スマホは無政府主義をもたらすか ~カコトリアンリポート~

石渡正佳

夢の国へ

1 ダブルスピンアウト

<題字>


 いくつかの政体のうちでどれかを選ぶことが可能な場合には、もっとも害の少ない政体を選ぶ義務があります。もっとも害の少ない国家とは、私たちが国家によって枠づけされることがもっともすくない国家であり、ごく普通の市民がもっとも多くの管理権をもつことができる国家(地方分権、国家の諸問題にかかわる秘密保持ではなく、情報公開、大衆文化の存在)です。

 (シモーヌ・ヴェイユ著 『哲学講義』 アンヌ・レーノー編 渡辺一民・川村孝則訳/人文書院)


<夢の国へ>


 人生最悪の日だった。午後8時、衆議院議員総選挙の選挙報道が開始されるや、開票率0%ではやばやと落選が確定したのだ。同時に破産も決定的になった。当確が打たれていれば人生最高の日になったはずなのに。

 落選者の選挙事務所になんかだれも顔を出しやしない。メディアも泡沫落選者の取材になんかきやしない。一人で選挙特番を視ていてもしょうがないので、歌舞伎町に飲みにでかけた。壱番街はいつもの日曜日と変わらず雑踏していた。すれ違う老若男女のだれもここに落選者がいるとは気づかない。この程度の知名度で当選するはずもなかった。中身はバッタ物になっても、スーツとネクタイだけはグッチだった。当選会見用に伊勢丹メンズ館で新調したのだ。それでもやはり選挙結果が気になり、テレビのある居酒屋に陣取って安酒を飲みながら、もはや他人事になってしまった開票速報を視続けた。

 周囲の客が選挙を話題にしていた。「期待の党は期待外れ党だったね」そんな皮肉が聞こえてきた。いまさら耳に痛くはない。そのとおりなんだから。期待の党から立候補した同志の開票結果は惨憺たるものだった。政権交代を期待して鳴り物入りで立てた候補者236人のうち当確が打たれたのは50人だった。しかもその大半は民正党から鞍替えた前職議員で、独自候補の当選はたったの2人だった。

 期待の党の党首、大河地忍が党首辞任を口にしているインタビューシーンがテレビ画面に流れた。「新党旗揚げはなかったことにしたい」とすら述べていた。さすがにこの時ばかりは目が潤んだ。切り捨てられたのだ。いやとっくに切り捨てられていたのだ。こっちだって立候補なんかなかったことにしたい。


 1か月前、期待の党の公募候補者となるために、とある自治体を辞め、親の遺産と退職金をすべて選挙につぎ込んだ。いまさら言ってもしょうがないけれども、国会議員となって地方創生をやり遂げたかったのだ。ほんとうは縁故がある地元から立候補したかった。付け焼刃ながら、ふるさと創生マニフェストも自力で作成した。しかし地元では前職候補とバッティングするため東京都新宿区選挙区からの立候補となった。このためマニフェストは発表できなかった。知名度ゼロ、地縁ゼロ、新党ブームに便乗しただけの落下傘候補だった。それでも当選できると思っていた。新宿区民をなめていた。

 退職金はまだ出ていない。それを担保に借金したのだ。ふたを開けてみれば得票は供託金没収点(有効投票数の10%)にも達しそうになかった。落選した期待の党の同志のいったい何人が、せめて供託金を取り戻せただろうか。

 いまから思えばこの結果は立候補届けをした日にはもう確定していた。党首が出馬しなかったからだ。党首が出馬しない新党で選挙戦を戦えるわけがなかった。

 いやいやその前から負けはもう確定していた。民正党からの鞍替え希望者を主義主張にかかわらず受け入れるのかと聞かれた党首が「セレクトします」と発言したときだ。いまさら悔やんでもしょうがない。これが痛恨の自殺点だった。政権を奪取して総理になることができないと確定してしまったから、党首は参議院議員を辞めてまで出馬しなかった。メディアが「シノブセレクト」とはやすたびに支持率が下がっていった。党首は公認候補をセレクトしたのではない。自分をセレクトしたのだ。

 なんぴとたりとも主義主張によって排除してはならない。それがこの選挙から得た教訓だ。


 いったいどうしたかったのか、どうすればよかったのか、いまさらながら頭を冷やして考えてみた。

 当選したらほんとうにふるさと創生をやり遂げられたのだろうか。期待の党の候補者が全員当選して政権交代が実現したらなにが変わったのだろうか。首相ですらこの国を変えることはできないのに、泡沫候補者がまぐれで国会議員になったからといってなにを変えることができるだろうか。自治体に15年間勤めてなにも変えられないことを嫌というほど目撃してきた。だれが部長になろうと、だれが副知事になろうと同じことだった。だれが知事に当選しようと半年もすればだれが知事なのか忘れられた。国も地方と同じだ。いや、変化がないのは国の方がもっとひどい。

 だれもがチェンジしたくてうずうずしている。大河内党首だってチェンジしたかったのであり、セレクトしたかったのではない。

 政治はこれまでなにを変えようとしてきたのか。これからどう変えていけばいいのか。

 優秀なブレーン(官僚)がいるから、改革メニューはとっくに出そろっているかに見える。評判の悪かった民主党政権も、その前の自公政権も、そのあとの自公政権も、隣り合ったラーメン屋みたいに、メニューはそれほど変わらない。テレビで話題になったほうにだけ一時的に行列ができたりするものの、味は五十歩百歩である。つまり革命には程遠い。

 そのメニューを見てみると、一番人気は少子高齢化(出生率対策と保育対策)、ついで同一労働同一賃金(非正規雇用対策)、そして雇用機会均等(女性・障害者活用対策)で、この三大看板メニューは女性客が主なターゲットのようだ。しかし食べてみるとまずくて食べられない。話題性だけで食材がけちられていて水っぽいのだ。

 男性客に人気がある硬派メニューは、憲法改正、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)、法人減税・消費増税である。

 最近のヒットメニューは防災である。てんこ盛りが特徴で、おかわりも自由、大食漢に大人気である。しかし消化不良の結果、下痢がとまらず、かえって痩せてしまう。

 裏メニューは脱原発だが、高すぎてだれも食べない。実は儲かるメニューなのに。

 そして忘れてならない長寿メニューが地方分権で、ふるさと創生1億円交付金、三位一体改革、地方創生など、名前を変えてときどき客寄せメニューとして提供されるものの、長続きしない。このメニューに欠かせないスープである税源を、財務省が出し渋るからだ。だけど地方をだめにしたのは財務省だといまさらなじったところで後の祭りだ。


 「排除」はミシェル・フーコーのキーワードだった。本気で政治を変えるにはなにが排除されているかを見極め、排除をやめなければならない。つまり大河内党首は真逆のことをやってしまった。

 排除されているものの第一は「地方」である。このため全国的な人口減少とリセッションの中、三大都市圏(東京・名古屋・大阪)や地方中核都市(札幌・仙台・広島・福岡)への人口と産業の集中が続いている。

 第二は「弱者」である。弱者には、高齢者、障害者、一人親などの社会弱者、非正規雇用労働者、中小企業労働者などの雇用弱者、非白人系在日外国人、実質的な移民労働力である外国人留学生や外国人研修生などのマイノリティがある。

 第三は「小国」である。大国が小国を排除する(劣後国として利用する)のだが、大国と小国の定義は相対的である。冷戦時代のアメリカ、ソ連から見れば、今やアメリカといえどももはや超大国ではない。それでも凋落したとはいえ、アメリカから見ればすべての国が小国であり、すべての国が排除される。これがトランプ大統領のアメリカファーストである。中国から見ればアメリカ以外は小国であり、日本もロシアもヨーロッパも排除の対象になる。

 日本から見れば韓国は小国で、歴史的に何度も侵略した。ところが韓国はあらゆる歴史時点で日本の侵略を認めておらず、すべての戦争で日本に勝利し、逆に日本を侵略したことになっている。実際たとえば元寇の主力部隊は朝鮮軍だった。北朝鮮もある意味では小国として排除されている。大国なら核もミサイルも国際社会から容認されているからである。

 アジアの小国は経済成長のただなかにある。とくにインドシナのベトナム、タイ、マレーシアの成長率は著しく、これが刺激となって他のアセアン諸国も追い上げている。早晩複数のアセアン諸国が、日本や韓国から見て小国ではなくなるだろう。


 排除される側があれば排除する側もある。カール・シュミットの「例外状態」である。

 政治家は排除する側、例外者の側にいる。このため政治家に任せていても排除はなくならない。

 排除する側には政治と結託した四代勢力ないし六大勢力がある。四大勢力とは政官財教のカルテット、六大勢力とはこれに報暴を加えた政官財教報暴のヘキサゴン(六角形)、あるいはダブルトライアングルである。

 政とは政治家(国会議員、地方議員、地方自治体首長)、官とは官僚(中央省庁キャリア、都道府県・政令指定都市キャリア)、財とは財界とくに大企業、教とは教育と宗教とくに大学と新興宗教、報とは報道とくにテレビ局、暴とは暴力団と右翼・民族団体である。アメリカでは官より軍が強く、軍産複合体とよばれる。

 さらにこの六大勢力に、医師、弁護士、タレント(俳優、ニュースキャスター、フリーアナウンサー、芸人、モデル、評論家等々を含む)、プロスポーツ選手が加わって、十大特権的職業となる。

 これら特権的職業が世襲化することによって、排除の構造、例外者の構造が完成する。

 この構造を壊すには革命が必要である。この国にほんとうに必要なのは政治家ではなく革命家である。民主主義だの自由主義だの法治国家だのと中学生でもわかりきったことを言いながら、利権と名声を守ることに汲々としている政治家ではなく、民主主義も自由主義も法治国家もくそくらえとばかり根本から転覆させられる底力のある革命家だ。だがそれはあまりにも時代錯誤な夢だ。いったいこの複雑な社会にどんな革命家が、どんな革命思想が立ち向かえるというのだ。


 選挙事務所に戻っても自宅に戻っても銀行員やら債権者やらが大挙して借金の取り立てにやってくるだろう。選挙事務所は明日が期限で退去になるし、自宅も競売になるだろう。もうどこにも居場所がないのだ。明日からはニートの仲間入り、多重債務者の仲間入り、それどころかホームレスの仲間入りだ。社会を脱構築する前に、己を脱構築せねばならない。

 そう思ったら、あとは酔いつぶれるしかなかった。

 「セレクト、セレクト、セ、レ、ク、ト」そうつぶやきながら深夜の歌舞伎町を逍遙した。起きたら死んでたいと思った。


   *** *** ***


 気がつくと冷えきった路上に寝たまま朝を迎えていた。歌舞伎町のどこかなんだろうと思いきや、どうも様子が違った。それなら朝まで雑踏が途切れることはない。ところが街はこぎれいで、耳につく騒音がなく空気が澄みきっている。ぎらつくネオンサインもないし、目障りなはみ出し看板もない。しつこい黒服のキャッチ(客引き)もいない。

 いったいここはどこなんだ。そう思いながら立ち上がった。二日酔いのはずなのに頭はすっきりしていた。

 今まで行ったことのある街の中ではパリのシャンゼリゼ裏路地に似ていると思った。建物がヨーロッパ風もしくはコロニアル風だし、路上にテーブルを出して営業しているカフェがいくつもあったからだ。そんなカフェの一つに近づいてみると、朝食にカフェラッテを飲みながらクロワッサンを食べている客がまばらにいた。店名は読めなかった。見たことがない文字なのだ。それでも世界的に人気があるイタリア系もしくはシアトル系のバルだということはわかった。

 路上で給仕をしていた店員から聞いたことがない言葉で声をかけられた。たぶん、おはようと言ったのだと思い、「グッモーニング」と言ってみた。「グッモーニング」と返ってきた。英語は通じるのだ。

 財布からクレジットカードを出して、使えるかという意味で店員にかざした。カードが使えたのでカプチーノを頼んだ。コーヒー豆は高級品だった。この街は、あるいはこの国は信用できると思った。


 しばらくするとカフェはスマホを携えた会社員風や学生風の男女でしだいに混雑してきた。東京でも見慣れた光景なので、ここが見知らぬ土地だという不安感が薄らいだ。

 自分のスマホも取り出してみた。案の定圏外だった。やはりここは東京ではないのだ。いや日本ですらないのかもしれない。それならいったいどこなのか。可能世界あるいはシミュレーションアーギュメントの世界に紛れ込んだのか。その疑問を晴らすため、路地を離れて表通りに出てみることにした。表通りなら国名や地名の手がかりがあるはずだ。

 ところがどこまで行っても路地ばかりだった。表通りらしい広い通りはあるにはあったものの自動車が走っていなかった。都心への自動車の乗り入れを禁止している北欧の街なのかと一瞬思った。しかし高速鉄道や路面電車や水素バス(燃料電池バス)は乗り入れているはずだ。信号機も道路標識も案内標識も、どこにも見あたらなかった。この街には自動車ばかりか一切の公共交通機関がないようだった。まるでヴィクトリア時代だ。いやそれだって馬車も汽車もあるだろう。

 たまに見かける乗り物は電動アシスト付きシェアバイクだけだった。デザインが共通だからシェアバイクだとわかるのだ。パリのヴェリブから始まって、いまや世界中の大都市に広まっている都心の交通手段だ。そういえば地方創生マニフェストにも自転車モーダルシフトの項目を入れた。どんな乗り心地なのか試してみたかった。しかし借り方がわからなかった。


 しばらく街をさまよい歩いて、結局また元のカフェに戻った。そこがホームのような気がしたからだ。そこで二杯目のカプチーノを頼んだ。心が洗われる味だった。コーヒーがこんなにうまいと思ったことがなかった。少なくともここは地球だと実感できた。

 東京はどうなっているだろう。銀行員や債権者は失踪したと思ってあせっているに違いない。自殺したと思っているかもしれない。退職金と自宅の競売で借金はなんとか埋められるだろう。本人がいなくても銀行がすべて差し押さえるだろう。

 いやそうはいかない。やはり選挙事務所に戻って自分できまりをつけるべきだ。だが帰り方がわからない。もう一度眠れば夢から覚めるのだろうか。そう、これは夢に違いない。フロイト流の現実逃避の夢だ。落選のショックはそれほど大きいのだ。

 どこで眠ろうか。とりあえずカフェの椅子に座ったままで目を瞑ってみた。とたんに周囲の話し声が耳に入ってきた。英語だった。お客にも英語を話している人がいるのだ。だれだろうと目をあけて声の主を探した。女子学生のようだった。スウェットにデニム、ミディアムボブの茶髪、世界中どこの都市にでもいそうな貧乏くさい学生だ。風俗のバイトでもしていないかぎり学生のファッションはそんなものだ。それがキャンディ(仮にそうよぶことにする。だれからも愛されるかわいらしい名前で、ちょっぴりセクシーでもあり、彼女にふさわしいと思うからだ。本名はのちに明かされる機会がある)との出会いだった。彼女は一人だった。スマホに向かって英語で話しかけていたのだ。ボイスラインなのだろう。

 あとで確かめたところでは社会学を勉強している学生だった。17歳だというから高校生の年齢である。しかしここには高等学校がないので高校生ではない。彼女の容姿は必要になるまで詳細には触れずにおこう。


 「通訳をやってもらえないだろうか」ボイスラインを終えるのを待って思い切ってそう英語で声をかけた。

 彼女は顔を上げてこっちの目を見た。いけると思った。無視するつもりなら目を見ないものだ。選挙戦でもそうだった。

 「どういうことですか」

 「なんと説明していいのやら。映画やドラマではよくあるでしょう。気がつくと見知らぬ場所や見知らぬ時代にいる。そんな感じなんですよ。病気なのかもしれないから病院まで案内してくれてもいい。不審者として警察署に連れて行ってもらってもいい。そこからはなんとかしてみる」

 「ここには病院はないし、警察署もないわ。必要なことは全部ネットですませるの。スマホは持ってるの?」

 「持ってるけど圏外なんだ」

 「ならスマホショップに行ってみようか」

 「そうしてもらえると助かる」

 キャンディの案内でスマホショップに向かうことになった。

 道すがらここはどこなのかと彼女に尋ねた。この質問自体不審である。東京にいて見知らぬ人からここはどこなのかと聞かれたら気味が悪いだろう。

 「あなたこそ、どこから来たの」と聞き返された。

 「TOKYO」

 「ああ日本の首都ね。そういえば東洋訛の英語だものね。ここはカコトリアの首都エリアフォーのウェストブロックよ」なぜか彼女は東京からどうやって来たのかと聞かない。もしかして日本人は珍しくないのか。

 「カコトリアに来る日本人は多いのかな」

 「たぶん、あなたが最初の日本人かも」そっけない言い方だった。

 大通りがなく、自動車がない理由もついでに聞いてみた。

 「ロードレボリューション(道路革命)」と彼女はやっぱりそっけなく答えた。

 10分ほどでスマホショップに到着した。日本でも知られたブランドが並んでいた。しかしよく見るとバージョンが違っていた。国が違うだけではなく時代も違うのかもしれないと思った。

 IDがなければスマホを買っても使えないと言われた。それでもキャンディが買ったほうがいいというので、一番売れ筋のイオタフォンを勧められるままに買った。ショップで為替レートを聞いたところ、ドル換算で3000ドルだった。カフェでもスマホショップでもクレジットカードが使えたので、時代が違うといっても何百年も離れてはいないようだ。せいぜい一、二世代、数十年のズレだろう。ちょっとしたタイムスリップだ。


 キャンディはもとのカフェに戻った。そこが彼女にもお気に入りなのだ。この国ではパッセージ(通路)とよぶストリート(街路)にはほんとうに1台も自動車が走っていないので、道すがらどのカフェも路上の真ん中までテーブルを出しており、店内は空いていても、路上の席はどこも満席だった。

 再びカフェに陣取った彼女はカフェラッテを頼むとパソコンを開き、ワイヤレスヘッドフォンをスマホに接続した。音楽を聴きながらオンラインで勉強する光景はどこの国の学生も似たようなものだ。周囲も同様にパソコン、スマホ、ヘッドフォンの3点セットで武装した学生ばかりだった。

 彼女は買ってきた白ロムのスマホを使えるようにしてあげるからといって一時間ほどパソコンで手続きをしていた。途中名前を聞かれたり、クレジットカード番号を教えたり、顔と指紋の写真を撮られたりした。

 「IDが取れたわ。すぐにカードが届くと思う」

 彼女がそう言うなり上空からドローンが舞い降りてSIMMカードが届けられた。自動車がないこの街の物流はドローンによっているのだ。

 届いたばかりのカードをスマホにセットしたとたん、在留許可というメールが届いた。「政治学研究生として1か月の滞在を許可する 政治報告を毎日少なくとも1回ブログにアップすることを条件とする 居住地としてホステルを指定する」と英語で書かれていた。

 在留許可がネットで取れるのかと驚いた。その反面スマホに物理的なカードを差すところはわりとまだアナログだと思った。

 居住地とされたホステルは25歳までの学生が無料で利用できる共同住宅だった。他の国のシェアハウスに近いものである。ホステルはいくつもあり、キャンディもカフェの近くのホステルに住んでいた。

 「政治学者じゃないんだけど」と届いたメールをキャンディに見せながら言った。

 「それならなればいいじゃない」と彼女は笑った。笑顔がチャーミングだった。「ほら、床屋政治学者ってあるじゃない。みんなそんなものよ」

 それを言うなら床屋政治家だ。

 「25歳は若すぎないか」それが在留許可証に表記された年齢だった。

 「在学証明書を買ったのよ。見た目の年齢なんてだれも気にしてないし、東洋人は若く見えるから」キャンディは年齢を偽って在留許可を申請してくれたらしい。

 「ばれたらどうなるのかな」

 「さあ、知らない」

 「滞在期間がすぎたらどうなるのかな」

 「さあね」

 「通訳はやってもらえるのかな」

 「もうやってるじゃないの」

 「この国の政治体制は一言で言うとなに。大統領制なの、それとも議院内閣制なの」

 「どっちでもない。ここには政治家はいない。大統領も首相もいないし国会もないわ」

 「え、どういうこと」

 「それを報告すればいいんじゃない」まあ、確かにそうだ。

 そんなわけでカコトリアに1か月滞在し、政治報告をすることになった。これがその報告、カコトリアンリポートである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る