤマトグチ"で作られているんです。"ヤマトグチ"とは、標準語です。奄美の唄は、シマグチの島唄と新民謡の"ヤマトグチ"が両極に対峙し、その度ごとにスイッチが入れ替わります。いわば二重言語制なんです。律儀にも二つの言語を使い分けているのが、奄美文化の特質だといえるのです」

公務員らしくそつなく説明された。


暫くすると島唄を唄いだし、ここでも癖がでて皆に教えだした。

聞けばそれは“行きゅんにゃ加那節”と言う愛しい人との別れを歌った唄で、

「この加那とは、恋人にも親しい肉親にもどちらにでも解釈でき。この歌は奄美民謡の代表曲と言っていいと思います」

と解説し唄い出した。

               

最初に、叔父さんが一番づつ歌いそれに意味を着けて行く。即ち、


「行(い)きゅんにゃ加那(かな)

吾(わ)きゃ事忘(くとわす)れて

行きゅんにゃ加那 打(う)っ発(た)ちゃ打っ発ちゃが 行き苦(ぐる)しや

ソラ行き苦しや(ソラ行き苦しや)」

で切って全員が唄い、大島さんが、

「行ってしまうのですか、愛しい人。私のことを忘れて行ってしまうのですか。いや発とう発とうとするが、あなたのことを思うと行きがたいのです」

と皆に解説し、


「阿母(あんま)と慈父(じゅう)

物憂(むぬめ)や考(かんげ)えんしょんな

阿母と慈父

布織(ぬぬう)て賃金取(ちんめと)て 召(み)しょらしゅんど

ソラ召しょらしゅんど(ソラ召しょらしゅんど)」

で切ってまた全員が唄い。意味を説明した。


以下、3番、4番もこれが繰り返されて一曲が完成し、最後に通して歌った。これが中々の腕前で歌い終って全員が拍手した。


今度は私達だけで歌えと言う。歌詞が分らないと言うと叔母さんに紙と筆を持ってこさせて、紙に歌詞を書き出した。書かれた文字を見て皆が感嘆の声を上げた。

「すごい」

「最高」

「これ本当・・・」

「へー。これはプロだね」

紙に書かれた文字の立派さに驚いた。それは巧いと言うより芸術品といえるレベルの文字だった。聞けば、この文字のおかげで命拾いしたとのことだ。理由は、この字の巧さが憲兵隊長の目にとまり、軍隊に入隊するところを憲兵隊長の世話係りになり、身の回りの世話や書記兼連絡係を行なったとのことだ。

「このおかげで僕は戦争にいかずにすんだんだ」

自然に周りの人に一言いって、三味線を引き出した。最初全員で歌い。次に、私が一番に歌い、玲子、大学生二人が歌って締めた。指導がよかったのか、思いのほか上手に出来て更に酒が進んだ。


酔いが回った大島さんは、

「僕は奄美の三筆と言われたこともあるんだ。一人は宇検村出身の土産物屋の親爺、ニューヘブンと言ったかな。彼の字は伸びやかで躍動感がある。僕の字は仕事柄まとまり過ぎている。あとの一人は大島高校の書道教師、いまはもう亡くなったがね」

この話を受けて私が、

「ニューヘブンて港の土産物屋さんですか」

「そうだよ。彼は民芸全般に長けていて、島唄、新民謡にも造詣が深い文化人の顔もある。でも裏の顔もあるぞ。色々噂も聞いてる」

「そうですか。知りませんでした」

「それに女房もいっぱしの芸人で、世話役の夫婦で何処にでも顔を出す」

半ば称賛し、半ば貶した。


 私は、ママの両親の違った顔を知った。何回か見かけたが、どこにでもいる叔父さん、伯母さんに見える。人は見かけに寄らないと、人を見る眼のなさを悟った。


それからも、叔父さんは本土では裏声を逃げの声として禁止しているが、奄美では裏声を正当としている。もう一つ特徴的なのは、島唄は譜面を持たないので、唄の拍数が唄者の気分次第となる。と教えてくれた。

 また、奄美における『しま』と言う言葉は必ずしもアイランドを意味しない。ここではヤクザが言う『俺のシマに手を出すな』のシマと同じ意味で、奄美大島ではふるさと、郷土、出身地などを指して言う場合が多い。従って『しまうた』と言う時、奄美の唄と言う総称の意味もあるが、より比重が置かれるのは、自分の村(集落)の唄と言うことである。

 つまり『しまじま(村々)』に、その『しま』独特の唄がある。と教えてくれた。


最後にもう一度全員で、【行きゅんにゃ加那節】を歌って、全員で拍手をして終わり、大島さん御夫妻にお礼を言ってお暇した。


8時を過ぎていたが、皆がもう少し飲みたいと言うので山越さんなじみのスナック、シャレードに向かった。ここで私が与論島慕情を、全員が思い思いの歌を披露した。全員、東京から来たという事もあり玲子もこの輪に入ってはしゃいでいた。

枝手久島、学生運動、就職のことが話題の中心で、盛り上がっており、私がこの方面に疎いというか、面倒くさそうなので一人孤立していた。世間知らずを思い知らされた。

酔いも回ったので宿に戻ることとなったが、何人かはまだ飲み足りないようで玲子を含めて数人は飲みに行った。


私は3人を連れて宿に帰ったが、そのうちの1人が、

「山田さんいいの1人で行かせて」

「何が、・・・・」

そつなく応えて無視して歩いたが、心が乱れていたのは確かだ。やはり世界が違うのかなという漠然とした思いが、脳裏を過ぎった。だって玲子の事は何も知らないしな本当に。と自分に言い聞かせていた。


翌日は雨で客の出足が悪く、店は5時に閉店となった。

玲子に、

「昨日どうだった」

やっとの思いで聞いたが、

「特になにも」

「それはないだろう」

「妬いてる。心配、それは無いか」

「そうだな」

このような会話が続き、玲子が土産を買いたいと言うので、それに付き合って中央通り商店街を歩いていると、

「山田さん、山田さん」

私を呼ぶ声が聞こえるので振り向くと、そこには紬おばさんが立っていた。

おいでおいでと手招きするので、そちらに行くと、

「実はね。下の息子が帰って来たんだ。何かいい職ないかね」

突然のぶしつけな投げかけ、

「あんた顔広そうだから」

思案していると、

「ねーちゃんからも頼んでおくれよ」

叔母さんから振られた玲子が、

「山越さんの旅行店はどうですか」

「あそこはだめだヤクザでしょう」

簡単に一蹴された。

玲子が困っているので、

「何処か探して見ます」

「そうかい頼むよ」

「いまから遊びに来なさいよ」

「若い子が来ると親爺も喜ぶし相手してやって。息子とは馬が合わんチー」

ちょっと思案したが、頼りにされるうちが花と考え行く事にした。玲子とは何となく違和感もあるので、修復には丁度いいかなと思った。


座敷に私と同年輩の息子が座っていた。

「お母さんにはお世話になっています」

私が挨拶すると息子氏は、愛想良く、

「こちらこそお世話になってます」

明るく元気な声で答えた。

それまで聞いていたイメージと異なり良い男だ。

玲子が、

「宜しくお願いします」

息子氏に言えば、こちらには更に愛想良く笑顔と挨拶を返した。

母に促されて私達にビールを出してくれた。3人で乾杯して歓談に入る。この息子は、盛んに玲子に話しかけ話が弾む。もしかして女好きかも知れない。俺という男が付いているのに、こんなに馴れ馴れしくして良いものか。それとも私の思い過ごしかとやけに気にかかる。最近どうも意識過剰だ。自分に冷静になるようにと心に話しかける。


やがてご主人が帰って来た。これを境に息子が無口となり、会話は私達3人に集中する。ここで母親が助け舟を出し、

「山田さんが、就職紹介するて言ってくれたんチー」

「本当かね。それは、トシお前は働く気はあるんかい」

父親が聞くと息子は、

「ここ一番、此処らで一旗上げたい」

「一旗は良いから着実に働いて、家族に安心感を持たせてやれ」

息子は、無言で頷いた。

「山田さん。ところでどんな働き口かね」

「実は私の友人の会社ですが。今度、この玲子と披露宴の司会をする人の会社がどうかなと思ってます」

「どんな会社ですか」

「岩崎建設ですけど。でも、まだ了解取っていないので、どうなるか分かりませんが頑張って見ます。でも真面目に働いてくれないと、大袈裟なもんでもないですが、私の立場もないし多くの人に迷惑かけるので、宜しくお願いします」

「あの会社なら僕も知っているので頼んでみようか」

「それは暫く待ってください。まず、私が聞いて見ます。其の方がいろんな方が傷付かずにすむので。それに、今一度だけ息子さんに会ってもらいたい人がいるんです。私の信頼する人です」

「それは誰かね」

「奄美中央観光の山越社長夫妻です」

勝手に中央という文字を入れた。

「あの元ヤクザの、そんな人にかい」

「あの人は元ヤクザですが、人間の道とあるべき姿については、中々説得力の有る話をする人なんです。骨の有る男ですよ」

「君も中々言うね。さー此処に来て歌え」

三味線を取って弾きだした。私に歌えと促すので昨日教えられた島唄を歌い出した。自分でもびっくりするほど旨く歌えて、

「筋が良いね。このまま島唄を覚えたら島んちゅになれるぞ」

私と玲子が苦笑いすると更に、

「この島にはニライカナイ(ネリア・カナヤ)の伝説があるが、君はまさにそれかも知れんなあ。海の向こうから幸せが来るとは、このことなんだ」

と酒の酔いも有り一人乙にいっていた。息子と玲子は私達二人の会話を無視するかのように話し込んでいる。場乗りの悪い男だ。

私の心の中では自然と厳しい評価になっていた。明日は、親分に合わせて活を入れてもらって、それでも萎えなかったら薫さんにお願いしてみようと心に決めていた。

この後、親父さんとしこたま飲んで、最後は縺れる足を玲子の肩に捕まって家を出たのは覚えているが、それ以後の記憶が無く気がつけば私の宿の寝床にいて、その前の椅子で玲子が眠っていた。


心配になりズボンを確認すると乱れは無く一安心するが、玲子に申し訳ないことをしたと自責の念に駆られる。裏道から下に降りて自動販売機でホットコーヒーを2本買って来た。玲子は目覚めたのか部屋の外に居た。

「おはよう。昨日はすまんかった。迷惑掛けたみたいで」

「どんな迷惑」

「此処までつれて帰ってくれたんだろう。何か変なことしなかったか」

玲子に聞いて、へへへと少し笑った。

ここで玲子が、

「盛んに、かおる。カオル。薫すまん。どうするんだ、とか何とか言ってたけどそのこと・・・・・」

「ほんとに、ホントに、本当にそんなこと・・・」

繰り返し聞くが玲子は笑って答えない。

ここで私が、手に持った缶コーヒーを渡して二人で乾杯しようとした。

玲子が、

「なんの乾杯」

私に聞いたがそれに構わず、

「天と地と厚い友情に乾杯」

一気に言って飲み干した。玲子は2階の店に降りて行った。少し時間を置いて降りていったが、そこには玲子以外に誰も居なかった。二人で開店の準備をして店を開けた。

「こうしているとママ夫婦みたいだね。なんとなく様になっていると思うね。貴方がその気なら」

玲子が聞くので、

「あんたにその気が無いのに無理しちゃ駄目だよ。また病気になるよ。折角奄美の太陽が直してくれたのに」

触れてはいけないことに触れたのかと思ったが、

「よく言ってくれるはネ。このナンパ男は、薄情もの反省しろ・・・」

振り返って支度を始め出した。


開店後、客がたくさん入って来て二人で切り盛りする。昼過ぎに少し時間が出来たので、元ヤクザの山越社長と紬叔母さんの息子に連絡して、3時に店に来てもらう事にした。

ここで山越さんに息子を品定めしてもらうためだ。定刻に山越さんは来て、10分遅れて息子が来た。私が二人を引き合わせて紹介した。

ここで山越さんが、

「年上の人間を待たせるとは何事かい」

意思を持って一喝する。

これにびびったのか、小さな声で、

「すみません。ちょと用事があって」

「いいわけすな」

大きな声でかました。

場を和らげるため、私が上に行きましょうかと言って宿舎に案内し、ここで話し合ってもらった。息子氏はこれまでのだらしない生活のこと、子供に迷惑を掛けて反省していること、人生をやり直したいと思っていること等を吐露した。

これを受けて元ヤクザ氏は、

「分かったそこまで人生追い詰められてんならケツまくらんかい。根性入れてかかれるか」元ヤクザ氏が聞くと最初は少し躊躇していたが、小さく、

「気合いれてやりますから宜しくお願いします」

この言葉を言うが早いか、山越社長は3発良い音を残して息子氏の顔を張った。

息子氏は何が起こったか理解できずに困惑していたが、

「痛いか」

息子に聞き、これに続いて元ヤクザ氏はこれを読めと言うように紙を手渡した。

「其れをゆっくり声を出して読んでみんかい」

促されて息子氏は詰まりながら少し間違えながらも静かに読み出した。


「ちん朕おも惟うに、・・・・・・にここ此に存す。なんじ爾臣民、父母に孝に、けいてい兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ・・・・・・。こ斯の道は、実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民のとも倶に遵守すべき所、之を古今に通じてあやま謬らず、・・・・して、みな咸其の徳を一にせんことをこい庶ねが幾う。

明治二十三年十月三十日」

やっとの思いで読み終えた。

 

これはどうやら教育勅語のようだった。

「意味がわかるか」

「わかりません」

「真、教えたれ」

振られて困ったが、紙を見せられたので、少しづつ書かれている内容を理解し説明し始めた。

「ここで言われている所は、私即ち天皇ですが、・・・・・・・。国民の沢山の皆さんが、立派に忠義や孝行に対し心を一つにして・・・・、我が国に素晴らしい教育があったからです。皆さんは、父母には孝行、兄弟とは仲良く、夫婦は共に愛し合い、友達同士は信じ合い、自らは謙虚な心をもって、博愛の精神で皆に接し、学問を修め、仕事を習うことで、・・・・・・・・。 ・・・・徳を一つにすることを念願しています。と言う意味だと思います」

山越さんに言って顔を見た。


「よう言った。概ねそう言う意味だ。お前わかったか、これにしたがって行動できるか」

と聞くと、息子氏は小さく頷いた。

其れを見て、

「歯を食い縛れ」

山越は言うが早いか、また大きなパンチが飛んだ。一発、二発、少し於いて3発と良い音がして終わった。顔は昂揚し鼻からは少し血が出ていたが、

「これで吹け」

ティッシュを息子氏に渡した。

最後に、

「これを読む前と後で殴られた時、どの様に考えが変ったか言ってみろ」

息子に尋ねた。

息子氏は中々答えなかったので、

「分かるやろうが、また殴ろうか」

少し時間を置いて、

「読む前のはスゴー痛かったけど、後からのは少し痛みが小さいように思った」

「そうか分かった。その気持ち大事にせいよ。それが人生だ」

この言葉を待って席を立ち、

「此処で待っとけ、俺が話し付けてくる」

山越は言い残して出て行った。


小一時間して、山越社長が帰って来て、

「就職決まった。明日、朝8時30分に総務部長を訪ねて行け、まず運転手からやる事になる」

息子に告げた。

「できるか」

「頑張ります」

腫れ上がった顔で答えた。

「この痛み忘れたらまた俺が教えたるぞ」

「山越さんありがとう。本当にありがとうございました」

玲子も、

「さすが誰かさんと違い頼りになる男の中の男やなーもし」

笑いながら、持ち上げて茶化した。

「今日店が終わったら、一緒に紬叔母さんの所に報告に行きましょう」

「俺みたいな人間が行くと、いろんな人の迷惑になるんだ気持ちだけ貰っとくは」

してやったりの顔立ちで店を出て行った。


店が忙しく閉店は船が港を出た8時過ぎになったが、玲子と連れ立って店を出た。約束の時間より遅れたのでタクシーに乗って紬おばさんの家に向かった。

タクシーの中で玲子は突然、

「真さん。私、結婚式の翌日島を離れることに決めたの。学校も気になるし貴方に鍛えられて心の健康にも自信取り戻せたし、此処が潮時なのかなと思って、いい思い出を沢山、引き出し一杯にして持って帰りたいの」

私は、いつか言われると意識していた言葉であり、ついに言われたかと思い心を落ち着かせて、

「そうやね潮時かもな。いい思い出ばっかりを持ってかえりたいもんね」

「残された時間、思い出沢山作って遊ぼ」

これを言うのが精一杯だった。それ以後、無言となったが程なく紬叔母さんの家に到着した。


自宅では宴会の準備が既に終っていた。息子と親父が並んで座り、その向かいに玲子と私が、斜めに母親すなわち紬叔母さんが座っていた。早速オリオンで乾杯し宴会は始まった。例によって叔父さんの三味線が始まったがここで違うのは、親父さんの三味線に合わせて、叔母さんが踊り出したのだ。これには驚いた。

結構さまになっていて決まっているのだ。

3曲歌い踊り席についてオリオンを飲み干した。結構いける方で、量は自分よりいけると主人が力説していた。ここでまた全員で乾杯した。

御主人の名前は栄蔵さんと知った。


「山田君って結構顔が広いと言うか、頼めば何でも出来ると言うか、世渡りが旨いと言うか不思議な人ですね」

「本当、不思議な魅力が有り掴み所のない人なんです」

玲子が調子を合わせた。

町子さんが、

「ワン(私)の見る目に狂いはないチー」

そこに居た全員が笑った。

息子氏が、

「人生最後の頑張りどころと思って頑張ってみますは」

その淡白さが気になって私が、

「歯を食いしばって」

すると、すっと立って目を瞑って歯を食い縛ったが、私にはそれ以上続けることは出来なった。

これに続いて栄蔵さんは、

「そうだ、そのつもりでやらんと。サチ」

「本当チーバ、頑張れやサチ」

母が言って涙を見せ、玲子が、

「じゃーそれでは島唄行って見よう」

機転を効かせて音頭を取り、全員で、“行きゅんにゃ加那節”を歌い踊った。


栄蔵さんは酔いつぶれ、息子は就職祝いと言って夜の街に消えて居間には3人が残った。「真さん本当にありがとうよ恩に着るから、あれが1年以上勤めたらあんたに私が織った紬をあげるから」

「いいですよ。それならお礼は、旅行店の山越社長に言って下さいよ」

「それはそれ、あの社長にも感謝するが、あんたに私の紬を着て欲しいだよ」

叔母さんは譲らないので、

「それじゃ玲子に一反あげて下さいよ。お願いします」

「あんたがそこまで言うんだったら、玲子さんの次にあんただ待ってておくれ」

これで話が収まりかけた時に、

「でも私、何もしていないんで困ります」

玲子が発言しぶり返した。

「真さん、何とかいいよ」

「何で」

「アンタの良い人なんだろう」

「違いますよ、ただの友達」

この時に玲子は、

「友達以上。恋人大々未満の関係なんです。それで良いんでしょう。真」

と真っ赤な顔をして言い返した。


これには叔母さんも予想外だったようでビックリして、

「本当かね似合いの若夫婦の様に思うがね。もったいないよ本当に」

「変なこと言わないで下さいよ。折角良い思い出一杯で別れるつもりなんですから」

「アンタ女心が分かってないチー。本当に」

いつの間に出されたのか、黒糖焼酎を飲み干して台所に立った。残された二人は無言で焼酎を飲みながら豊かな時間を共有していた。本当に快い酒だった。3人で島唄を歌い、町子さんの青春物語に話が弾んだ。

ここで玲子が、近日中に島を離れることを告げ、そうなればもう私と玲子が、会うことはないと言うようなことを言った。この私の発言には、私が予想した様に玲子は反論しなかった。そんな関係だと安心もし、残念な気持ちもした。

「玲子お互いに幸せになろうね」

酔いに任せて叫びトイレに立った。


昨日のこともあるのでこれ以上飲んで、玲子に迷惑をかけてはいけないと思ったが既に遅かった。足が完全に縺れ、玲子も既に轟沈寸前の状態だった。私はその場に眠ってしまった。

夜中に目を覚ますと私の横に玲子が寝ており、そこはどうやら大島家の離れのようだった。水を飲みに台所に立ち戻ってきたが、中々眠りに就くことが出来ない。横に年若く好意以上のものを持っている玲子が、無防備な格好で眠っているのだ。セックスに自信を取り戻しているので、躊躇する理由は全く無くなっていた。半ば玲子も望んでおり拒否しないと思った。

吐息を立てて眠っている玲子も魅力的だ。


少し躊躇したが、玲子と向かい合わせに寝転び、その寝顔を見ながら暫く過ごし、肩に手を掛けて話し掛けようとした時、急激に睡魔が襲って来て、それに堪える事が出来ず不覚にも眠ってしまった。

この夜、玲子も同じ様に夜、目が覚めて私の寝顔を暫く見ていたそうだが、口をあけて眠っている様子が余りにもだらしなく見えて、100年の恋も冷めてしまったと言っていた。このことは残念ながら全く知らなかった。翌朝、二人は目を覚まし照れ笑いをしながら母屋に行って、叔父さんと叔母さんに挨拶した。


「昨日は良く眠れたかい」

「ゆっくり眠れました」

「それは残念だね」

「何が残念ですか」

話しが見えなかった。

やがて、町子さんが食事を運んできて、玲子を見て少し笑った様に見えた。これに答えて玲子は、

「叔母さんには御配慮いただきありがとうございました。色々迷惑おかけ致しました」

私が理解に苦しむような礼を言った。


「そうだね其れも人生、頑張りなさい。与えられた道を着実に歩くことの難しさもあるからね。しっかりやんなさい。二人の人生だから」

優しく言ってくれた。御主人が役所に行くと言うので、車で送ってもらって店に出た。準備はすっかり出来ており、船が入る時間が近いとあって客も居た。慌てて与論島慕情のレコードを掛け、これに引き付けられる様に客が入って来た。


昼過ぎ紬叔母さんが突然店に来た。

「昨日は、どうもありがとうございました」

「こちらこそ本当にありがとうチー。玲子ちゃんは」

「下だと思います」

私が答えると、

「思い切りの無い男だね。本当に。それはそうと今日の朝、電話が有って長男夫婦が子供連れで、里帰りするって言って来たんだよ」

叔母さんは満面の笑みを湛えて言った。


「私もこれから媚びず奢らず、自然体で暮らしていくよ。本当に不思議な魅力の有る人間だね」

顔をまじまじと見ながらまた笑った。

「お嫁さんと喧嘩しないで下さいヨ」

「其れをアンタに言われるとつらいんだが、これまでの経験を生かして淡々と生きるヨ これからは」

「そこまで人間出来ないで下さいよ」

傍に居た玲子も、

「まだ枯れるのは早いと思いますよ」

「其れもそっくりアンタに返すよ。私があんなにお膳立てしてやったのに、本当にだらしないんだから」

玲子を見て笑った。

「あんたは、丸くてやわらかい心の人間だから、きっと幸せになれるよ。それにあの男も暖かい心と、自分の型を持たないで、相手にどのようにでも合わせていく心を持っているんだ」

「そうです、相手によってどの様にでも合わせられる心を持っているんで、誰からも好かれるんです」

「そう親しみ易さは最大の力だからね」

「そうなんです。傷ついた私の心に取り付いて角の有る固い難しい心を開いてくれたんです。最近、それが分かってきたんです。彼の暖かいやわらかい心が」

玲子が自身の気持ちを語った。


「伯母さん、それと旅券は、山越さんのところで買ってくださいね。お願いします」

分ったと言うように手を上げた。そして笑顔で、

「長男の嫁と孫に土産でも買っておこうと思って」

陽気に出て行ったが、また店に入って来て、今度は玲子に向かって、

「島を離れるまでにもう一度、二人で家にくるんだよ」

この言葉によって、店の人全員に玲子が、島を離れる事が分かってしまった。

誰ともなく、

「玲子さん本当に島離れるの」

ひとしきりこの話題で盛り上がった後、平穏を取り戻した。


閉店時間を過ぎた6時頃、ママが上がって来て、

「玲子ちゃん、本当に島出るの」

「ええ今度の披露宴の司会が終わったら島を離れる予定です。本当にありがとうございました」

玲子は笑顔を作った。

そして街に出て食事をした。通称ヤンゴにある料理店に入って豚骨料理の一種、ワンフネを肴に、玲子の例の乾杯を合図に黒糖焼酎をロックで飲んだ。

ママが、

「玲子君も東京に帰ったら元気で頑張ってネ。本当にありがとう」

「こちらこそありがとうございました。いい思い出を沢山作って引き出しが一杯になってしまって。これ以上蓄える所がなくなってしまって」

決まり文句の様に言った

「其れは良かった。また引き出しが開いたら島に来なさい。その時は、真はいないけど私は、ここにいるので分かった」

「真、あんたはどうするの」

私を見ながら聞くので、

「僕はまだ少しここにいて、人生を見つめて見たいんです」

「何を見つめるの」

「それは自分でもわからないんです。でも段々とそれが見えてきたような気がしているんです」

同年代のママから、

「若いてすばらしいね」

不思議な気持ちになったが、

「ママも若いし綺麗ですよ。ママが残ってくれて言えば僕、此処に残るかもしれない」

「この子よく言うね、本当に。誰とでも調子よく合わせるんだから不実よ」

「僕には熱い素直な心があるんです」

紬叔母さんから言われた言葉を返すと、

「それはそうね認める。その心何時までも持っていて欲しいと思うな」

「努力してみます」

このようなママと私のやりとりが有って酒が進んだ。最後に油そうめんを食べて店を出た。


歩きながら、

「それで帰りは船でかえるの」

私が玲子に聞くと、

「はい、船でゆっくり帰ります。都会のリズムを取り戻す時間が必要なので」

「そうだね そうかもしれないな。其れがいい其れがいいよ」

「ありがとうございます。また、東京に来た時は尋ねて着てください」

ここでママが、

「私も東京に友達がいてね年に2回は行っているのよ。踊りの師匠もいるので」

「そうだ踊りされるんですよね。東京ですか」

ママに向って玲子が聞いた。

「藤島流の名取なんですよ。これでも」

玲子に答えてママが胸を張った。私は栄蔵さんから聞いたママの両親のことを尋ねると、最初、躊躇したが、

「父親は不倫関係に有った母と再婚したんです。それで母は奄美一番の悪女と言われています。私、密航船で鹿児島から来たんですよ。記憶には無いですけど。父は文化人の顔を持つ奄美のフィクサーで謎の多い人です。人によって評価が違うんです。でも私達にとっては掛替えの無い人です。私達の苦労の何倍もしていると思うんですけど語ってくれません」

私が、

「子供さんに語るには時間が必要なんでしょうね」

玲子が言いにくいことを聞かないようにと注意した。それでもママは語りたいのか分かる範囲で話した。


暫くして店を出て玲子を宿に送って、自分の宿舎に帰った。

結婚式と披露宴はまじかに迫っていた。


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