おだんご頭がだいじなの

業者さんが来るまで30分。

私の頭は、彼のおもちゃになっていた。

照り焼きチキンのにおいは、シトラスの香りに上書きされている。彼愛用のヘアミスト。私の髪に、ミストがシュッシュとふりかけられ、柘植の櫛で丁寧に梳かれる。気持ちいい。気持ちいいんだけど、ミスト酔いしそうである。トリートメント配合のミスト、どれくらい吸い込んだら害になるんだろうか。

「んんー」

「もう十分ですよ、スタイリストさんや」

「いえいえ、なんのなんの」

自分の頭に何が起きているのか、私には見えない。

電話したことをほめて、頭をなでてくれた彼は、目をまるくすると「さっちゃん、おめかししようねー」と私の後ろに陣取った。これでもかとミストを噴射、丁寧にくしけずられた髪は、まず私のヘアゴムで結わえられた。頭皮の感触から、ポニーテールだろうと予測したが彼は「むー」などと呻き、ポニーテールをほどいてしまった。それから半時間ほど、私の頭は彼にされるがままである。頭皮の引っ張られる方向から察するに、ポニテ、おさげ、サザエさんスタイルにもされている。ヘアゴムが足りないものだから、あろうことか事務用品の輪ゴムで括られている。ミストや櫛の丁寧さに対して、輪ゴムで括られるアンバランス。

「スタイリストさんや。そろそろお皿を洗いたいのですがねぇ」

「まってー」

「いや業者さん来るから」

「おめかしだよー」

「何がしたいのか」

「おめかしだよー」

背後で発せられる音は、大半が「むむー」「むむむ」などの「む」である。被験者のここ1時間の発声における「む」率は65パーセント前後かと思われます……などと暇を持て余していると


ぴんぽーん


業者が来た。

「はーい」

ヘアサロンと化した彼を置いて玄関に向かおうとすると「10秒待って」と腰を抱き寄せられ、頭に何やら仕上げをされた。最後に聞こえたパツンという音から察するに、また事務用輪ゴムで留められたのだろう。

腰の腕から解放され、さあ玄関に向かおう…とすると、彼が横をすり抜け、玄関に立った。私は驚いて、その場に棒立ちになる。

「はい」

彼から発せられた男の声に、玄関の向こうからも戸惑いが伝わる。

「検査にまいりました。花西美佐さんでしょうか?」

「はい」

野太い声で言われても困るだろう。彼の後ろから「花西でーす」と声をあげ、彼がようやく開けたドアから入ってきた業者さんと、彼越しの対面を果たした。たかが業者を招き入れるだけで、どっと疲れた。


結論から言うと、異状は見つからなかった。


夜に駆けつけてくれた業者さんにお礼を言って送り出す。管理会社との話は後日でいいだろう。

バスルームの鏡を眺めつつ、深くため息をついた。

「あーびっくりした」

「すごい音したもんね。バスルームもあけてあげようと思ったんだけど、間に合わなかった。痛かった?」

「あなたのせいじゃないよ。しかし凄かったね。光ったよ」

「バチィ言ったよね」

鏡にうつる私の後ろから、彼の手が伸びる。

「さっちゃん、頭バクハツしてないかなー」

彼は私のお団子頭に手をかける。後れ毛ひとつなく、きっちりとまとめられた髪は、その団子の上から彼のハンカチで包まれ、輪ゴムで留められている。

彼が輪ゴムとハンカチを外すと、後れ毛がふわりと広がった。さらに私の髪から外されてゆく輪ゴム。さながら梱包である。

すべての輪ゴムが外されたとき、鏡に映っていたのは、紛れもなく頭バクハツした自分だった。ちょうど、実験に失敗した博士のような頭である。

「何これ、えっこれ今の静電気で?こんなんなったの?」

「その前からだよ。頭なでなでしたら、さっちゃんの髪が静電気で浮いちゃって、ふわーってして戻らなかったから、業者が来る前に、おめかししてあげたんだよ」

「おめかしってそれか」

いつの間にか、私はひどく帯電していたらしい。彼が私の髪を梱包したのは、下敷きもないのに浮き上がる髪をまとめるため。玄関に立ちふさがったのは、私にドアノブを触らせないためだった。しかし努力むなしく、私はバスルームの扉に手を伸ばし、派手な音と青い火花を散らしたというわけである。

「言ってくれれば良かったのに」

「さっちゃん怖がるじゃない」

振り向けなかった。

鏡越しに、彼に伝える。

「ありがとう」

「ふっふっふー」

ドヤ顔の彼と、バクハツ頭の私。どう見てもお笑い。怖がる要素なんて、どこにもない。手が震えているのは、さっきの静電気が痛かったからに決まってる。胸がざわざわしてるのは、ちょっとびっくりしたせいだ。怖がることなんてない。怖がることなんてない。

一向にまとまる気がない髪からは、明らかにかけすぎのシトラスの香りが広がっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る