第6話 平日の大空くん 下

 大空くんが見下ろす中、私たちはお互いに向き合う。

 平日の午前中、小学生と高校生が空の下。なかなか聞いたことがないシチュエーションではあったけれど、そんなこと私たちにしてみれば『察し合』ってほしい、といったところだ。

「では。私の方から話題提起を」

 言ってから少女は、わざとらしくコホンと咳をする。私は両手を膝の上に、そして大人しく待つ。

「……人間って、複雑すぎて悲しすぎませんか?」

「……はぁ」

 唐突で真剣でわかりにくい質問に口ごもる。複雑──そんなこと分かっちゃいるが、果たして少女は何が言いたいのか。返すこともなく、私はそのまま先を促した。

「例えば、人間以外の動物──ライオンなら、強い奴がいい、って決まっているじゃないですか」

 ライオンのたてがみジェスチャーも入れて、少女は説明する。

「他にも──シマウマなら、足が速い奴がいい。ロブスターなら、爪が大きい奴がいい。バビルサなら、角が大きい奴がいい。鮭なら、速く泳ぐ奴がいい。──そんな風に、分かりやすいじゃないですか」

 もちろん、鮭は美味しい方がいいですけど。とふざけながら少女は付け足した。

 おそらくこの場合の“いい奴”とは、その生き物として有利で優位な、生きていくのに強者の立場をとるもの・・・・・・・・・・という意味だろう。分かりにくかったけれど、少女の真剣さは見て取れた。

「けれど人間は──?現在に生きる私たちは、どんな奴が“いい奴”なんですか?」

 複雑、それは当たり前だけれど、少女がこうも気に病み、答えを求める理由が少しだけ分かる気がした。

「勉強ができる、運動ができる、人に優しい、容姿がいい、芸術に秀でている、頭の回転が早い、面白いことができる・言える、人にものを教えるのが上手い、リーダーシップを持っている、良い家系に生まれている──他にもいろいろありますけれど、あまりにも多くないですか」

 少女の結論は──少女は結局何が言いたいのだろう?

「そんなにも、人はたくさんの要素を持っているから、諦めがつかないんです」

「諦め……?」

「長所と呼べる欠片さえあれば、『君はすごいじゃないか、良いところがあるじゃないか』って、自分よりも秀でている人に嫌味のように言われちゃうんですよ」

 少女は、聞くところによれば、おそらく怒っているのだろう。少女の理想はおそらく──ちゃんとしたランク付けがされる、そんな世界を願っているのだろう。大人になるにつれ、“人間のランク”は暗黙の了解に近くなるが、そもそもそれだって“一発逆転”がありえたりするランキングなので、確かなものだとは言い難い。

「じゃあ君は、人間もランク付けができるようになればいい、そう思うんだね?」

 確かめるように私が問うと、少女はこくんと首を縦にふった。

「じゃあ、ランク付けをしてどうするの?」

「……別にランク付けが目的じゃなくて、もっと分かりやすい『ステータス』みたいなのが良かったな、って」

 少しふてくされたように答え、私の表情を伺う。私だってその気持ちには分からなくもないので、できるだけ微笑んだ。

「確かに『ステータス』が複雑だと、言い訳がし易くなるわけだし、あんまりいいものじゃないな……」

「ですよね……」

「……ただ、自分に言い訳を持てない、っていうのは厳しくはないかな」

 微妙な具合に語尾を釣り上げ、やや問いかけているようにしてみる。少女も少し混乱したようにこちらを見ている。

「誰に言うあてもない、自分の中の言い訳」

 そう言い換えてみる。うつむいた少女の横顔にその言葉は届いた。

「けれど、そんなものがあるから、『諦め』も自分につけないんですよ」

 少女は対抗するように、言い返すように言う。どこか強調されていて、言葉に重みがあった。

「……何のために諦めるの?」

 ゆっくり聞くと、少女はやや顔をしかめて黙ってしまった。難しい話をしている、そんなことはお互いに理解していた。だからこそ、会話はゆっくりでいい。

「……仮に自分に対して諦めるとして──何のために諦めるの……?」

 少女は回答に困っていた。それもそのはずだ。その答えを意味する言葉は、恐らく最も恐ろしく、かつ衝撃をうむ言葉だからだ。

「────自分を殺すため……?」

 少女は口を開いていなかった。つまり、私が言ったのだ。少女はこれまでにないほど目を開け、そして口もやや開いていた。無理もない、特に小学生には衝撃が大きい言葉だろう。

「──違う?」

「──でも、そう、なりますよね……」

 少女はこちらを見て、やっと口を開いた。私に同意したその目は、なにかを恐れる、不安げなものだった。そんな私だって同様、自分の言葉に動揺していた。私だってこんなことを話す人間ではない。けれど、話題はここまで広がっていたのだった。

「恐ろしい話ですね」

 少女はそう独りで吐き出した。恐らくは客観的に考えないと耐えられなくなったのだろう、私に不安げなその目を送った。

「ごめんね、恐ろしいところにまでもってきちゃって……」

 私がかける言葉は、これしかない。けれど果たして少女は首をふって、

「いえ、やっぱりこんな話ができて楽しいです。こんなこと話してくれる人、そうそういません」

 と笑顔で答えた。それもそうだろう、こんな訳のわからない、そして結論が深いところにまでいってしまう話、小学生相手にだれがするのだろう。私は心の中で自分を叱責したけれど、ふとこの話題を提起した小学生をみる。

「いや、こんな話ふってくる小学生って、いる……?」

 こんなに可愛らしい顔をして、ふとこんなことを話し始めるなんて反則だ。恐ろしくて小学生が信じられなくなる。

「いるんですよ、ここにー」

 えへへと無邪気な声をあげて、少女は辺り構わず大きく笑った。

 もっとも、周りには誰一人いなかったけれど。

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