1章 唯

1話 登校


 コケコケコケコッコキャキャキャキャ!!!


 目覚ましの音と共に重たい瞼をゆっくりと開く。ニワトリの形を象る目覚まし時計から放たれる騒がしすぎる目覚まし音に対して、もはや日課になってしまったストレスを活用して何とか起床に辿り着いた。

 この不細工な目覚まし時計は中等部に上がった時に向日葵に貰ったプレゼントだが、途中から発狂しだすのはどういうことか。幼馴染に貰ったという体でなければとっくに捨てている事は間違いないだろう。


 高校2年に進級したというのに未だに朝が弱いことを考慮すれば、まあこの不細工も一応は活躍しているといっても過言では無いけど。何とも複雑な心情ではある。



 朝の気だるい体にムチを打って寝巻きのTシャツと短パンを脱ぎ捨て、クリーニングに出されて新品の様に綺麗になっているYシャツに袖を通した。


 我らが通う蛍光院学院は東京都に存在する私立の小中高一貫校であり、日本屈指の進学校。高い偏差値を誇り、校舎も広く未だに真新しい。制服はブレザーではあるが、かなりシンプルな造りで校章すらついていない。男子に到っては一見スーツに見られてもおかしくは無い。女子は勿論スカートではあるが、男女ともにネクタイ着用。お洒落とはとても言い難い、何とも色気の無い制服である。

 両親のそれなりに厳しい教育の賜物で兄妹揃って小学校受験に成功し、そのまま兄妹共にエスカレーター式に進学し現在に至る。



 ネクタイを締めながらリビングに入ると妹のゆいがエプロン姿で丁度朝食の支度を済ませた瞬間に遭遇した。

 この光景事態がもう世間一般で萌えポイントに直結してしまう人も多いだろうが、欲を言ってしまえば「おはよ!お兄ちゃん!御飯出来てるよ!大好き!」なんて言って貰えると、悶え死ぬこと間違いなしなんだが。

 悲しいかな。我が妹にそこまでの萌え要素は詰め込まれておらず、朝の挨拶は基本的に省かれる事が多い。



「涼、あと20分で出なきゃだからさっさと食べよ?」



 これである。何とも可愛げが無い。お兄ちゃんすら無い。

 昔はもっとお兄ちゃん大好きだったのに……。なんて口に出せば面倒な事になるのは見えているので何も言わずに食卓に着いた。

 両親は仕事の都合で海外にいる事の方が圧倒的に多いので、4つ存在している椅子も基本的には2つしか使わなれない事がこの家では普通と言っていいだろう。



「醤油。」


「ん。」



 と、この会話のみで朝食が終わり、唯が食器を片付けている間に歯を磨き、遅れて水面代にやってきた妹の横で寝癖を直す。革製の手提げ鞄の中身を確認しスーツに間違われそうなジャケットを着れば、毎朝の決められた工程は全てが終わりを迎える。



「ネクタイ。」


「ん? ああサンキュ。」



 休日以外の登校日の朝は基本的にこの流れが淡々と行われる。アニメの様な楽し気な朝食の風景などは幻想であり、これが現実。妹には萌えず、ツインテールにも萌えない。妹に言わせるとこれはツインテールではなくツーサイドアップという髪形らしいのだが。


 靴ベラを二人で交互に使い玄関を出る。


 そう、現実ではここからが萌えの始まりであり、社会の始まりなのだ。





「涼ちゃんおっはよ! 今朝はよく眠れた~?」



 玄関を出ると眩しい程の笑顔をこちらに向けてくる少女。

 彼女は結城向日葵ゆうきひまわり。幼稚園から既に知り合っていた生粋の幼馴染。赤みがかかった茶色いショートカット、もみあげの部分が少し伸びているのが特徴的でそこから覗く完璧に整った顔立ち。スタイルも抜群、まさに自慢の幼馴染である。



「おはよう向日葵。寝すぎて眠い……。」


「ええ! それ本末転倒だよ!?」


「あはは……まあ冗談だけど、俺が朝弱いの知ってるだろ?」


「もちろん知ってるよ! 毎朝涼ちゃんがちゃんと起きれてるか心配してるもん~!! ほ、ほんとは毎朝起こしてあげられたらいいんだけどね……?」



 モジモジしながら顔を赤くし、恥ずかしそうな態度を取る向日葵。こんな姿を我が学校の男子生徒が見れば即卒倒してしまう事間違いないだろう。幼馴染の俺でさえもグッとくるものがあるのだから。

 実際、向日葵はうちの学校の男女関係なく絶大な人気を博している。男子だけでは無いという所がポイントであり、女子からも支持を得ているのは一概にその気さくで優しい性格の賜物だと思う。何やら学院3大美女にすら選ばれているのだとか。



「いや流石に悪いし、向日葵にそこまで迷惑かけられないよ。」


「ええ~! 遠慮しなくてもいいのに~! む~! 涼ちゃんの為ならそれくらいお茶の子さいさいだよ~!!」


「ははは。ありがとな、まあ毎朝あの不細工なニワトリに起こして貰ってるからさ。」


「あっひっどーい! 不細工じゃないもん! 可愛いもん!」


「いや不細工だろ! しかも鳴き声まで不細工なんだよな!!」


「もお~! 涼ちゃんであっても、あの子を虐めるのは許さないからね!!」



 ポカポカとこちらを叩いて来てはいるが、全く痛くないし、むしろ可愛い。こんな可愛い女の子に彼氏がいないというのも不思議な話だ。本人曰く、好きな人はいないとのことだからまあしょうがないのかも知れないけど。

 そうはいっても毎日の様に告白はされるようで、バッタバッタと切り捨て続けているらしい。なんて羨ましいやつ。俺なんて昨日振られたというのに……。



「そういえば涼ちゃんお弁当、今渡しておくね! お昼は今日ちょっと用事があるからさ……。ってか彼女いるのにこういうのは普通に迷惑かな……?」


「いや普通にありがたいよ! てかまた男子に呼び出されてんの!? 羨ましいにも程があるな……。あー……てか彼女なあ……」


「よかったあ~。いやまだそういうのかは分からないよ? 来てほしいって言われただけだからさ。ん……? 彼女さんと何かあったの……?」


「さんきゅ。いやもうそれ告白確定だろ!白々しい! いやあ……なんか昨日振られちゃってさ……あはは。」


「え!?!?! ホント!!?!?」



 それまでの会話の流れをフっ飛ばして、向日葵は状態をこちらにグイッと寄せて来た。持ち前の運動神経のおかげか、信じられない速度で俺の間合いに入って来ていた。もし今が戦国時代でお互いに侍として一騎打ちをしている最中だったのだとしたら、確実に俺は死んでいた事だろう。

 向日葵は目をぱちくりとさせて事の真偽をかなり気にしているようだった。向日葵も年頃の少女だけに恋バナには目が無いのだろう。



「あ、ああ。なんか急に振られちゃってさ……はは……はあ。」


「そうなんだ……そっか……そっかそっかあ!!」


「な、なんだよその反応……。」


「え……? いや別になんでもないよ? いやでも、そうなんだなあって思ってさあ~。」



 何が「そうなんだ」なのか良く分からないが、向日葵の表情は心なしか明るいものに変わっているようで頬が少し染まっている。



「え、じゃ、じゃあさ、じゃあさ。今日の放課後とか……前みたいにどっか2人で……」



 今度は恥ずかしそうにモジモジと体をくねらせる。コロコロと態度を変える忙しい向日葵の言葉を遮るように今まで一言も言葉を発していなかった唯が、後ろから唐突に冷たい声で割り込んで来た事に少し背筋が冷える感覚を覚えた。



「残念。今日の放課後は私と涼は生徒会なの。またの機会にしてね? 向日葵ちゃん。」



 その台詞を聞いた向日葵の表情が一瞬固まった様に見えた。見間違えかとも思う程一瞬の事で、気が付けば向日葵の表情はいつも通りの優しい笑顔に戻っていた。



「そっかあ~それなら仕方ないね~じゃあまた時間がある時行こうね!涼ちゃん!」


「あ、ああ。悪いな向日葵。」



 向日葵は後ろの声に振り返る事無く、優しく俺に話しかける。丁度いいタイミングで学院に到着し予鈴のチャイムが鳴り響く。



「今日日直だから先行くね~!涼ちゃんじゃあね!」



 そのまま向日葵が小走りで校内に走り去っていく。

 残された俺たち兄妹も別段いつもと変わり映え無く言葉を交わしながら別れた。



「涼、じゃあまた放課後ね。」


「ああ、またな。」

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