1-2 肝試し

 街の灯りが遠のいていけばいくほど、夜空にきらめく星の数は増えていく。

 大きく息を吸い込むと、湿った森の匂いがした。


 弘瀬は夜通埼神社があるという秩父両子山にサークルのメンバーとやってきていた。


 今は秩父両子山の表面を緩やかに登る国道の広い車寄せのスペースで、肝試しが始まるまでの間、思い思いの時間を過ごしている。


 ここから叢林の中へと続く細い道を一キロほど進むと、今日の目的地である夜通埼神社があるのだ。


「あれ、弘瀬はこういうの苦手だっけ?」


 不意にサークルのメンバーである天草圭が話しかけてきた。細身で、肩にかかるほど髪の毛を伸ばしている。麻雀が得意で、その強さ故に「神」という二つ名を持っていた。


「こういうのって肝試しのこと?」


「ああ」


「いや、普通かな。ちょっと怖いといえば怖いけど」


「そうか。なんか随分と緊張しているみたいに見えたから。そういやここって、それなりに有名な肝試しの名所らしいぞ」


「そうなんだ。大輔らしいね」


 答えながら、弘瀬はそっと自分の頬に触れてみた。心なしか感触が硬いような気がする。それは仕方のないことかもしれない。


 弘瀬は今日、生まれて初めて異性に告白するのだ。緊張しないほうがどうかしている。


(しっかりしなきゃ。ちゃんとふられてくるんだ)


 弘瀬は少々違う方向に気合を入れると、改めて今日告白する相手、――真白陽奈に視線を向ける。


 彼女は弘瀬から少し離れた場所で、同じく一年の上原正治と一緒に、所在なさげに突っ立っていた。


 白を基調としたフリルワンピースに、薄い赤色の短パンを穿いている。

 ワンピースは腰の部分がきゅっとしまっているタイプで、陽奈の腰の細さを際立たせていた。


 そんな服装に、弘瀬は陽奈の女の部分を感じて、思わず胸がどきりとなる。


 彼女は元々内気な性格で、誰かとしゃべっているイメージは薄い。

 すぐにサークルにも来なくなるかなと思っていたが、想像に反して真面目に活動に参加していた。

 もしかしたら、こちらが思っている以上に、このサークルを楽しんでいるのかもしれない。そうだったらいいな、と弘瀬は思った。


「大丈夫だって。いざとなったらセンサーがいるから、やばくなったら逃げるって。な、真白さん」


 ひときわ陽気な声が聞こえて、唐突に陽奈の名が呼ばれた。

 部長の小鳥遊大輔だ。


 温和な顔に、特徴的な細長い目。眼鏡をかけていて、水泳選手のようなマッチョな体つきをしている。

 高校時代は水泳でもやっていたのかと思ったが、イメージとは正反対の美術部員だったそうだ。


「センサーって何よ?」


 大輔と輪になって話している黒岩都巳が疑問の声をあげる。吊り上げり気味の眼に、ポニーテールをしている。性格はちょっときつめだ。


 輪の中には、ほかにもう二人、蕾美花と皆川歩の姿があった。


「真白さんはこう見えて、霊感少女なのだ。幽霊を見たことがあるらしい」


 大輔が誇らしげに答える。


「ちょっとやめてよね。私そういうの大の苦手なんだから」


「苦手なのに。どうして来るかなぁ」


 美花が呆れたように言った。


「いや、普通に仲間外れにされるほうが嫌だし。みんなといれば大丈夫かなって……」


「うわ、サトミン健気ぇ。マジ可愛い」


 歩が揶揄うように言う。


「うっさいな。蹴るよ、マジで」


 都巳は拗ねたように、文句で返した。


「まあ、除霊できる奴もいるから大丈夫だろ。今年の新入部員は、まさに肝試し向きの布陣だ」


「だから、僕は除霊なんてできないですって。親が霊媒師という怪しげな仕事をしているだけです」


 大輔の科白に、正治が右手をひらひらさせながら否定する。長身で地味な雰囲気の如何にも苦学生といった感じの彼は、よく霊媒師ネタで大輔に揶揄われていた。


「小鳥遊、そろそろいいんじゃないか?」


 歩の科白に、大輔が空を見上げる。


「そうだな。いい具合に暗くなってきたし、そろそろ始めますか。じゃあ、みんな集まってくれ」


 大輔の号令に、弘瀬たちは彼の周囲に集まった。


「肝試しの内容だけど、二人一組になって神社まで行き、携帯かスマホで神社の写真を撮って帰ってくること。いいな?」


 大輔が簡単に肝試しの内容を伝えると、つり上がり気味の目をさらにつり上げて、すぐさま都巳が抗議の声をあげた。


「写真とかあり得ないでしょ! なんか写ったらどうするのよ!」


「雑誌に売るんだよ。いいお金になるだろ?」


 大輔がさも当然といった感じで言い放つ。


「あとペアの組み合わせだけど、こっちで勝手に作らせてもらった。俺と都巳がペアな」


「え? なんでよ。絶対嫌だからね。絶対、何か仕掛けてくるでしょ?」


「俺を信じろよ。きっと期待どおり何かやらかすから」


 大輔が真面目な顔で冗談を返す。いや、半分は本気かもしれない。


「陽奈ちゃんはどう? 何か感じる?」


 歩が陽奈に尋ねた。彼は上品な顎鬚が特徴的な、オシャレな大学生といった感じの風貌をしている。


「……すごく嫌な感じがします。帰ったほうがいいかも」


「ほらぁ! 真白さんもこう言ってんじゃん。マジやばいよ」


「これはもう『行け』というフラグだな」


 大輔がうんうんと頷きながら言った。


「どうやったら、そう聞こえんの? 馬鹿じゃないの?」


 都巳がヒステリックな声をあげるほど、大輔はおもしろがった。その反応が楽しいらしい。


「じゃあ、最初は弘瀬と陽奈ちゃんのペアな」


 そうして弘瀬の肩を抱くようにして、耳打ちしてくる。


「しっかりやれよ。応援しているからな」


「うん、わかった。ありがとな、大輔」


 弘瀬は答えると、陽奈を連れ立って、かろうじて舗装らしきものが施してある山道へと足を踏み入れた。


 人の侵入を拒むのが目的のように乱雑に生い茂る叢林の中にあって、ぽっかりと一本の線をかたどっている山道は、獲物を誘い込むための罠のようにも思える。


 しばらく進むと、後方の視界が木々によって完全に遮られ、大輔たちの姿が見えなくなった。途端に、この世界には自分と陽奈の二人しかいないのではないかと、心細さが襲ってくる。


 不意に弘瀬は、ついっと袖を引っ張られる感触を覚えた。

 見ると、陽奈が弘瀬の袖を掴んでいる。その顔は夜でもはっきりとわかるほど蒼白で、体は小刻みに震えていた。


 「頼られている」という現実が、弘瀬の心に火をつける。告白するなら今しかないと思った。


 弘瀬は袖を掴む陽奈の手を放させると、思い切って手を繋いだ。


 小枝のように細く、すぐにでも折れてしまいそうな指の感触と、人肌特有の柔らかなぬくもりが伝わってくる。


「真白さん」


「はい」


「真面目に聞いて欲しいことがあるんだけど……」


「はい」


「俺と……付き合ってください」


「はい」


「俺はあんまりかっこよくないし、気も利かない――、えっ? 今なんて?」


 慌てて聞き返すが、陽奈はあどけない表情のまま、感情の籠らない瞳を返してくるだけだった。なんというか精巧な人形のように思える。


「返事してくれたの?」


 陽奈はこくりと頷いた。


「オッケーなの?」


 再びこくりと頷く。


「本当に?」


「はい」


 安堵のせいで全身が弛緩する。と同時に、この場で飛び跳ねてしまいそうなほどの歓喜が、胸の奥から湧き上がってきた。


「……そんなにうれしいですか?」


 陽奈がそんな質問をしてきた。どうやら今の気持ちが顔に出ていたらしい。


 弘瀬はもちろん、と素直に答える。


「……そうですか」


 陽奈の表情に、微かに感情の色が浮かんだ。しかし、それがどんな感情なのかを、弘瀬は理解することができなかった。

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