3.呪い

「スバルもつらかったんだな……」


 その言葉に頷きはしなかったが否定もしなかった。つまりはそういう事だ。

 負けず嫌いのスバルが、そう簡単に認めるとも思えないが、それでも本心を滲ませる程には心を開いてくれている。

 その事が月人はありがたかった。


 そして月人も、自分の肩にもたれ掛かっているスバルの頭に頬を寄せた。

 若干、ツノが邪魔ではあったけど、しばらくこうしていたい。

 弓月があんな事になっている現状では、とてもこれ以上の事を求める気分にはならないが、状況が異なれば間違いがあったかもしれない。


 そんなムードの中、突然……。


 ――ギイィィ……


 長いこと蝶番ちょうつがいに油を差していなかったのだろう。耳障りな音を立てて処置室の扉が開けられた。

 その音に月人とスバルは互いにあたふたと体を離し、かしこまった様子で座り直す。

 チラリと横目で見ると、スバルは僅かに頬を染めて肩を竦めていた。


「お兄さんだね?」


 現れた先生は確認するように尋ねた。


 そう言えば引っ越して来た当初から村中に自分たちの存在が知られていたし、その事が当たり前のようになっていたためか、診療所の先生と会うの初めてなのに名前を名乗っていなかった。

 もっとも弓月に異変が起こってからは、そんな暇もなかったのだが……。


「先生! 弓月は! 妹はどうなんですか?」


 月人は先生に掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る。

 が、先生の表情は硬い。それだけでも決して弓月の容態が思わしくないという事が読み取れる。


「単刀直入に現状をお伝えします。妹さんがああなってしまった原因については、ここでは設備も不十分なため分かりません。都市部の大学病院で精密検査をしてみない事には何とも……」

「じゃあ……じゃあ、すぐにでも弓月を大きい病院に搬送してやってください! 救急車でも何でもあるでしょう?」


 しかし、先生は胸の辺りに手を上げて月人を制する。


「気持ちは分かりますが、落ち着いて。今の妹さんの身体は不可解なほどに衰弱してます。私も手は尽くしていますが、あれほど弱ってしまっては長時間の移送に耐えられないでしょう。却って大きなリスクとなってしまいます」

「そんな……」


 崖から突き落とされるような気分であった。

 弓月が助からないかもしれない。その絶望感に全身の力が抜けてゆく。


「今は予断を許さない状態ですが、ある程度持ち直す事ができれば搬送も可能になるでしょう。現状では彼女の容態が少しでも良くなるという事に賭けるしかありません。もちろん、我々も最善を尽くしますが、覚悟だけはしておいてください」

「フンッ……」


 それを月人の傍らで聞いていたスバルが蔑むように鼻を鳴らした。


「ニンゲンの医者ごときが何千人集まったところで、原因なんか突き止められるもんか」

「どういう事かね?」


 先生は少しムッとしたようだった。

 以前、月人も話には聞いていたが、ここの先生はとある有名医大の教授をしていた名医であり、十年ほど前に彼の生まれ故郷であるこの付喪牛に診療所が無かったことを懸念して、この地で診療所を開業したのだという。

 当然、腕は一流である筈だし、いかにスバルが神を守護する鬼として祀られていた存在だったからといって、医学に関しては素人だ。

 そんな素人に頭から否定されれば腹も立つだろう。


 しかし、スバルは既に弓月の身に何が起こっているのかを知り尽くしているようであった。


「ワァも本来の力を失ってるから、見えてくるまで時間がかかったけどな……。そろそろ妖力を持たないナァたちニンゲンにも見えて来てる頃合いだろ……。アレの力が徐々に増してるからな」


 そう言うとスバルはトコトコと開け放たれた処置室の戸口まで行き、その場でしゃがみ込む。

 そしてこちらを振り返り、「これを見ろ」とばかりにチョンチョンと床を指で指し示した。


 スバルに促されるまま月人も先生も、彼女の指差す場所をまじまじと覗き込む。


「何だ……? これは……」


 床は処置室の照明によって付着した汚れもわかるくらい鮮明に照らされていたが、その中に黒く細長いシミが見て取れた。

 いや……最初はこれも何かの汚れなのかと思った。が、違う。それは玄関から処置室の奥まで伸びた影だ。


「こいつが小姑の身体を蝕んでるモノの正体……いや、一部だな。触手のように伸びて小姑の身体に巻き付いてる」

「これって、いったい……」


 月人の問いにスバルは立ち上がると、向き直り、


「呪いだよ」


 忌々しげに答えた。


「それも強烈なヤツだ。さっき小姑を介抱しようとした月人を止めたのも、ナァまでこの呪いに侵食される恐れがあったからだ」

「あ……」


 弓月に触れようとした瞬間、すかさずスバルが月人の手首を掴み、非力ながらも目一杯の力で止めたのを思い起こす。

 あの時、スバルには既にこの影が見えていたのだろう。


「月人、家に戻るぞ。ホントはこんなところで悠長に話してる時間だって惜しいんだ」


 そう言ってスバルは月人の手を引く。やはり幼い子供のように非力ではあるが、しかし、その手からは誰よりも強い意志が感じられた。


「戻ってどうするのさ?」

「喜房が全てを知ってる。そこでナァは真実を聞かされる。そして……決断しなきゃならなくなる」


 捲し立てるように言った。

 どういう事なのだろう? 「決断」という言葉が引っかかる。

 でも……。


(仮に弓月を救う手段があるんなら、どんな事だってして見せる)


 躊躇っている暇など無かった。


「医者!」


 診療所を出る前にスバルは足を止めて、呆気にとられている先生の方を振り返った。


「最善を尽くすと言ったな。なら、何が何でも一日は持たせろ! もし弓月の身が半日と持たなかったら、ワァはナァを一生許さないからな!」


 そのオレンジ色の瞳には覇者の如き威圧感があった。

 こんな小柄な少女が、おおよそ持てるとは思えぬほどの威厳。見ているでけでも身が竦みそうになる。

 初めてスバルに出会った時にも彼女は殺気立っていたが、これほどの威圧感を見せた事はない。

 少なくとも月人は、こんなスバルを見るのは初めてだった。


 かつて京の朝廷を悩ませた鬼の王……悪路王アテルイ……。敵でありながら、時の征夷大将軍であるタムラマロにその死を惜しまれた程の者。その武人にして偉大なる王の血をスバルは確かに受け継いでいる。

 月人はスバルの内に秘めた力を垣間見た気がした。

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