第5夜 栄光
「それで、今やっている仕事を辞めて、過去の栄光を元にバンドを再び組んで、それで一生を暮らしたいと思うのかしら。鳥壱さん?」
彼女は先程よりも一層目を細め、より一層意地悪そうな笑みを浮かべながら男に質問した。
まるで、この男を試しているかのように。
鳥壱はその質問に対して、また例の如く眉間に皺を寄せて目頭を押さえ、しばらく考えた後、静かに首を振りながら答えを言う。
「……いや、きっと無理だと思う。美奈さんが言ったように、所詮は過去の栄光を美化したに過ぎないのかも知れない。学園祭だもんな。その場の『ノリ』ってヤツがきっとあったんだろうな。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損……ってね。だから、それを元にご飯を食べていくなんて到底無理な事だと思う」
彼女はその答えを聞き、片方の眉を吊り上げた。
「その夢は諦める、という事かしら?」
鳥壱は項垂れ、両肩を落としたまま頷いた。
まるでこれから、死刑執行でもされそうな有様である。
しかし彼女は、失意のどん底にいる鳥壱に追撃を仕掛けるように言葉を重ねる。
「それを目指すのは止めて、安定している今の仕事を続ける、という結論で良いのかしら?」
その答えを聞いて、鳥壱はもの凄く嫌そうな顔をしながら激しく首を振った。
その結論が嫌だからこそ、こうして悩んでいるのだ。
「じゃあどうするの?」
鳥壱は目の前にぶら下がっている答案用紙から眼を避けるように、眉間に皺を寄せながら目頭を押さえ、頭をフル回転させて思案する。
彼女はそんな光景に飽き飽きしながらも、悩み続ける彼を見ていた。
「そうだ、中学時代にも夢があったんだ!」
鳥壱は再び光を見つけ、勢いよく顔を上げた。
「僕は中学校の頃、サッカー選手になりたいと思っていたんだ。その時僕は、ディフェンダーを務めていたんだ。友人に田中ってヤツが居たんだけどね、そいつと一緒にディフェンダーをしていて、仲間内からは『七岡中のガーディアン』なんて呼ばれていて他のチームから恐れられていたものさ。……本当だよ、お願いだからそんな怪訝そうな顔をしないでくれ。県大会の上位に食い込んだ事だってあるんだから」
彼女は先程よりも大きなため息をはき、冷ややかな視線を送りながら、また自分の答えを淡々と語り始めた。
「そんな前置きはいらないわ。貴方がどんなに素晴らしい功績を残して、どんなに輝かしい中学校時代を送ったかなんて、私にとってはどうても良い事なの。大事なのは、今話していることは、『貴方が今の仕事を辞めて、そしてそれを一生の仕事にしたいのか』、という事なのよ。分かったかしら、鳥壱さん?」
彼女は片方の眉を上げ、鳥壱を指差しながら言った。
――一生の仕事に? プロサッカー選手に?
見慣れたというべきか、見飽きたというべきか、鳥壱は眉間に皺を寄せて目頭を押さえ、唸りながら考える。
そうして出た結論が、やはりというべきなのか先程と同じように男は首を振った。
「とてもじゃないけれど、今その夢を目指すには遅すぎるよ。僕は次の誕生日で二十三歳になるけど、あと数年で成長のピークを迎えることになる。高校に入ってからサッカーなんてほとんどやってなかったし、あまりにもブランクが長すぎるよ」
彼女は大きなため息をはきながら、眼を細め、呆れた様子で鳥壱を見ながら言う。
「つまり、諦めるということかしら?」
鳥壱は両肩を落とし、深いため息を――それでこそ、『漢の人生』に於いて欠かせない物を壊されたような深いため息をはき、力無く頷いた。
「結局、今の仕事に落ち着く、という結論で良いのかしら?」
鳥壱はその答えを聞くと、苦虫を噛み潰したような顔になり、激しく首を振った。
――その結論だけは嫌だ。
毎日毎日、自宅と会社の行き来を繰り返す。
変化も、進化も無い。
ただ毎日満員電車に乗る。
人混みにまみれる。
同じように疲れたサラリーマンの背中を見ながら階段を昇る。
当たり障りのない会話をする。
特に楽しくもない仕事を淡々とこなす。
家に帰っては一人酒をしながら晩飯を食べる。
明日に備えて早めに寝る。
そんな、くだらない毎日。
生きているのか死んでいるのかも、どんどん分からなくなっていく。
そんな日常に嫌気が差したからこそ、変化を求めて悩み続けるのだ。
そして、皺が付くほど寄せた眉間を飽きずに寄せ、跡が付くほど押さえた目頭をまたしても寄せた。
彼女に言っているのか、自分自身に言っているのか、うわごとのようにレーサー、小説家、漫画家、郵便屋さん、政治家、教師、料理人、などと男がなりたかったという職業を次々と挙げていった。
それらに一貫性はなく、本当に思いつくままに言っているようにしか聞こえなかった。
彼女はそんな煮え切らない態度に苛つき、
「鳥壱さん、ハッキリと言いましょう」
そう冷たく言い放った。
鳥壱は思考を中断し、顔を上げて彼女の顔を見た。
彼女は鳥壱の眼を見つめる。
裸の姿を見られたような気恥ずかしさを感じた。
「貴方は、その職業を辞めるべきではないわね。貴方は言った筈よ。今の仕事は上手くいっている、と。なら、辞めるべきではないのよ。人には向き不向きがあるわ。適材適所よ。不向きなら、巧くいかないもの。貴方がどんな仕事をしているのかは、私は知らないわ。でも、きっと、貴方にとってその職業が天職だったのよ」
淡々と、感情が籠もっているべき言葉なのに無感情な声で、彼女なりの答えを語った。
だが、鳥壱はそれを鼻で嘲笑った。
「天職……? 今僕がやっている仕事が? 冗談は止してくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます