6-5 ハッピーエンド?

「俺は、小田博子の実の兄だ」


 あっ、という間抜けな形に弘瀬の口が広がった。よくよく考えれば当たり前のことだが、誰にだって家族はいる。


 被害者の家族が、加害者だと噂される人物を訪ねてきても、それほど変な話ではない。ただしその場合、決して穏やかなものではないだろう。


「俺が十五、博子が十のときに、両親が離婚した。博子は母方に連れていかれ、俺は自分の意志で父親と一緒に暮らすことにした。それから母はすぐに別の男と結婚した。それ以来、妹とはたまにメールをするくらいで、実際に会ったことはなかった。距離の問題もあったしな。そして段々と連絡を取らなくなっていった。嫌いになったわけじゃない。大人になるにつれて、なんとなく気が合わないことが分かりはじめたんだ。向こうが十五になってからは、完全に連絡を取らなくなった。だから博子がどんなふうに育ったのかも知らなかった。成長した妹の顔を見たのは、葬式のときの遺影でだった。不思議と悲しくはなかった。


 そのときは事故死だと聞いていたんだが、最近になって妹は殺されたのだという噂を耳にした。死んだときにはなんとも思わなかったが、殺されたのに事故死扱いされたんじゃ、妹も浮かばれないと思ったんだ。変な話だがな。たぶん妹のことよりも、人を殺しておいて、のうのうと生きている奴がいることのほうが許せなかったんだ。だから俺なりにその当時のことを調べた。そして分かったことは、――妹は殺されても仕方ないほどのクズだったってことだ」


 しゃべっているうちに感情も高ぶってきたのだろう。優一は吐き捨てるように言い放った。


「――そして思った。妹に虐められていた真白陽奈という女の子に謝らなくちゃならないって。それだけじゃ足りない。もしも妹のせいで人生が狂ってしまったのなら、俺が自分の人生を賭けて償ってやるべきだと。自分でもお節介だとは思う。だが、知ってしまった以上、無視はできなかった。それで真白さんを訪ねてきたんだ。神様も俺が贖罪することには賛成だったらしい。どうやって真白さんを探そうかと思案していたら、偶然彼女が目の前を通ったんだ。すぐに追いかけていって、自己紹介した。小田博子の兄貴です、ってな。立花くんも見ていただろう。あのときだ」


 それは弘瀬が陽奈と初めてデートをした日だった。あのとき陽奈は、男から何事か言われて、走って逃げようとした。そのときに言われた科白が「小田博子の兄です」だったのだ。


「忘れてしまいたい過去が唐突に現れたんだ。当然嫌な顔はされると思っていた。だけどまさか、悲鳴をあげて逃げられるとは思っていなかった。タイミングが悪かったみたいだな。妹を殺した人物が死んだ次の日に、その兄貴が現れたら、誰だって悪い想像をする。あのあと俺は、真白さんが住んでいる場所までは調べ切れなかったから、この辺りを中心にうろうろしてたんだ。そして昨日、黒岩さんだっけ? 彼女が事故死した現場に居合わせた。立花くんもいたから説明は不要だな。それで悪いとは思ったが、帰ったふりをして君たちの跡をつけさせてもらった。


 そして立花くんが帰ったあと、彼女の部屋を訪ねたんだ。警戒されて当然だと思ったので、俺が来た真意と連絡先を書いた紙を渡して、早々に退散した。次の日の早朝、真白さんから連絡があったんで外で会うことにしたんだ。しかし、俺を信じてくれたというよりは、過去をすべて清算して、今起こっている殺人をやめさせるつもりだったらしい。正直参ったよ。『私を困らせるために、他の人を殺すのはやめて』と言われたときは――」


 優一は声を上げて笑ったが、陽奈は反対にばつが悪そうに俯いてしまった。


 どうやら陽奈は、大輔の死は優一の手によって起こされたものだと勝手に誤解していて、他の事件も優一の仕業だと思い込んでいたらしい。


「そのときになって初めて、君たちが肝試しをしたこと、参加者が次から次に死んでいっているって事実を知ったんだ」


「えっ、でも波佐見さんは、あの肝試しの現場にいたんですよね?」


「ああ、君も気づいてたんだな。俺は真白さんから指摘を受けるまで気づかなかった。確かにあの場所にはいたが、人が数人集まっているのを見て、肝試しだってすぐに分かるほど勘はよくない。ヘルメットを被った状態だったからな。幽霊が出たとかいう声は聞こえなかったんだ。何か騒いでいる、くらいにしか思わなかったさ。――今となっては、そのことを早く伝えなかったことが悔やまれるな。俺が呪いの枠から外れていることを犯人が知っていれば、サイコフィピスなんて起こらなかっただろうに。結果論だが」


「あの、もう一つ質問が。二人はどうして上原くんが犯人だと思ったんですか?」


「ああ、それは確証があったわけじゃない。単なる消去法さ。警察の話から犯人がいることは確かだった。だが、俺は違う。真白さんも絶対に違う。で、真白さんは、立花くんは違うと言う。俺は彼女の味方だから、真白さんがそう言うのなら無条件で信じる。そしたら残るのは一人だ」


 優一は立ち上がると、空になったジュースの缶を、空き缶入れに放り込んだ。そして再び沈黙がやってきた。


 弘瀬は呆然と星空を見上げた。これですべてが解決したのだ。犯人は見つかり、二年前の事故の真相も知ることができ、優一の正体もわかり、陽奈との間にできた溝も埋めることができた。


 ――ほんとにこれでもう、すべてが終わったのだ。


「そういや、立花くん。一つ忘れていることがあるぞ」


「えっ、なんですか?」


「妹に電話しなくちゃいけないんだろ?」


 そのとおりだった。初音のことだ。連絡が遅れれば、どんな行動力を示すかわかったものではない。


 弘瀬は慌てて電話をしようとしたが、スマホの電池が切れて使い物にならないことを思い出した。そのことを説明すると、優一は笑いながら電話を貸してくれた。


 弘瀬が電話をかけると、ものすごい剣幕で初音に怒られた。なぜか陽奈が大輔と付き合っていたことを知っていて、陽奈が危険だと言ってきた。


 けれども、陽奈の了解の元、二年前に起きた事件の真相を話して聞かせ、正治が犯人だったことを説明すると、すぐに誤解を解いてくれた。




「それじゃ、俺はこれで退散する。真白さん、また何かあったらすぐに呼んでくれ。償いの件、本気で考えている。それと立花くん。真白さんをよろしくな。俺は彼女の味方だから、彼女を泣かすようなことがあれば、君といえども容赦はせんからな」


 そう言い残して、優一は去っていった。弘瀬と陽奈に気を利かせての、早々の退散だ。


 ひっそりとした駐車場に、陽奈と二人っきりになる。途端に弘瀬は、気恥ずかしくなってしまった。


「先輩、血が出てる……」


 陽奈に指摘され、弘瀬は自分の右手を見る。自販機の光に照らされて、乾いた血の痕がはっきりと見えた。正治の一撃を止めたときに怪我したのだ。


 弘瀬はそれに気づいていたが、いつの間にかすっかり忘れてしまっていた。


「あっ、そうだ。ごめん。真白さんに謝らなくちゃ……」


 手の怪我を見て、弘瀬はメロンのことを思い出した。冷蔵庫を勝手に開けてしまったこと、中に入っていたメロンを駄目にしてしまったことを、正直に陽奈に話す。


「ごめん。必ず弁償するから」


「いいです。気にしないでください。それよりも他に気になったことはありませんか?」


 弘瀬はどきりとした。大輔の霊がいたことを思い出したからだ。しかし、陽奈の口から出た言葉は、予想外のものだった。


「あの、……私、料理が、苦手なんです……」


 伏せ目がちに言う陽奈を見て、弘瀬は冷蔵庫の中にあった正体不明の調理物のことを思い出した。どうやら陽奈は、そのことをものすごく気にしているらしかった。


「ぜんぜん気にしないよ。それに料理が苦手なら、上手になる楽しみもあると思う。一緒に料理を覚えていこうよ」


「……そうですね」


 陽奈はくすりと笑った。


「真白さん」


 弘瀬は真剣な表情をつくると、陽奈に正面から向き直った。


「……真白さんは、幽霊が見えるんだよね?」


 陽奈は一瞬驚いた顔をしたが、真意を確かめるように弘瀬の顔をまじまじと見つめたあと、こくりと頷いた。


「実は、俺も見たんだ。幽霊を。大輔の霊だった。夢と同じ位置に同じ格好で大輔がいて、冷蔵庫を指差していたんだ。そのおかげで、俺は助かったんだ。大輔が身を守る術を教えてくれたんだ」


「……夢、ですか?」


 弘瀬は肝試しの日から見るようになった奇妙な夢のこと、大輔が夢の中で冷蔵庫を指差したこと、そしてたった今大輔の霊を目撃したことを、陽奈に話して聞かせた。


 黙って耳を傾けていた陽奈だが、ややあってゆっくりと口を開く。


「……おそらく、小鳥遊先輩が言いたかったことは別のことだと思います」


「えっ?」


「……冷蔵庫に赤い羽根のペンギンが貼り付けてあったのは覚えていますか? 実はあれ、小鳥遊先輩がつくってくれたものなんです。付き合っているときに、小鳥遊先輩からもらったものがいくつかありました。再会したときに言われたんです。『けじめをつけたいから、そういうものは全部捨てて欲しい』って」


「……そっか、確かに大輔らしいよね」


 弘瀬は納得した。夢の内容を思い出してみても、陽奈の見解のほうが正しいような気がする。


「絵とか他のものは全部捨てたんですが、あのペンギンだけは取っておいたんです。深い理由はありません。気に入っていましたし、残っていても問題になるようなことはないだろうと思って。でも、やっぱりいけないことだったんですね。捨てることにします」


「無理に捨てなくていいと思うよ。俺も気にしないし……。理由はないって言ってたけど、たぶん、真白さんにとって大切なものなんだと思う」


 陽奈は目を閉じると、ゆっくりと息を吐いた。


「……そうかもしれません。でも、小鳥遊先輩のために捨てようと思うんです。現実に現れてまで伝えたかったことなんです。ものを捨てたからといって過去は消えません。だから――」


 弘瀬には陽奈の言いたいことが、なんとなくだが理解できた。大輔のくれたものを捨てることと大輔の思い出を捨てることはイコールではない。一度起こってしまった過去は、どんな形であれ、ずっとついてくるものなのだ。


 大輔が陽奈をイジメから開放してくれた。その事実は変わらない。だけど、陽奈はそんな大輔に対して何もしてやることができなかった。


 時間が心の傷を癒してくれれば、いつかは恩返しができたかもしれない。だが、その機会は永遠に失われてしまった。


 だからこそ、どんな些細なことであれ、大輔の願いを叶えてやりたいのだ。それが唯一、陽奈が大輔のためにしてやれることなのだろう。


 弘瀬はそっと陽奈の手を握った。陽奈が顔を上げて潤んだ瞳を向けてくる。


「わかった。じゃあ、一緒に戻ろっか。大輔の望みを叶えるために――」


「――はい」


 二人は力強く頷き合ったあと、星空の下を歩きはじめた。

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