第14話



中華太源ちゅうかたいげんねえ。横川よこがわ近くなら、大概たいがい知っているけどな」

 恵の実家の話を聞いた年配の客は、首をかしげた。


「裏手の裏路地。狭い店じゃったから出前ばっかりしてたわ。もう、閉めて8年にもなるし」


 南北に真っ直ぐ、瀬戸内海へと注ぐ河川の中、東西に流れていたから横川。由来も粋なこの駅はJR広島駅から一駅。中華太源は横川駅裏手の雑居ビル一階で、雀荘、テレクラ、学生寮などへの出前を主にしていた。


「私が高2のとき父親が具合悪くなって岡山に引っ越したんじゃけど、私だけ広島に残ったんよ。うち、岡山嫌いじゃけぇ、すぐ学歴学歴言うから。学校も変わりたぁ、なかったし」

「雀荘で、数え切れんくらい出前取ったけどな」

「テレクラもやろ?」

 もう1人の客が、茶々を入れる。


「いちいち出前の店の名前なんか言わんでしょ、箸袋に名前あるぐらいで。店の人が受け取ってくれるから、雀荘もテレクラもないしね。それより学生寮がいややった。スリッパに履き替えんと靴のまま上がりたいくらい汚いんよ。小学生やのに部屋番と苗字確認して、わざわざ部屋の前まで届けさせられて。下の名前なんか聞かんから、部屋番忘れると、同じ苗字だと間違うし」

「今やったら部屋連れ込まれて、えらいことなっちゅうかもな」

「地方から出てきた学生なんか、何するかわからんじゃん。ほんま、親もなに考えててん」

「まあ生活の為やったんじゃろ。漢字覚えられて良かったのと違うか、ははは」

「“もろずみ”なんか読めんちゅうに」

 そう言うと恵は、コースターに “両角” と書いた。


「ほほう。こりゃまたええ名前や。相撲取りみたいじゃ」

 年配の客が目を細める。


 やり取りを耳で追いながら、美雪はすこし安心した。

 市内のラウンジでは売れっ子になりそうもないが、年寄り受けは良さそうなので、うちの店にはあいそうだ。

 直子も思いがけず真面目に働いているし、……家では何もしない子が。

 心配したが、来てもらってよかった。


 二人一緒に仕事をあがらせたいので、時間は遅くまで引っ張れないが、来週、知り合いの紹介で一人増えるから心配はいらない。

 沙織は相変わらずだが、新規の客を引っ張って逃がさない。

 辞めた二人分の客ぐらいは、直ぐに補いそうである。


 直子が入って母親の顔をしていた美雪が、経営者の顔になった。










            【メッセンジャーチャット内】

〔何とかしなきゃって、あれラバーカップって言うんだけど。あれで、スッポンスッポン必死でさw 犬は吼えまくってるしw〕

〔きゃははは。何それ。だってトイレのでしょ? 汚いww〕

〔んでさ、裸で両手塞がってっから、脇の下にパン挟んでんの〕

〔うげえw これだから男は…不潔すぎw 学生寮も汚かったもんね~〕

〔そう? おばさんが、小まめに掃除してたけど。女の人から見るとそうかな?〕

〔出前行かされるの最悪だったもん。でもそれで、珍しい名前は覚えてたんだけどね〕

〔まあ、俺の勲って字はそれほど珍しくはないけどね。小学生には難しいかも〕

〔ねえ、両角さんって覚えてる?〕

〔りょうかく? そんな人いたっけ。同じ学年じゃいないよ、多分〕

〔もろずみ〕

〔両角 お、本当だ。変換したら出てくるやw 両角www〕


 思えば、こんなに人と喋ったことがあるだろうか。密度で言えば別れた妻より多いかもしれない。その相手が、顔も覚えてない人間であるのを不思議にも感じるが、勲にとってこの深夜の会話は、生活の一部になりつつあった。 


〔あ、ごめん。ニクと繋がったんだけど、合流させて良い?〕

〔いいけど。俺、もう寝るから。じゃあ挨拶だけ〕

【ニクさんがログインしました】

〔どうもはじめまして。ニクです。岩ちゃん、お噂はかねがね〕

〔どもはじめまして。僕も磯から話聞いてますw 時間帯全然違いますもんね。ごめん。明日早いので俺もう落ちますね。また今度ゆっくりお話しましょう。ニクさん〕

〔おっけー。また今度ね。岩ちゃん〕

〔乙です。お二人〕

【岩ちゃんさんがログアウトしました】

〔ねえ、ウーロン〕

〔なに? ニク〕

〔おっちゃんとしゃべって楽しい?〕

〔おっちゃんてw ホストの磯ちゃん自体おっちゃんじゃんw〕

いそも岩ちゃんも大阪じゃん。メリットなくない?〕

〔別に距離は関係ないでそw 〕

〔マシンガンなんか大阪だから、リアルで磯と会ったじゃん〕

〔別に。私、彼氏いるから。男の人と会うつもりないもん、リアルで〕

〔彼氏って言っても不倫じゃん。そう言うの良くないし、自分が傷つくだけだろ〕

〔好きなんだからしょうがないでしょ?〕

〔でも・・〕











 規則正しい生活。

 夜のスナックのアルバイトが、それに相応しいかどうかは別にして、決まった時間に働く行為は、直子を少しずつ変化させていた。

 仕事は殆んど洗い物や片付けで、高齢で客筋きゃくすじの良い母の店では、偶に酔客にからかわれる程度で精神的な負担もそれほどない。


 同時に、あれほど気にしていたコミュや広場はほとんど覗かなくなり、覗かなくなれば、益々ますますそれが気にならなくなる。

 そんな単純なサイクルの中に直子はいた。


 昼すぎに起き、祖母と一緒に家事の真似事まねごとをして、夕方6時に店に行き、店が終わると気の合う仲間たちとテレビを見ながらチャットをする。

 なりすましも、男達をその気にさせる遊びもやめてしまった。


 そもそも、そんな暇がない。


 5時間ほどの労働で、変わる価値観。



 最近は、向こうに下心がない方が、楽に感じて居心地が良い。

 今までは好奇心や刺激を求めて日常と違う世界を追っていたものが、その世界を、逆に日常に取り込んでゆく。

 それそのものが平静な日常に、直子の中でなりつつあった。



 真央とは、暫く会っていない。

 時間が合わないし、外泊のアリバイ役の恵が一緒に働いているのだからそれは仕方なかった。

 それに、真央の感情に少し違和感を覚えたのも理由のひとつ。


 ただ、それをはっきり認識するのが嫌だった。


 真央との友情は壊したくない。

 彼女と交わした性的な遊びはあくまで遊びであって女性を好きになることはない。他人から見れば仰天しそうな状況も、直子の中では成立し、そして成立すると思っていた。

 今現在の悩みと言えばそれくらい。



 驚くほど淡々たんたんと日々は過ぎ、アルバイトを始めて直ぐに3ヶ月が経った。






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