第23話「提案」

 ハッキリ言ってしまえば、僕は朱莉を女性としてみたことは一度も無い。

 一度も無いし、今後もそれは無いと断言して言えるレベルである。

 ただ、それは今までの過程があったからではなく、単にシンプルな「朱莉は血の繋がった妹だから」というだけのこと。

 考えてみて欲しい、アニメや漫画じゃあるまいし、実の妹に恋をする兄がどこにいるというのか。

 いや、そんな現実逃避をしたところで、現に今実の妹から好意を寄せられているという事実に変わりは無いので、一概にそうだとは言い切れない部分もあるが、少なくとも僕にとって朱莉は大切な存在ではあるものの、妹として接することしか出来ないし、妹以上の存在になりえる可能性は皆無なのだ。


「そっか」


 七海は、満足そうな表情を浮かべカップに口をつける。

 すっかり時間も経ちコーヒーも冷めてしまったが、依然としてこの話し合いに終止符が打たれる様子も無い。


 そもそも今日は朱莉の様子の変化について話し合う予定だったはずなのに、どうしてこんな話題になってしまったのだろうか。


 七海は、朱莉が僕のことを好きだと言った。


 それはつまり、何らかの方法で、朱莉の内に秘めた想いを知ったということだ。

 彼女がこの件についてどこまで知っているのかは分からない。

 朱莉が僕を盗聴、盗撮するほどにまで歪んだ愛を持っているということを知っているのかもしれないし、もしかすればそこまで詳しいことは知らないのかもしれない。

 もし後者であれば、迂闊な発言は首を絞めてしまうだけだ。


「つまり優介は、朱莉ちゃんの思いに答える気は無いってことだよね?」


 こくりと頷く。

 僕にとって朱莉は妹以外の何ものでもない。


「それで、これからどうするの?」

「どうするって?」

「だから、優介は朱莉ちゃんの気持ちに応える気は無いんでしょ? だったらその事を朱莉ちゃんにハッキリ伝えたほうが良いんじゃないの?」

 七海が続ける。

「兄として、妹の間違った好意に気づいた以上は見過ごすわけにもいかないでしょ。それに、このままだと部活にも支障が出ちゃいそうだし……」


 それは、その通りだ。

 僕だってそれは分かっていた、それこそ何年も前に。

 だが、朱莉は僕たちが想像している以上に、歪んだ愛情を持っている。

 だからこそ僕は朱莉の僕に対する感情を否定しようとも、決して本人にその事を伝えることはしなかった。いや、出来なかったんだ。


 彼女にその事を伝えて、一体どうなってしまうのか分からなかったから。


 もしかすると、朱莉も納得して諦めてくれるかもしれない。

 だがその一方で、思いもよらない行動を取る可能性だって十分考えられる。

 相手は盗撮、盗聴を平気でするような人間だ、迂闊に行動には移せない。

 

「……そうだね、僕もまだちょっと混乱してるけど、七海の言ってることが本当ならどうにかしないといけないか」


 少し言葉を濁してしまう。七海が今すぐにでも何とかしようと提案してくるが、簡単にその案に乗ることは出来ない。朱莉の態度が読めないからだ。


 そしてもう一つ、これは僕が"今"行動を移したくない理由。


 それは、七海に対する小さな違和感。


 朱莉の中身を知っているからこそ、彼女が自分の秘密――僕に対する好意を誰かに相談するなど考えられないことで、だからこそ七海がその事を知っている、そして僕にその事を打ち明けている今のこの状況が、どうしても素直に飲み込めないのであった。

 もしかすると、本当に僅かな可能性ではあるが、朱莉と七海の関係が改善され、朱莉が素直に自分の内面を打ち明けたのかもしれない。

 だが、それは可能性としてはかなり低いはずだ。

 であるなら、七海と朱莉の間に、僕の知らない何かがある可能性も考えられる。

 それが何なのかは分からないが、少なくとも朱莉と七海の関係が良好になったという推測よりは、その方が適切だと思う。


「(ただ、七海にその事を尋ねても正直に答えてくれるかどうか……)」


 彼女がどのような手段で朱莉のことを知ったのかはわからない。ただ、それを尋ねて素直に答えてくれるかどうかは分からないのだ。

 更に言えば、そこから発展して朱莉の本性までバレてしまう可能性だってある。

 七海が朱莉の好意を知ってしまったのは仕方ないが、出来ることならこれ以上僕たち兄妹のことを知られたくはない。


 兄に好意を抱く、それだけならまだ一時の過ちとして誤魔化せるだろう。だが、『計画』を含む朱莉の常軌を逸した行動の全てが知られてしまえば、これまで通りにはいかない。もしかすると、七海から飛び火して他の人がその事を知ってしまう可能性だって考えられる。

 そうなってしまえば、必然的に好奇の目に晒されてしまうのは、朱莉だ。

 出来ることならそれは避けたい。だからこそこれまで朱莉のことは誰にも打ち明けなかったし、彼女との関係改善も少しずつ頑張っていこうと努力していたつもりだ。

 朱莉は大切な妹だ。今までの事があったとしても、それは変わらない。

 だから、可能であれば人知れずこっそりと、誰も傷つかない方法で、いつか朱莉の間違った感情に終止符を打てればと考えていた。


 そういう理由で、僕は今簡単に行動するべきではないと思っている。

 七海にも、これ以上のことは知られないように、この場を収めたい。


「朱莉との事は何とかしたいけど、僕から行動するのはどうなんだろう」

「どうして?」

「朱莉が僕のことを好きだっていう七海の話が本当なら、最近妙に距離を取っているのは、朱莉の中で感情の整理がつかなくなって混乱しているからじゃないのかな?」

「……どうだろう、そこまで詳しいことは私も聞いていないけど……でも、確かにその可能性も十分ありそうだよね」

「だとしたら、僕たちから行動するのはあまり得策とは思えないんだ。これ以上は朱莉を更に混乱させてしまうだけかもしれないし、今は様子を見たほうがいい気がするんだけど、どうかな」

「……確かに、そうだね」


 そう伝えると、七海は何かを考えるように静かになった。

 朱莉と七海の間に何があったのか。そして、ここ最近朱莉の様子がおかしいのは何が原因なのか。それが分かるまではなるべく事を大きくしたくない。

 ひとまずはこれで七海にも納得してもらって、あとは一人でなんとかしていければ……。



「……一つだけ、いい方法を思いついたんだけど、言っていいかな?」

 と、お互いに今後のことを模索していると、ふいに七海が口を開いた。

「要はさ、朱莉ちゃんが優介のことを諦めるキッカケがあればいい訳でしょ?」

「まあ、そういうことだね」

「でも、その事を優介から直接伝えるのは憚れると」

「……できれば朱莉自身で間違いに気づいてくれるのが一番かな。出来る事なら僕が関与せず解決してくれると良いんだけど」

「だったらさ、優介に彼女が出来ればいいんじゃない?」

「……え?」

 突然の提案に、思わず言葉が漏れてしまった。


「だから優介に彼女がいれば、朱莉ちゃんも諦めるんじゃないかなってこと。好きな人に彼氏彼女がいたら、諦める理由には十分だと思うけど……どうかな?」


 ……それは、方法としてあまり良いと思えるものでは無い提案だった。

 今の朱莉がどう思っているのかは分からないが、少し前までは僕に彼女どころか女友達すら許さないほどの感情を抱いていた。

 それほどまでに朱莉は僕が女性と関わりを持つことを嫌っていたし、僕自身も朱莉の事が落ち着くまでは誰かと交際は無理だろうと思っていた。


「……どうかな、確かに理由としてはアリかも知れないけど、それでまた余計問題が起きる可能性もあるし……それに、そもそも交際する相手がいないから無理だよ」

「いるじゃない?」

「え?」


「だから、私と付き合えばいいじゃない」

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